金色の蹴り Bellio 「いやー、うまかったっすね、昨日のケーキ」 そう言って子供みたいな笑みを浮かべる静雄の周囲に花が見えるのは気のせいだろうか。『静雄の上機嫌を翌日にまで繰り越すことの出来る、恐るべきケーキ』ということで、その話題に喜んで乗っかることにしたトムは「お前らすげぇ食ってたなあ」と昨日の様子を回顧するように言う。 「肯定します。私の兼ねてよりの想像通り、否、想像以上の品質の高さに驚愕でした。再度の来店、かつ定期的な購入と適度の飲食を強く推奨します」 「店の人に聞いたところによると、そこのケーキ作ってるパティシエっつーのが随分な気分屋みたいでよ。毎回毎回作るケーキが違うらしいんだわ」 「……!詳細を希望します」 「詳細って。そのまんまだべ」 若干瞳を輝かせ食いつくヴァローナを落ち着かせつつ、「すごい話っすね。つか、トムさんいつの間に……?」首を傾げる静雄に苦笑して「お前らがひたすら食ってた時だよ」そう返す。二人のいつになくキラキラ輝いた目をなるべく見ないようにして債務者の自宅へ向かう足をやや速めた── ――ところで、 「……お。そうだ、静雄」 あることを思い出して、一歩後ろを歩いていた静雄を振り返る。 「何すか?」 「お前のこと、怖がらなかったべ。カフェの店員さん」 「…………へ?」 「店員さん、とはエプロン着用の金髪の女性でしょうか。否、藤色の毛髪、ギャルソン姿の男性でしょうか」 「女の方だ。あ、先に言っとくけど結婚してっから」 「はあ……」 「男の方はオーナーなんだけどな。ケーキに夢中だったお前は気付かなかったみたいだけど、どっちも普通にお前に接してたぞ」 「……そう──なんすか」 驚愕。猜疑。困惑。 そんな感じの声色だった。 いくら他人と関わらないように、傷つけないようにしようと努めていても、生活している以上、どうしても関わらなければならない場面が出てくる。その一つが飲食店である。これだけ街で騒ぎ騒がれている自分だ、比較的よく利用しているファーストフード店やファミレス、コンビニなどの店員はさぞや居心地の悪い思いで職務を全うしなければならないだろうと思っていた。新規採用の店員が初めて自分に接客をする時は必ず怯える。こんな経験は一度や二度ではなかったため、自分はなるべく感情を殺し、空腹を埋めるべく淡々と注文をして機械的に金を払いさっさと出て行くようにしていた。 そんな静雄の行動を理解しているため、いくらそれなりに付き合いのある上司の言葉だってすぐに鵜呑みにすることは出来ないだろう。しかし、今言ったことは紛れもない事実である。 「まあ、次行った時にちょっと話してみればいいんじゃねえ?感じのいい、話しやすそうな人だったからさ」 「……そうっすね」 「カフェは九時までやってるからよ、夜にでも行けばいいじゃねえの」 「や、昼行きます。ケーキ食いたいし」 「……やっぱ目当てはケーキなわけね……」 そんな会話をしながら。 三人が南池袋公園の入口付近に差し掛かった時であった。 「──あぁん?てめぇら、このあたしから金ェ巻き上げようってのか」 そんな声が、三人の耳に入って来た。おや、と声のした公園の中を見ると、一人の女が数人の男に取り囲まれている。周りの男達はニヤニヤ笑って距離を詰めている。何か言っているようだが、三人からは結構距離が空いているために、よく聞こえない。というのに、女の声はよく通り、するりと聞き心地よく入って来るのが不思議である。 「絡まれてるな」 「……難癖つけられてんじゃねえすか」 「目視するところによると男は三人、距離は百五十メートルと計測します。敵と認定して殲滅体勢に入りますか?」 眉間にシワを寄せる静雄。 沸々と順調に怒りが沸いて来ているようで、これはヴァローナが行かずともあと十秒もすれば── 「死ね」 「ごぶえッッッ!!!」 あれ? 女の声と── 今度は男の声も聞こえた。 というか── 「今のあたしは虫の居所が悪いんだ」 「ふげっ!!」 「消えろや」 「ごばっ……」 「脚技を主とした攻防──否、攻撃により鎮圧完了と察します。残念無念」ヴァローナの声で、気付けばそこに立っているのは絡まれていたはずの女一人であった。 「……って、あれ?」 それまで男達で見えなかった女の全身が見えると、トムが声を上げた。 女はコックコートにぴったりとラインの出ている白パンツという白を全身に纏っていた。金色の髪を無造作に掻き上げると、その端正な顔の造作がはっきりとわかる。一言で言うと、美人、という言葉がぴったり当て嵌まるような、そんな女。 ──どこかで見たような。 ヴァローナは記録を辿り、トムは記憶を手繰り始める。 ──あ。 ──こっち見た。 百五十メートルも離れた距離トムの声を聞き取れたのか、女は自分達の方をまっすぐ見つめてきた。喧嘩だと認識しない内に終わってしまった喧嘩に同じく呆けていた静雄だったが、女と目が合うと、瞬間──自分が動けなくなったことを自覚する。トムやヴァローナの様子を窺うことも出来ず、目が離せない。視線を逸らせない。 何故か近付いてくる女を、ただジッと見つめていることしか出来なかった。 一言で言うと。 その瞳に、圧倒された。 徐々に向こうから縮めてくる距離。はっきりと近くで見える顔──その目に、逸らせないまま頬が熱くなるのを自覚する。自分のすぐ前に立った女が、自分ににこり、と微笑みかけてくる。 ──ああ、そっか。 これは── ──これは、『見惚れ』ているんだ── 「んなぁーにジロジロ人のこと見てんだ、こら」 「──ッッ!?」 瞬間、腹に衝撃が走った。 一瞬、息が出来なくなる感覚と共に、どうやら内臓に衝撃が飛んだのか痛みが内側からせり上がってくる感覚。重く鋭い衝撃が腹部を襲い、その勢いに思わず二、三歩下がる。「ガン飛ばしてんじゃねーぞ」一秒前の笑顔とは一転して不機嫌そうに吐き捨てるように言う女。それを聞いてから初めて、女に蹴られたのだとわかった。同時に、誤解されているのだということも。 「おにーちゃん、そんなにあたしに蹴られたいんなら言ってくれればディスってやんのに」 「ち、違──」 「血が?流血したいのか?ん?」 「…………」 「あたしってば今イライラしてっからさー、今なら特別サービスで殺してやってもいいけど」 「ッッ違うっつってんだろーがよおおぉおおぉおおッッ!!!」 先程の感情を一瞬で彼方へぶっ飛ばし、静雄は咆哮と同時に、すぐそばに設置されていたカーブミラーへ手を伸ばした。 ← → |