嘘吐き達の午後(リーマス)



私が煙突といったら貴方は煙
そうすりゃ二人の願いは破れぬ

「ここに偶然64の正方形に分けたチェスボードがあるね。チェスというのは、これで2人の競技者がそれぞれ16個の駒を持ってする遊戯だよ」

にっこりと穏やかな笑みを浮かべているリーマスなのに、ああ今機嫌が悪いんだなあとわたしのシックス・センスが感じとる。リーマスの、全然穏やかではない内心を見透かしてしまうのはあまり快くはないし、ていうかぶっちゃけ怖いんだけどね。そしてリーマスは今まで読んでいたらしい分厚い読本を隣の空席であるソファへと粗末に投げ出して(本当に機嫌が悪いな……)、終始ちっともわたしから視線を外さずに腰を掛け直した。「辞書通りの解答ありがとう」恐々ながらもそう返すと、いいんだよ全然まったく、これっぽっちも、僕は君みたく最近忙しいという風でもないからね。などとピリピリした笑みを余裕に塗って投げ返してきたのだ、いくら日本で散々ににぶちんだのぼけだの言われていたわたしでも、これは、わかるぞ。

「嫉妬ですかおにーさん」
「調子乗んなよ糟が」

カスって言われちゃった。
調子乗んなって言われちゃった。
慣れとは怖いもので、全然まったくこわくない。リーマスが。むしろ笑えてくるのはわたしの回路がおかしいからですか?

「うふ、うふふ………ぷくくっ、リーマス、リーマスも寂しかったの?ごめんねぇ、ほったらかしにしてっ?」
「死ねよ」
「生きるよ」
「生きろよ」
「あ。別に天邪鬼じゃないからね」
「ちっ」

舌打ちは聞こえなかったことにして、わたしもリーマスの向かいに座る。「まーまー今日はシリウス以外の皆にもサービスディってゆーことで愛しいリリーに教えて貰おうと思ってたんだけど談話室に居るのが偶然リーマスだけだということなのでさあ、リーマス、わたしにチェスを教えなさい」両手をガバッと広げて最大級のスマイルを見せると、リーマスはきょとんとし、それから立ち上がる。はて。突然のことなので阿呆みたいに両腕を広げたまま目で追う。テーブルを迂回してこちらへ近付いてくるリーマス。確認する。そしてわたしの前に立つリーマス。認識する。しゃがんだリーマス。よしオーケィ。「それは───」と何か言いかけたリーマスは、何事だと彼を凝視しているわたしの明けっ広げの両腕の中に収まった。「ハグのポーズ?」とか何とか言いながら。

「───っぎゃー!!!!!」

我ながら色気のない。

「は!なに、なんなんなんなん、これ、えええ?リーマス?おまっそんなキャラ?そんなキャラ?親友の女を横取りするような噛ませ犬だったのかお前!」
「よしよし」
「背中は擦らんでええから!」
「可哀想に。頭が」
「──ってえ、同情かい!」
「なんで方言?」
「うるせえくそぼけが!」
「あは、浮気だ。おーい、シリウスー」
「呼ぶんじゃねええええ!」

ていうか冷静に考えてみればシリウスを呼ばれたって別にやましいことは何らないので困りはしないのだが、生憎とそんな風に思考することを許さなかったわたしの回路は最早自分でも何言ってるのかさっぱりで、何処から方言なんか飛び出してんのか考えている間に、わたしの背中を大人しく擦っていたリーマスがハグを解く。疑問符の連打状態のわたしを見て、やっぱり笑った。「寂しかったから」そして「ごめんね。チェス、教えてあげるよ」やっと前座が終わる。

「ここに偶然64の正方形に分けたチェスボードがあるね。チェスというのは、これで2人の競技者がそれぞれ16個の駒を持ってする遊戯だよ」リーマスは最初に言った言葉を一度、繰り返す。これは多分わたしの記憶力をかろんじているからこその厚意だろうが、千智ちゃんをなめんな。テーブルの上には綺麗に64分割されたチェスボードと、白と黒のチェスマンが転がっている。リーマスはその駒のうち白いものだけをつまんで、ボードの自分側の半分の方に、綺麗に並べていく。それじゃあなるほど、わたしの駒は黒なんだ。わたしもリーマスと同様に並べてみようかと思ったのだが、何分わたしはチェスにつきましては全く無知で、見よう見まねをしてみようかと思ったけど同じ並べ方で良いのかとか戦略の陣形なのかもとか考えているところを、やっぱりリーマスがわたしの分も並べてくれた。同じでよかったのか。「駒の説明をするよ」とリーマスは盤上の駒を人差し指の先で弄っていく。

