■ 暇と不安とステータス
それでも多少なりともわたしの中に存在していたなけなしの警戒心は、部屋の壁にかかっていた学生服を見た瞬間に消え失せた。
「えっ……もしかして、学生……?」
「高三だ」
「高校生!?マジで!?その外見で!?」
かろうじていわゆる中高生の最年長ではあるけれど、でも、四つも年下。マジかオイ。どうなってるのこの子のDNA。
「ウソ!人生の酸いも甘いも吸い尽くしたようなカオしてるのに!」
「ンな言われ方したのは初めてだがな」
「ホストか殺し屋みたいって言われたことは?」
「…………」
あるのか。
無言で踵を返し「飲みモンはいらねーみてェだな」と吐き捨てる男の子(年下だと決定した瞬間からもうわたしの中ではただの男の子だ。)に「いる!いります!ごめんなさい!」と取りなし、ようやく促してもらえただだっ広いリビングのソファに身を預ける。うわ、ふっかふか!
「コーヒーは飲めるな」
「あ、飲めない。苦くて」
「…………。水でいいな」
「あの、せめて飲料水!蛇口捻るのは止めて!」
舌打ちしつつも男の子がお冷と一緒に置いたのは「パ……パフェ!?」パフェである。コンビニろーそんの特製スイーツ、ベリーパフェがわたしの前に水(冷蔵庫から出したペットボトル500ml)と一緒に置かれていた。
「え、なに此処、お冷頼んだらパフェつくの?どんなオマケ?え、マジなんなのキミいただきまっすゥ――!!」
「食うのか」
「好物です!!スイーツ!!!」
「そうか」
え、マジなんなの此処?
天国?天国ですか?
セレブパネェェェェェ!!!
寛容すぎるだろォォォォォ!!!
「んっまーい!」
「ウチにあっても腐るだけだしな」
「なんで腐るの?食べないの?」
「頭まで糖に侵されたバカが勝手に置いて帰っただけだ。何が『これ食って大人しく謹慎してろ』だ。教師ヅラしやがって」
「あれ。謹慎中なんだ。何したの?」
「……ククッ。知りてェのか……?」
ぞわっと総毛立つ笑顔。
たいそう色気のある妖艶な笑みだとは思うが、それを高校生が携えているとなると少々気味が悪いような気がして「イエ、結構です」と大人しく引き下がった。
……と。
そうだ。
「そういえばまだ名前聞いてなかったね」
「今更だな」
「わたし、斉藤実。大学四回生ね」
「高杉晋助だ」
「晋助くんね」
「……お前、俺が年下って知ってから妙に気安くなったな」
「わたしお兄ちゃんしかいないからさー。下のきょうだい欲しかったのよ」
「…………そうかい」
つまり、こういうことだ。
子供のワガママは可愛い。
この若干高圧的と言えなくもない尊大な態度だって、子供の生意気と思えば大目に見てやれなくもないというものだ。それに、パフェの恩がある。会話をしながらも確実に食していく様子を晋助くんは可笑しそうに見ている。
「そっちこそ。名前も知らない年上女子を部屋に入れてヤる気もないって、じゃーどういう意図で誘ったわけ?」
「――いや、なに。あまりにもヒデェ面してるもんだからよう。ちと哀れになってな」
「ヒデェ面って……」
「消えてなくなりたいってツラしてるじゃァねーか。それ食ってると多少はマシだが」
「…………」
「そんなに酷ェモンかね、就職活動って奴ァ」
くつくつと喉を鳴らして嗤う晋助くん。
可笑しそうな彼とは対照的にわたしはちっとも楽しい気分にはなれなくて、スプーンをくわえたまま俯く。ちょうど、パフェもなくなってしまった。なんというタイミング。「…………もう嫌だ」と、自分でも意識しないうちに呟いていたらしい。
「ナビばっかチェックしてメール気にして」
「時間に追われて走り回って」
「そのくせ朝と夜は暇で死にそう」
「毎日毎日来るのはお祈りばっか」
「精神は確実に削られていくのに」
「持ち球は少なくなってまたナビに向かって」
「一喜一憂を繰り返して疲れた」
「もう何が悪いのかわかんない」
「ずっと一人でいるのは不安で」
「これからもずっとこうなのかなって」
「淋しくて悔しくて怖くて眠れない」
「もうすぐ夏なのに」
「親は毎日結果ばっか聞いてくるし」
「収穫ゼロで帰るのが嫌で」
「こっちに居ることの方が多いくらい」
「ホテル代もバカになんなくて」
「ていうか毎回往復で万かかるし」
「バイト代せっかく溜めてきたのに」
「預金あと千円しかない」
「給料日まだだし」
「ていうか就活でそんなに入れてないし」
「悪循環で」
「スマホだってすぐに充電切れて」
「カラオケで歌ってる間に充電したり」
「卒論だって書かなきゃだから」
「早く終わりたいのに」
「選考受けてる時はそれなりに楽しくて」
「ここで働きたい!って思うのに駄目で」
「一人になった時の落差についてけない」
「でも一人で乗りきらなきゃ駄目で」
「くるしいよ」
「こわい」
「助けて」
……何を言っているのだろう。
こんなところで。
子供相手にこんなこと。
でも、止まらない。
孤独も、不安も、焦燥も、
一人じゃ堪え切れなかった。
誰かに聞いてほしくて。
でも誰にも言えなくて。
語るのは誇張した夢ばかり。
自分だけがこんな思いをしていて。
なんて弱いんだろうと思う。
強くなろうと決めて。
でも駄目で。
無理で。
「…………」
初対面の人間にだからこそ、言えたのかもしれない。頭を下げているので彼がどんな表情をしているのかはわからない。けれどどこか自信に溢れ確固たる個性を醸している彼にはきっとこんな気持ちはわかるまい。だから嘲笑っているのかもしれないし見下げ果てているのかもしれない。呆れているのかもしれないし、白けているのかもしれない。いくらバカなわたしだってわかる。彼はただ情けない顔(彼が言うところの『ヒディ面』)をしている遠い地で一人葛藤し迷子になり挙句ぶつかって尻もちついている情けない年上の人間が物珍しく、謹慎中の暇潰し程度に拾ってみただけなのだ。
子供にまで見下されて。
情けない。
「…………っ」
終いには、涙まで出てくる。
情けない。
情けない。
「……確かに暇潰しには違いねーがな」
ぽつり、と晋助くんが溢した。
その声はやはり愉悦混じりで。
ぐ、と嗚咽を押し留める。
「だがな、俺の暇はこんな一日ぽっちじゃ潰さりゃしねェんだよ」
一体どれだけ謹慎食らってんだコイツ。
「この世界は下らねぇ。国家からシステムから、何から何まで腐りきってやがる」
あ、中二なんだこの子。
美形でセレブで不良で眼帯で中二って何だそれ。
どれだけステータス持てば気が済むんだ。
「だから、俺は今すごく暇だから、腐った世界と格闘してる手前に手を貸してやってもいいと思ってる」
「…………は?」
「いや――貸すのは手じゃなくて部屋か」
「…………え?」
「助けてやろーかァ?実」