右に人混み。 左に人混み。 前を見ても後ろを見ても人混み、人混み人混み人混み人混み人混み人混み!くらりと倒れそうになったのを引き留めたのは、きゅ、と軽い感覚。シャツの袖を小さな手がそっと掴んでいて、人酔いとは別の意味で目眛を覚えたというのは、千智には知られたいとは思わない。気を持ち直して、キョロキョロと辺りを見回してみると、やはり見えるのは人間ばかり。世間は今やサマーバケーションということで家族連れだったりそうでなかったりと多くの人間が、旅行だったりそうでなかったりと思い思いの目的で、せかせかと歩いている。こんなに沢山の人間を視界に入れたのは、ホグワーツで生活していくための学用品を買いに魔法界に行った(連れて行ってもらった)時以来だ。 「すごいな……これ皆人間か」 「さりげなく失礼なこと言ってるけど、みんな人間だよ。いま11時の30分前だから、多分まだ席は空いてるとおもう」 「そうか。だったら急ごう……ん?そういえば、千智?1番線から歩いて来たけど、3/4番線なんてなかったぞ」 「…………こっち」 今オレ達が立って居るのが境で、右を向けば9番線、左を向けば10番線、と、オレの視力を尽くす限りでは、入学許可書に書いてあった『9と3/4番線』らしきプラットホームはどこにも見当たらない。そこで視線を極端に落として、背伸びしてなんとかオレのシャツを掴んでいる状態の千智を抱き上げて、肩にかけていた鞄はカートにひっかけて、尋ねてみると、こっち、と言って指をさしたので見てみると壁。…………うん? 「千智。……これ、壁だけど」 「うん。でもここだよ」 「だから壁だって」 「カート押して、この壁に突っ込むの」 「うん。千智、オレに死ねって?」 「だから違うんだって」 もそもそと腕の中で暴れるので足を地面に着けてやれば、千智はオレのカートを掴んで(取っ手に手が届くわけがないので脚の部分を持っている)、それから自分で言っていたように壁へ向かって歩き出す。がらがらがらがらがらがらがら。「は!?千智!?」がらがらがらがら。え、なに、これ、自殺?オレが死なないから代わりに自殺?がらがらがらがらがらがらがらが、────いやとにかく止めなければ! 「すとお────」 「着いた」 「────っ、ぷ……」 ………………あれ? なんか景色が違うぞ? 千智を追って走り出すと、気付けば目の前には真っ赤な汽車が停まっていた。「……ね。どういうことか、わかった?」と見上げてくる千智。可愛い千智。うん。正気に戻れ、おれ。 「…………そうか。千智は兎さんだったのか」 「は?なにそれ、違うけど」 「不思議の国のアリスだよ」 「知らないよ」 ちなみにそれはダイアゴン横丁に買い物しに行った際に千智が銀行へ金を下ろしに行って(ていうか誰の金だ)、その時「いい子にしてまっていてね」と置き去りにされて暇になった時に書店で立ち読みしたマグルの絵本だったけど、よく考えれば、千智が絵本なんか読むはずがないということで、この話題はおしまいになった。 「うわー…………」 改めて、ぐるりと辺りを見てみると、やはり先程までいた人混み駅とは別所だということが嫌でもわかる。これが、魔法というやつか。目の前の真っ赤なボディにしばらく圧倒されて、「席とろう」千智に言われるがまま、今度は自分でカートを押して、汽車に入り込んだ。 「動き出したら、車内販売とか来るから好きなだけ買えばいいよ」 コンパートメントと言うらしいところに入って、ふかふかの座席に座る。「オレ、車の荷台にしか乗ったことなかったぞ」前にそう呟くと千智が《可哀想》という視線をくれたことがあって、その同情が嫌だったので口に出すことはしないが、体重をかけると跳ね返ってくるスプリングに感動を覚えた。 そして、 しばらくのち。 「じゃあわたしは帰るから」 と。 ふかふかから立ち上がる千智。 買ってもらった時計を覗くと15分前になっていて、気付かなかったが窓を見たら既に、同年代らしき子供が列になって、汽車に乗り込むべく順番待ちをしている。 「じゃあね」 「あ、ちょっと待てよっ!」 「……なに?」 「──いや、その……」 「あ。はい、おこずかい」 「あ、ども……じゃなくて!」 「いらないの?」 「……イリマス」 手渡される袋。 ずっしりと重い。 「……………」 千智からそれを受け取ると、千智はもう理由がないとでもいうようにあっさりと背中を向けて、小さな身体には大き過ぎる扉を引き開け、そして出ていった。そして一人取り残されるオレ。 「…………一方通行。か」 涙の別れをしたかったわけではなかったが。でもこの数ヶ月間は、2人で暮らしてきて、オレは何か、絆のような何かが千智との間に結びつけられていたら良いとは思っていたりはした。 「1年、か」 クリスマスやイースターという休みがあることは聞いていて、それを考慮すれば、今日から約3ヶ月半。それだけの間、千智に会えない日が続くという。……なんでホグワーツは全寮制なんだ。というか千智も、ギリギリまでもう少し一緒にいてくれても。いくらなんでも『カイがいなくて淋しいよぅっ!』とまでは望むわけにはいかない。いや、そもそも4歳児にそんな気遣いを求めるオレが年上として失格なのだろうか。でもオレ、そういえば、千智に対して年上らしいところとか見せたことがねえや。勉強も魔法界のことも電車の乗り方とかマナーとかも、教えてもらってばっかりだった。……………。情けない。いや、それよりも千智はあのまま一人で帰るのか。行きはオレがいたから良いものの(連れて来てもらった身の年少であることに代わりはないが千智は更に幼児だし)、4歳のちっちゃな女の子が、あんな人混みを通って、バスに乗って、人気のない道を通って、暗い道を歩いて、それは道徳的にも常識的にも大丈夫なのか?駅員に迷子だと思われやしないだろうか。誘拐とかされたりしないだろうか。家を出る時に本は持ち歩かせないようにしているので、普段みたいにボーっとしたりフラフラ歩いたりはしないだろうけど、オレよりも地理とか詳しいし地図読めるし錬金術出来るししっかりしてるし髪の毛長いしで実際のところ大丈夫そうなんだけど心配になってしまう分は仕方ないものがある。…………なんか、こんな感じの言葉があったような……辞書で読んだけど、あれは……えっと、そうだ── 「──『惚れた弱み』か──」 と。 笑みと共に呟いた時─── ガラガラガラ。 と。 「ここ、空いてる?」 と。 |