「どの子?」 「あーほら、あそこ。金髪の子としゃべってる、茶髪の」 「……なんか、可愛い感じだね」
そして、想像してたのより、ずっと小さい。「そーだろ?勿体ないよなあ」と同意してくれる友達に、その感想は言わないでおいた。
「天才?」 「そ。明日、転入?してくんだってさ。オヤジが言ってた」
天才が来る。そんな話を初めて耳にしたのは、ある夏の終わったばかりでまだまだ暑さの去らない9月のことだった。チームメイトでクラスメイトの加賀は廊下を歩くだけで額に浮かぶ汗を拭い、面白くなさそうな表情でそう言った。オレは首を傾げる。
「天才って。そんだけじゃ何もわかんないじゃん」 「でも天才だっつってたんだもん。なんか、アメリカの学校にいたんだと」 「帰国子女?」 「大学からのな」 「……大学?」
尋ねるように反復すると「オレもよく知んないけど」でもとにかくスゴイらしいよ。と何とも曖昧な情報を口にする加賀の父親は教育委員会の人間らしい。
「すげー頭がいいらしい」 「ふーん」 「ふーんて……おま、せっかくオレが話を提供してやったってのに」 「どうでもいーよ。だるい」 「おお。それにゃー同感だ」 「暑いし」 「だな」
二人して、汗を拭う。 クラス全員分のプリントを職員室まで届けた帰り、この暑い中、廊下の窓が閉まっているのにキレそうになったオレ達は外からの空気を求めるべく鍵を外す。けど今日は風が弱い。窓辺によっかかって、少し黙る。ジジジジ、と潰すような声が遠くから聞こえた。「……榛名さ。明日から学校くんだってさ」静かな空気を変えるために出した話題は我ながら最悪の選択だったと思った。「おっ、マジで!?」パッと表情が代わって食いついてくる加賀。
「母さんが言ってた」 「こないだケガしたっつったのも秋丸がはじめ知ったんだもんな。いーよなあ、親同士仲良いって」 「そーか?」 「ほら、ウチって金持ちだからみんな敬遠しちゃって」 「自慢かよ」 「自慢になんねーよ。オレの金じゃーないしな。つか、榛名帰ってくんだ。早かったよな」 「まあさあ。入院自体が大事取って検査、みたいな感じだったみたいだし。半月板損傷つってスポーツやってるヤツは結構なるもんらしい」 「ふうん」
そら何よりだ。言いながら、かかか、と空を向いて笑う。ケガしたって聞いてから、3日が経った。そのケガが気になって本やネットで調べたりしたわけだけど、榛名の場合は外科手術にまで発展するようなもんじゃないらしいし、リハビリで完治だってする。また元のように投げられる。また、あの速い球が、まっすぐ、オレのミットに。
「なあ、秋丸」 「ん?」 「監督は、榛名のケガのこと聞いてるんだよな?」 「……って、聞いたけど」
ケガしたっていうのと一緒に、榛名の母さんが病院に行ったその日に監督に電話をしてケガについて知らせたって教えてくれたのはウチの母さんだ。母さんは榛名を可愛がってるし、今回のことも心配してる。
「……はは。榛名が復帰したら、加賀もまた大変だな」 「レギュラー入りがってか?なめてんなよ。オレだって今が伸び時なんだ。まだまだ速くなんぜ」 「あれ、速球?加賀はどっちかってぇと変化球タイプだろ?」 「それは適性。誰だって速い球投げれるに超したことねんだっつの」 「ま、そりゃそうか」 「チッ。はえーっつうの。なあ?これじゃあエース奪う時間もない」 「またまた。嬉しい癖に」 「当たり前だろ?榛名はダチだぜ。あ、秋丸もな」 「はいはい」 「ホントだって!んなオオゴトじゃなくて安心したよ」
ホッとしたように息を吐く。右手でカーブの握りの真似をして、加賀は軽く投球のモーションをしてみせた。「大体よぉ、榛名は自己管理がなってねーよなぁ。平気で公園の錆びた遊具で遊びまくるし、調理実習で指切るし。ケガだって、そんな榛名だからこそのたまたまさ」加賀の言い分に、確かにな、と頷けたのは事実だった。
「……なあ秋丸、それだけなんだよな?だからさ、次はオレの番、とかじゃないんだよな?」
ケガ。 治療。 リハビリ。 完治。 復帰。
それだけなんだろうか。 それだけで、元みたくオレ達は続けていけるというのだろうか。
「天才ってのは、いいよな。テスト前にも慌てなくていーし、授業は寝ていられるし」 「……つうかさ、あの子なんかケガしてねえ?包帯してる」 「ああ。なんかさあ、不良らしーよ」 「不良?」 「オレの友達が、3年の女子とケンカしてるとこ見たんだと」
あんな小さな手で、人を殴るのか。金髪の女の子に笑いかける遠目に映った女の子は屈託なかった。友達によると、『隣の金髪の子も大概』らしい。
「イジメ、でなくて?」 「あーうん。まあ始めはどうせ天才へのひがみやっかみなんだろうけどさ。でもやり返してちゃーダメだ。結局、ケンカっ早いっつうことだろ?」 「ああ……」
柔らかそうなチョコレート色は、少し苦そうな印象を受ける。頭に巻いてる包帯と、頬やスカートから覗く膝のガーゼは痛そうだった。その痛みは、ただ見ているだけのオレの胸にズクズクと疼き、留まった。友達は「天才の考えることはわかんねぇよ」と言う。
「全くの同感だよ」 「あ?」 「オレにもよくわかんない。人に分かってもらえないって、オレは嫌だな」
首を傾げる友達。 もう少しでチャイムが鳴る。 オレは踵を返した。
「才能があるのは一種の悲劇だ」
歩き出したオレに後ろから追いついた友達が、秋丸ってば哲学者ー、とはやす。オレはオレの一番好きなエースピッチャーの背中を思い出して、それから少し心配した。久しぶりに授業に出た榛名はもう帰った。少し前、榛名に蹴られてへこんだオレのロッカーを見るその度に物おじしてしまうオレを、もしかすると榛名は理解できないのかもしれない。
「天才同士だったら、わかるかな」
不意に浮かんだ、突拍子もない考えに、笑う。この邂逅は、ありえないだろうか。もしかして、確率の上では、ありえるのではないだろうか。
「……あーあ。でも、オレはさ、やっぱお前んこと、諦めきれねーわ」 「は?秋丸、何か言った?」 「オレの決意の話だよ」
いつか彼女に聞いてみたい。 その拳は痛くないのかと。 もしも握った拳が彼女ほど小さくはなくて、骨ばってマメだらけの掌だったとして、それでも人を殴れば痛くはならないのかと。
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