折れない細い手 数分後。 「……えーっと。あんた」 「梢」 「じゃあ……梢。お前さ、仕事中じゃねえの?」 ジュースを飲む梢とそれを眺める静雄は、公園内のベンチに腰を落ち着けていた。あ?と首を傾げる梢に、静雄が白いコックコートを指させば「ああ」と気付いたように自身のそれを見下ろす。 「んにゃ。今日はもー終わったよ。だから今はフリータイム」 「早くねぇか。これから晩飯時なのによ」 「あたしはコックじゃねぇんだよ。パティシエだ」 「……パティシエ」 自分を指して不敵に笑む梢を見、静雄はふと昨日とあるカフェで交わした会話を思い出す。 『これらのケーキを毎日創作する人物とは如何なる人物ですか。説明を要求します』 『私の妹が作ってるの』 『妹?弟ではないのですか。先程コックコートと帽子を着用した青年、厨房を出入りする姿を目撃。よって彼がパティシエだと推測しましたが、誤りですか』 『彼はコック。ランチとか、パンも作るからブーランシェとも言うかな』 『疑問です。カフェで働く従業員、男性二人と泉、娘が一人の計四名。泉の妹に該当する人物が存在しません』 『ああ、違う違う。隣のケーキ屋。売り子もしてるんだけど、見たことある?』 『…………。得心しました』 『それは重畳』 「……なぁ。お前もしかして、ベリオって店のパティシエ?」 初めて梢と出くわした時、どこかで見たことがあると感じたのは泉に似ていたのだと気付く。というか、表情や各自の雰囲気などを置いて顔のパーツだけをよく見れば、うりふたつである。今飲んでいるのとは別の、脇に置いてあるジュースのラベルをじぃっと観察するように見つめ、梢は「うん。そだよ」と事もなげに言った。 「……マジか」 「おにーちゃんはこないだウチのケーキ食ってったみてーじゃねーか。泉が自慢してたよ」 「え、じゃあ俺が来たこと知ってたのか」 「うん」 「まじかよ!言えよ!ってことは、お前が泉さんが言ってた妹でパティシエって……」 「わはは。日本語あやふやだぞにーちゃん」 「うわー。すげー。すげー。ケーキすげーうまかったぞ」 「はは、ありがと」 件のケーキ屋のパティシエだということが判明し、興奮しながらケーキの感想を告げる静雄。梢は面白そうに笑って受け取った。目をキラキラさせ、ずいっと身を乗り出して梢を見てくる様子は本当に子供みたいで、以前泉がおかしそうに『平和島さん、可愛かったな』と笑っていたことに内心で同意する。どのケーキがおいしかったとか、どのケーキが特別おいしかったとか、どのケーキが一番おいしかったとか、お気に入りはどれだとか、話し出す静雄の声をおかしそうに半分聞きながら「あ、そうだ」とショルダーバッグの中をあさり出した梢。 「これさっき考えた新作なんだけど、見るか?」 「見る!」 「わはは。即答かよ!」 愉快げに笑う梢に手渡されたスケッチブックを両手に抱え、静雄は興奮を隠せないまま期待に満ちた表情でページを開く。 「……っ、わ……すげぇ」 色鉛筆で大胆に、かつ細やかに着色された、すでにケーキとして完成されたものが描かれている。レシピがあるみたいだ、と静雄は感じた。むろん、説明やメモの類は一切ないので、これは描いた梢にしかわからないのだろうけれど。 ──梢だけにしか解読できない、魔法のレシピ。 興味深げに感嘆の息を吐きながらページを捲り続ける静雄を見て、それはそれは満足そうに笑みを深める梢。「おいにーちゃん」と静雄に声をかける。 「あたし、にーちゃんのこと気に入ったわ」 「え?き、気に……って」 「よし。今日からにーちゃんはあたしのダチだ」 「…………」 「よろしくな」 ポカン、と梢を見る表情にすら満足そうに、静雄に手を差し出す。投げかけられた言葉の意味を理解して、静雄は気持ちが一瞬で高揚して──動揺する。 よろしくな、と差し出されたのは紛れもなく女の手。白く、ほっそりとした手だ。 ──握って、いいのだろうか。 ──折れたりしないだろうか。 そんな心中など全くお構いなしに、ただ手を見下ろし固まる静雄に痺れを切らした梢が「あたしがよろしくって言ってんだから握手しろよ!」と吠え、急な大声に驚いた静雄が慌てて握り返すと、梢は楽しくてたまらない、というように笑んだ。 「よろしくな、おにーちゃん」 「…………静雄でいい」 ← → |