繰り返される日々(ステラ)



─────梟の、
翼を窓に叩きつける音で目を覚ます。
灯かり火は着けたまま眠っているので、早朝にベッドから下りた裸足でも然程寒さは感じられない。感じない。緑のビロードカーテンを捲ると、自身の寝所より数段暗い室内が目に入る。この寮はまるで冷たい岩だけで構築されたような地下室にあるので、日の光は入っては来ないのだ。だから太陽が昇り始めたばかりのこの頃も、頂点に達した正午も真昼も、ここはいつでも薄暗い。ぼんやりと窓際まで寄って行って、梟を通してやる。ルーズさにしびれを切らした梟が、とうとう蹄でガラスをギィギィと鳴らし始めたからである。ガラスや黒板をひっかくととても嫌な音がするので、勘弁して欲しい。ルームメイトが起きてしまったらどうするの、この子は。ホー、と首を傾げる梟の頭を撫でてやる。ふわふわ、すべすべしている。そういえば、家では毛が移るとか言って、小さな頃から動物にはあまり触らせてはもらえなかったのだ。長い爪で器用に挟んでいた手紙を受け取って、毎回の事ながら黒い羽を一枚、取り出し、梟の足首にくくりつけた。いつも使っている紐が切れていたので、髪の毛を抜いて代わりにした。いつもと同じ一連の作業を終えると、梟は瞬く間に両翼を広げて飛び去っていく。他の子供がそうしているように、お礼にクッキーを渡そうとする隙さえ、与えてはくれなかった。「これも、いつもの事……」ため息を吐いて、ドレッサーの前に座る。朝一番に見た自分の顔は、毎日の事ながら、とても情けない顔をしていると思う。とても不細工な表情をしている自分がそこにいた。本当、嫌だ。どうして私はこうなのだろう。


「──ねえ、そういえば見た?昨日のハッフルパフ生!どうやって杖を振れば、ゴブレットにダチョウの足が生えるのかしら!今日の授業でどんな醜態を晒して私達を喜ばせてくれるのか、見物じゃない?」
「きっとロクな家系じゃないのよ」
「あるいは親が大した魔法使いじゃないのよね」
「ああ、ケヴィン・ヘイトはマグルなんですって。両親がマグルの玩具会社を経営しているとか……まるで汚れた純血ね!」
「あらキャシー!良い事言うわね貴方!それにしても私が何より目障りなのは落ちこぼれ。落ちこぼれ!スクイブの事よ!防衛術の事を覚えてる?武装解除の呪文さえ扱えなくて、グリフィンドールのペティグリューが気絶したのよね!彼、きっとスクイブなんだわ!血の裏切り者よ!」
「血の裏切り者と言えばシリウス・ブラックよ!何でも今年の冬休みもクリスマスパーティーに出席するようにって、手紙が来たらしいわ」
「吠えメールだったけれどね」
「ああ、けれど、シリウスなら、グリフィンドールでも私は構わないわ!だって彼、素敵じゃない!」
「分かるわヘレン。あんなにハンサムな人、ホグワーツには2人といやしないもの!」
「ええ。それに、いくらシリウスが汚れた血の肩を持とうが、彼がブラック家の後継者だという事には変わりようがないわ。現にご当主、毎年夏に帰って来る度、《厳しく躾》ているらしいから、その内シリウスの考え方も変わるわよ。ポッター達との付き合いだっておしまい」
「お馬鹿なブラック。純血から逃れられる訳がないのにね」

ねえステラ、貴方もそう思うでしょう?
笑みを向けて賛同を求めてくるルージュを引いた唇が多数。ええそうねヘレン、何もかも貴方の言う通り。そう言えば満足気に弧を描き、再び楽しそうに《お喋り》を再開する彼女達。オートミールをスプーンで掬って口へと運び、咀嚼、飲み込む私。オートミールは味が薄くてドロドロしていて、本当はあまり好きではない。けれど食べなければ。好き嫌いは、いけないことなのだ。多分。……先程から隣や向かいに座る彼女達は大声で笑い合っている。わざと他の寮の生徒に聞こえるように触れているのだ。どうやら私も彼女達の《お喋り》のメンバーの一人だと思われているらしく、3つの他寮の過半数から鋭い視線を受け取る。ああ、面倒くさい。どうして私が不味いオートミールを食べながら口汚い悪口をバックグラウンド・ミュージックに、熱い眼差しを向けられなければならないのかしら。そう思うが、そんなことは言わないし、そんなことは表面にも出さない。そうしなければ、私が浮くのだから。

─────ふ。
と。

グリフィンドールの大可数も私達を睨んではいるが、その中にいくつかだけ、憎悪だの醜悪だの嫌悪だの、そういう感情でない視線が混じっているのは分かっていた。その内一人と目が合って───否、目が合ったのは私が彼の方を直視したからだが、彼はそれに気が付くと、気まずそうに私から視線をそらした。先程の彼女達の《お喋り》の内容(後半)が気に入らなかったのか、あるいは私と相対したのが嫌だったのか、それとも何か別の理由があったのか、はたまた何もなかったのか。とにかくシリウス・ブラックは完全に私から背を向けて食事を再開してしまったので、結局は分からくなってしまったけれど。

