006



すっかりお馴染みとなった道を歩いて市場へと向かった。怪我はもう治っていたし読み書きも習ってマスターしたので付き添いの千智の姿はその時からもう無く、今頃はいつものように家で本を読んでいるのだろう。千智が昔屋根裏から勝手に発掘したという七生の父親の書物は数多くどれも古書で価値のありそうなものばかりだったが、聞くところによるとあの膨大な数の書物を千智はもう全て読み切っていて、最近は読み返しているらしいのだと七生は言う。初めて千智と会ったあの日読んでいた本は字を習ってからわかったことだが解剖学の第一学書らしくて聞いたところによると七生の父親は名高い医者だったのだとか。そして遺した遺産。……だから外に働きにも出ていない割には肉やら卵やら魚やら果物やら、栄養のある質の良いらしいものを食卓に出せているのかと納得して、こんな美味いものをせめて一口でもあの人に食べさせてやることが出来たのならば、もしかしたら笑顔で死んでいけたのかもしれないと思うと瞼が熱くなった。頼まれて購入した肉の重みの分だけ、他の何かが乗しかかったような瞬間だった。────そういえばもう6月を過ぎたが、千智によると8月あたりにホグワーツ魔法魔術学校からの入学許可証が届くらしくてあと2ヶ月もないことに気付く。魔法とは一体どのようなものなのか。字を習ったばかりのオレが勉強についていけるのか。寮暮らしってしたことない。友達とか出来るだろうか。────オレがいなくなった後、ここはどうなるのだろう。七生も千智もずっと2人で暮らしてきたのだし特にこれといった変化はみられないかもしれないが、────寂しい、と。心のほんの片隅にでもいい、そんな気持ちが一瞬でも芽生えてくれていたら、嬉しい、と、思った。──自分がまさに、そうであるように。……と。そろそろ家が見えてきた。家へ帰るというのが、こんなにも気分のよいものであったとは。笑顔で迎えてくれる七生と、それが当然のように振る舞ってくれる千智が脳裏を占めて、オレは扉を開けた。

「あ。カイ。おかえり」

と、玄関にいたのは千智だった。
珍しいことに窺っていると、千智はいつもの表情で「おかえり」と言う。呆気にとられたまま「ただいま」と返すと、千智はオレの片手を握り、そのまま中へと歩き出す。突然触れた小さくて柔らかな手に、瞬間、心臓が跳ねるようだった。その後も何故か熱くなった身体にわけがわからなくなり、肉を入れた袋を持った方の手でうるさい胸を抑え、前を歩く千智に合わせてゆっくりと続く。────って、オレ、何をこんなに緊張して──────

ぴたり、
と止まり、
扉を開ける千智。
ゆっくりと、
ゆっくりと、
横に引く。
少しずつ。
惜しむように。

「おどろかないで」

開けながら、
千智が言った。
少しずつ、
向こうが見える。


そこに人形がある。
そう思った。

「────な、」

言葉に、詰まった。
千智の手が、
オレの汗ばんだ手を、
ぎゅ、と、握る。

「七生が死んじゃったよ」

部屋に横たわっている人形を指さして、千智がそう言った。黒い髪に白い肌、年齢は多分、オレと同じくらいの。双眼が閉じていて、ぴくりとも動かない。とても綺麗な、───そんな人形。

「────は……?」

息を吐くように呟く。
その声は震えた。
ドクドクと熱い、血。

「倒れたの。苦しんで、死んだ」
「────い、つ……」
「カイが出かけてすぐ」
「……っ、は──」
「おちついて」
「………う……」

がくり、と膝をつく。
千智が肩に触れてくる。
吐き気───が、

「なな、お────?」

膝立ちで、寄っていく。
それに触れると冷たかった。
頬を、軽く叩く。
起きない。
白い。
白い。白い。白い。白い。白い。

眠っているような七生。
苦しんだなんて嘘だろう?
死んだなんて、何かの間違いだ。

「────えっ、え?」

意味がわからない。
なんで?
なんでいきなり、
こんなことに。

「わたしもわからない。いきなり倒れて死んじゃったから」
「……………」
「死んじゃった」
「……………」

「あーあ」

それは、千智の声だった。
震えてはいない。
かすれてもない。
高くもなく、
低くもなく、
ただの子供の声だった。

「死んじゃった」

けど、
やけに耳に響いた。

「とりあえず埋めようよ」

その対応はごくあっさりで、
あまりにもあっけないものだった。


土と汗が混じって気持ち悪いのを解消するために風呂に入ってみたけど、気持ち悪さだけはどうしても拭いきれない。今テーブルに並んでいるのは、自分の作った料理で──七生のそれではない事実は、あまりにも味気なかった死に現実味を帯びさせた。「上がったよ」と、パジャマを着た千智が微かに湯気をあげて裸足で歩いてくる。あの長い髪はタオルで覆われてはいるが、千智は拭く様子を見せず、そのまま椅子に座った。そのままにしてたら乾いた時酷いことになるぞと思ったが───思い出す。そういえば、髪のケアをサボる千智はいつも七生に拭いてもらっていたのだ。

「……千智」
「ん」
「こっち来て」
「ん」

椅子から降りて寄って来た千智をあぐらの中へと収めて、覆っていたタオルを外すとやっぱりまだ髪は濡れている。千智の後頭部と向かい合い、タオルでその掬った髪を軽く挟み水分を吸わせる。

「ごはんが」
「後でな。先に乾かすんだ」
「ばかい」
「それ言うな」
「ね」
「ん?」
「これからどうしよっか」
「…………ホグワーツは、辞退する」
「え」
「だって、お前一人じゃ、」
「大丈夫だよ」
「今までのまま四六時中読書街道突っ走ってみろ、1週間で餓死するぞ。まだ子供なんだからな」
「大丈夫だって」
「何が」
「七生に拾われるまで、ひとりだったから。赤んぼのわたしでも大丈夫だったんだから、4才でも平気だよ、ホグワーツに行っても」
「────赤んぼ、って、」
「休みの時は帰ってくればいい」
「…………千智」

千智は「おなかすいた」と言って再び椅子に着いてしまった。まあ、大体拭けたから、別に構わないけど。

「これ、巨大たまごやき?」
「半熟オムレツだ」
「……え。まじ?」
「大真面目だけど」


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