005



「パラケルススによれば、世界を構成しているものはユニテ──原一体、すなわち万物のイリアステル──第一質量らしい。これが女性原理と男性原理に分かれて、両原理の結合によってカオスとイデアスができる。こうして、質量であるヒューレーが作られたんだよ。さらにこの質量が光の作用で、硫黄と水銀と塩の三原質に分かれたんだ。硫黄は男性原理であり能動、熱をもち不揮発性。水銀は女性原理で受動、冷を所有し揮発性である。けど『硫黄』『水銀』とは呼んでるけど、これは現実のものとは異なるよ。硫黄の物質の形相を決める力、水銀の物質の質量、塩の物質の連動、これらが結びつくことで初めて、あらゆる物質は作られるって考えられてる。これが、錬金術の三原質だよ」

「…………は?」

すらすらと、まるで台本か何かでも読み上げるようにして並べられた訳のわからん台詞に間抜けな声を出せば、きょとんと目を丸くした千智は「カイは馬鹿なの?」と、何でもないような表情をして尋ねてきたのでオレははいそうですなんて格好悪くて言えなかったのだがその沈黙を肯定だと受けたらしく「カイって馬鹿だったんだね」と、いっそ感心したような息を吐いて、7つも年下の千智はあどけない顔立ちには何処までも不似合いな表情をして、そう言った。

「馬鹿井」
「それは止めろ」

意味はわからんがなんかムカつく。


「凄いですよね」

と、ぽつりと七生が溢すので、何がだと返した。字を習い、計算を習い、一通りの知識を習得したオレ(「オレは天才か」「元々頭が空っぽだっただけだよ」)は、いつも千智が読んでいる訳のわからない書物に少し興味が湧いて尋ねてみると千智は錬金術の書物だという。質問はまず『錬金術って何だ?』から始まったのだが、千智がつらつらと並べる意味不明な単語の数々を耳にして危うく言葉に酔いそうになった程に堪えたのだが、七生に至っては平然と聞き流しているようで、七生は特にこれといった学問や知識に興味があるわけではないらしかった。

「何がって、あなたがですよ。あなたと、そして千智も。私にはもう、何が何だかわかりません」
「けれど、あの書物はお前の所有物なのだろう?」
「元々は父のものです。父が死んで自動的に全てを譲り受けることになってしまいましたが、どちらかというと私にこういうことを教えたくはなかったようで。千智がここを探索して屋根裏から発掘するまでは存在すら知りませんでした」
「……何やってんだ千智」
「宝探しのようでしたね」
「お前も何やらせてんだ」

元々は見ず知らずの筈だろう。
それを言わせたらオレもだが、何処かで遠慮を感じているからこそこうして洗濯物干しを手伝っているのかもしれないと真っ白なシーツを伸ばしながら、そう思った。あの村にいた頃には、決して触れることのなかったものだ。怪我ももう完治していた。

「錬金術は単に金を作り出すのではなく、薬や他の物質を生み出すのだと千智は言う。現実的なものだとは言っていたが、オレにはまだ、魔法のようなものだという認識しかない」
「……そうですか」
「千智の説明は覚えてはいるが、理解は出来ていない。大宇宙だの小宇宙だの、宇宙と生命にどんな繋がりがあるのかどうかはよくわからない」
「けれど、わかるようになりますよ」
「何故そう思う?」
「だって」

七生は優しげな微笑みを浮かべる。
「だってあなたには、今はそれをするしか道はないのでしょうから」
オレが千智に感じている絶対性を、肯定するような言葉。そしてオレは確かに、その通りだと得心したのだった。


「七生」と、珍しく千智が自ら歩み寄って七生のスカートの裾を引っ張った時はオレも七生も大層驚いた。千智は片手で自分の長く伸びた髪を胸のあたりで握って、「かみのけ切って」このくらい。と七生にハサミを手渡した。千智の金髪はオレが初めて会った頃より更に伸びていて、元々ギリギリだったのが今は千智の身長を越えて家の中を歩く時も床に引きずらせている(外へ出かけるときは紐で縛ったり編んだりして調節しているようだが)程の長髪で、それはオレが思うにとても綺麗なものだったが、4才の千智が歩くには重かったり邪魔だったりするのではないだろうかと思ってもいた。そして千智が七生に話しかけたことよりもオレが驚いたのは、その『切って』と言った千智を、七生が断ったからだった。

「重いし邪魔」
「ごめんなさい。けれど、私、千智の綺麗な髪が好きなのです。宝石みたいで……だから伸ばしていて欲しいんですよ」
「けど邪魔だよ」
「お願いします」

そして珍しい七生のお願い。

結局は床に届かない長さまで切る、ギリギリまで伸ばすということで話し合い(らしきもの)は成立したらしく、座っている千智の長い髪を名残り惜しそうに七生がハサミを動かしていた。

「七生。ちょうどいいから、オレの髪も切ってくれ」
「はい。────と。あなたの髪も、綺麗な色をしていますよね……」
「勘弁してくれ…………」

じい、と羨ましそうに見上げてくる七生に言うと、「私も男性は短い方が好みですしね」と言って、伸ばしっぱなしのボサボサに好き放題だったオレの髪は前髪も含めて全体的に短くカットしてくれた。……七生も七生で奔放な性格をしている。

「似合いますね」
「そうか?」
「ええ、とても」
「千智。似合うか?」
「似合わない」

…………………。
好みはやはり、違うらしい。


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