『──これも結局、囈なんだわ……』
「あら?何か言った?ステラ」
「いいえ、何も」

視界の端に映る後ろ姿をしばらく見つめて、再び、食事を再開した。


──シリウス・ブラックは今やホグワーツでもブラック家においても、完全に色物となっている。いい意味でも悪い意味でも、他とは完全に異なっているので、恐らくは双方でも名を知らない人間はいないだろうと推察される存在だ。誰もが予想していたスリザリンへの入寮を拒んで組み分け帽子にグリフィンドールと叫ばせた資質。血縁の誰から冷たい視線を受けながら、それでも純血主義を否定し続けることが出来る素質。あの真っ黒で艶やかな髪の毛は、例えば誰かを連想させる。だから私はあの男が嫌いなのだ。同じように反抗し対立し、対等であろうとする、例えば名前を捨てた少女。授業以外では滅多に姿を見せないのでうっかり忘れてしまいがちだが、そういえば彼女もグリフィンドールに選ばれている。純血なのに。純血主義の生まれなのに。

羨ましいとは、思わない。

『……………まずい』

無理矢理一口、飲み込んだ。



「ハロー、ミス・ラザニア」

私とは違う真っ直ぐな黒髪をなびかせて、振り返る。知っている。彼女は人通りのない道しか好んでは歩かないことを。直視した彼女の表情には何時までも何処までも変化がなく、その鋭い目つきだけには内心いつも圧倒された心地がするのだ。そして彼女はやはり、なにも喋らない。

「またスネイプと会っていたの?」

返事もしない。
彼女は、ただ立ってこちらを見つめているだけだ。これもいつも通り。

「まあ、どうでも良いけどね、スネイプとの事なんか。ねえラザニア、私、任務を賜ったのよ。お父様から手紙が来たの。あなたの監視役よ」
『……………』
「無視?まあいいわ。ねえラザニア、あなた、一体何がしたくて此処に来たのかしら?友達とやらも作っちゃいないようだし、俗物の生活に混じって幸せ噛み締めてるって様子でもなさそう……まさか本当にスネイプの為だけに入学した訳じゃないでしょうね」
『……………』
「あなた───何なの」

あの家を捨てた《彼女》がホグワーツに居るということは、セレクティア家では今や公然の秘密となっている。入学セレモニーの組み分け儀式で壇上に上がった彼女に気が付いたのは、本当に偶然で。写真でしか見た事のなかった彼女を憶えていたのも奇跡に近い程。慌てて実家に手紙を送ったのが初日で、それから毎日家とのやり取りは続いている。内容は、ごくごく事務的なものでしか無くて、そこに家族らしい句などは存在しない。私は毎日の彼女の様子だけを報告し、返って来た手紙には封を開けないまま黒い羽根を一枚、梟の足にくくりつけるのだ。そして夜に、また手紙を書く。何故黒い羽根なのかは知らない。ただ、その行為が家に《従順》するという意味を持っている事だけは事前に聞いて知っていたから、私はただそうしている。だから私は、《彼女を見かけたら罵れ》という命令にどういう意味と効果があるのかは知らないし、どうしてセレクティア家があの子の現在を、東の島国に在留している桐生家に知らせないのか、ずっと疑問に思っている。スネイプは彼女の何なのだ。

「あなたは一体、何がしたいの」

それを彼女に問う事は、私の仕事には入ってはいない。が、別に良いのだ。どうせ今のホグワーツには、うちの家の者なんか居ないし。本当は私だって、自由に動ける筈なのだから。例えば私が彼女を見つけた時にそれを匿ってやっていたとしても、気が付かなかった振りを続けていたとしても、私さえ黙っていれば、それで別にバレてしまう事など無いのに。それでも私は告げ口をした。私は一体、何がしたかったのだろう。私は、彼女をどうしたいのか。

『───待っている』

初めて、聞いた声だった。
凛としていて、高くもなくて、何処にも何にも媚てはいない。静かに響く声がした。ラザニアは相変わらず私から目を反らさなかった。変わらず真っ直ぐに見つめている。

「待ってい る?」
『───ステラ』

初めて名前を、呼ばれた。
不覚にも、どきりとした。

『───きっと出会うから』

力強く、しっかりとした声。
どこか、頼もしくもある。

『───お前の悲しみも苦しみも怒りも喜びも楽しみも嬉しみも、凡て分かってくれる子が、お前にもきっと出来るから。そんな大切にきっと、お前も出会えるから。────お前だって、出会えるんだから。』

───だから、頑張れ。
と。
まるで彼女の台詞でなんかないような、そんな言葉を吐く彼女。その顔に変化はなく、ただ淡々と述べているように見える。そこには彼女自身もまた、その言葉の意味を理解し切ってはいないようにも感じられた。喩えるなら、そう、真っ暗な中、少しずつ糸をたぐり寄せていっているような。そんなもの、人に投げ掛ける言葉としてはまるで意味がない。自分が理解出来ていない癖に他人にそれを求めるなど、馬鹿気ている。お話にならない。………なのに。なのにどうして───泣きたくなるのだろう。無意識に。目の淵が熱くなって、鼻の奥がツンとした。その時確かに、少し、揺らいだ。

『私は、待っている。……多分、もうすぐだ。もうすぐ私の前に、現れるんだ。だから私は、此処から離れない。例えお前の家が桐生に報告した所で、私は何も構わない。私が此処に留まることは、もう決定事項だ』
「……………馬鹿じゃないの」

少しだけ罵ってみた。
彼女は相変わらずの無表情で、まるで面でも被っているのではないかとすら思う。気持ち悪いと思い、今度は私の方から立ち去ってやる。

オールデイズ、
オールウェイズ


今日は手紙に、何を書こう。


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