ベリオ | ナノ




  おいしいの舞台裏


「葵っ、今日の釣り銭どこ?」
「カウンターの引き出しにでも入れてんだろ。つか兄貴さっき自分で行ってたじゃん」
「あ、あおいくーん……どうしよう!水拭きしてたらいつの間にか床が水浸しに!」
「さては水入ったバケツひっくり返したな!?すぐ拭け!あと十分で開店だぞ!」
「葵!レジが稼働しない!」
「まずコンセントに挿してるか確認しろ!挿してて動かなかったらオレがやるから下手にいじくんな!」
「きゃーっ!!」
「……水浸しのホールを走り回ったら転ぶに決まってんだろうが!つーかお前ら、毎朝毎朝いい加減にしろよ!俺はモーニングとランチの仕込みで忙しいんだ、このボケボケ夫婦!!」

壁一枚隔てた向こうの声を聞きながら、坂本梢は綺麗にディスプレイされたショーケースをじっくりと確認し、その奥をぼんやりと見つめる。店先には既に人の姿があり、一列に並んだその人々は食い入るように点列されたケーキ達を見つめている
。面々の中には見覚えのある顔も多少あり、つまり常連である。「ども。あと七分で開けるんで、ちっと待っててくださいねー」と言って方材の補充と冷蔵庫の温度チェックを始める。

「…………」
「ん?」

くいくい。
と。
ズボンの裾が引かれる。

「…………」

振り向いて、その場でしゃがむ梢。目線の先には少女がいた。「ひとは。とーちゃんとかーちゃんはどうした?」と聞くと、ひとはと呼ばれた少女は表情を変えないまま、ふるふると首を振る。またか、と呟いた声までしっかりと拾った少女はキッと梢を見据えて、一言だけ言った。

「……べりお」

それだけ言うとズボンから手を離し、踵を返して走り出す。小さな歩幅でちまちまと売り場から出ていった少女の背中を見送ると、梢はしゃーねーなぁ、と腰を上げる。

「あとさんぷーん♪」

鼻歌を歌いながら廊下を迷いなく歩いて行き、カフェの店内に繋がる扉を開くと、やはり経営者夫妻はドタバタと忙しない。そこにあの少女の姿はなく、梢も探すことをせずにまっすぐ、出入口の黄色い扉を目指す。連動型のそれは少し開いており、その隙間を縫って表へ出ると、扉の取っ手部分に掛けられたプレートをじっと睨みつけている少女がいた。

「よう。今日も駄目か」
「あといっぷん」
「あと何日で届くんだ、お前は」
「あといっぷんごじゅうろく」
「付け直して貰うかなー、葵に」
「あといっぷんごじゅうに」

木に書かれた『closed』をひっくり返してから再び掛け直す。カフェの二人が毎朝開店前にドタバタして葵を悩ませているため、プレートに手の届かないひとはの代わりにそれを掛け直すことは、すっかり梢の仕事になってしまった。

「あといっぷんごじゅう!」
「一分読み違えてんぞ」
「いっぷん……にふん……」
「はい、かいてーん」

さあ、今日も。
Bellioの日常が始まる。

Bellio






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