「両競技者は濃淡2色──白と黒のキング・クイーンをそれぞれ1個、ビショップ2個、ナイト2個、ルーク2個にポーンが8つを保有する。各駒は特別なやり方で動くんだけど、クイーンが最も広範囲な動き方をするよ。動かし方は軍隊の戦術や、戦略を用いる、またはそれらに用いられる。盤にさらされた駒はとりこになるか、盤からは外されるんだけど、キングは移動することが出来ないんだ。だからチェスっていうのは、相手の王をなるべく早く追い詰めた方が勝ちってわけ。チェックメイトって言うよ」
「ほうほう」
相槌を打って、理解をするために盤へと視線を移す。なるほど両者の駒が向かい合っている姿は対抗、対照、対立……戦争のようだ。つまりこれは、日本における将棋みたいなものなのか。勝手に解釈をして、リーマスに続きを促す。わたしも理解を続けた。

「クイーン。さっきもちらっと言ったけど、これは僕的には最強の駒かな。八方へ何目でも動けるんだ」
「なるほど。飛車角みたいなもんか」
「キング。クイーンと同じく八方へ動けるんだけど、それぞれ一目しか移動出来ない」
「なるほど。まさに王将だあね」
「ビショップ。斜めの四方へ何目でも移動が可能だよ。」
「ははあ。角の役割か」
「ルーク。縦横に何目でも動ける」
「ふむふむ。飛車みたいなもんか」
「ナイト。これは他の駒があってもそれを飛び越えられるから貴重だ」
「ほほう。桂馬のようじゃないか」
「ポーン。普通は前に一目ずつしか進めないんだけど、最初に動く時に限ったら二目前進出来るんだね」
「うーむ。歩兵ってか」

「………ねえ。そのヒシャカクとかオウショウとかって、何?日本のお菓子か何かかい?」駒の説明を終えたリーマスが不思議そうに首を傾げる。「うーん残念お菓子じゃないんだな。これってば、日本のチェスって感じだよ」東洋のチェスだね。これを職業に飯を食ってる棋士もいるんだよと言えば興味深そうに感心を漏らす。そんなリーマスを見ながらわたしは以前将棋棋士として本因坊秀策を上げて、ミリアちゃんにそれは囲碁の棋士だと正されてしまったことを思い出す。

「まあ、そのうちミリアちゃんに聞けばいいよ。あの子の方が、多分すごく詳しいだろうからね」
「そのうち、ねえ………」

意味ありげにこちらを見つめるリーマス。その視線をまるで気にせず、わたしは口を開いた。開きたかったからだ。

私が煙突といったら貴方は煙
そうすりゃ二人の願いは破れぬ

たった2行の文章。
わたしは歌った。歌いたくなったからだ。

「うん?歌?」
なんで、今?首を傾げてくるリーマスに、「この前ミリアちゃんが歌ってた」とだけ返した。ふうんとだけ返すリーマス。納得はしていないらしい(まあ当然だ)

「聞いても答えてくれないのは、今のうちだけなのかな?」
「それはさてだね。ミリアちゃん次第だもの、わたしはそこまで面倒みないよ。わたしはそんなにお人好しな人間しちゃいないから」
「嘘吐き」
「まあね」

くすりとリーマスが微笑んだ。
そして、勝負しないかい?と問う。
渋るわたしにポケットから薄い箱を取り出して、「じゃあこのチョコを賭けよう。勝てたら、あげるよ」と言った。たった今ルールを聞いたばかりなのにとか別にチョコいらねえとかそういう理由で断ろうかと思ったけれど、わたしの口からはするりと「いいよ」返事が溢れてしまったのでわたしは急いで先程のリーマスの説明を回生させ始めた。

些細な前兆


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