翌日になっても、その翌日になっても、その次の朝になっても、ミューちゃんの面会謝絶は解けなかった。ミリアちゃんにそれとなくやんわりとざっくばらんに事のあらましを説明すると彼女はとても心配なようで、医務室の前をウロウロウロウロと酷い時には朝から晩までセブセブが迎えに来ない限りはずぅっとそうやっているので、こちらとしてもミューちゃんの容態は気になるわけだし、いつまでも般若みたいな顔で仁王立ちするポンフリーに引いている場合じゃいられなくて、お願いにお願いを重ねて、頼みに頼み込んで、最終的にリリーが頬にキスをしてやるという一言によって難無くジェームズから貸出してもらった透明マントを全身にすっぽりとかぶり、わたしはグリフィンドールの談話室を出た。わたしを送り出したジェームズはとてもいい笑顔だった。そもそも彼はリリーからキスを引き出したくてマントを渡すのをごねていた節があり、規則を破ることを快く思っていなかったリリーの中で同情が勝るまでに心配していたミリアちゃんへの愛がそうさせたとはいえ、彼の悲願は達成したこととなる。やること全部やっといて、何をいまさら、とも思うけど、恋人からのキスは、いつになったって、すごく、嬉しいものである。ニヤけそうになった頬を両手で叩いて、ついでに眠気も吹き飛ばす。景気のいい音に壁にかかった絵画達が一斉に目を覚ましたようだったが無視して階段を降りていく。夜は階段も眠っているので静かだけれど、コイツ、寝相悪いからな。と言ってるそばからワンフロア分がゆっくりと動き出したので、急いで動いていないところまで飛んだ。モーションがわからないから心臓に悪いぞコレ。と、心臓を抑えつつ続きを降りる。ミューちゃんのことを恐らくも何も一番心配しているに違いないミリアちゃんを連れて来なかったのは、彼女の運動ベタじゃあこっそり夜中に徘徊するのは物理的に不可能だからである。そして仮に医務室へ辿り着けたとしても、ズタボロのミューちゃんを前にしてポンフリーを起こさないよう静かにミューちゃんを心配することは精神的にも不可能だ。だからこそわたしは説得に説得を重ねて、最終的にはリリーとステラちゃんに両腕を抑えつけてもらい、一人で出て来たわけであった。そしてミューちゃんのことに興味を持たずともわたしを一人にしたくない過保護なシリウスはもちろん一緒に行くと言ってくれたけども、シリウスといると純粋にミューちゃんの心配を出来なくなって困るから駄目。この愛情が依存に変わることのないように、内心わたしも必死なのである。 ……で、確かここを左に曲がるんだったよね。と、行く前リリーにさんざ懇切丁寧に教えてもらった医務室までの道のりを反芻する。物覚えが悪いわたしでも、さすがに覚えてはいるけれど、真夜中で真っ暗な城内では場合が違う。慎重に慎重に、ホグワーツ管理人とその猫に出くわさないように気をつけながら、ようやっと医務室の前まで来た時には、深夜も1時になってしまっていた。この城、無駄に広いからな……。こっそりと扉を開けて、音を立てないように入れば、明かりはデスクのランプのみの暗い室内で、ポンフリーがうたたねしていた。彼女の献身姿勢には目をみはるものがあり、奉仕の心は決して真似しようとは思わないけれど癒者としてはこの上なく信頼できる。ミューちゃんが入院してからは、ホントにつきっきりなんだろうな、と思うと寝顔がほほえましくて、椅子の背もたれにかけっぱなしになっているローブを彼女の肩にかけた。彼女に背を向けていざ、ベッドまで歩きカーテンをめくる。ゆっくりと視界に入ってきたミューちゃんは、やはり当然ながら眠っていた。顔にあった無数の切り傷は消え、頬のペイントも消え、しかし頭には包帯が巻かれている。首から下はブランケットに隠れていて見えないけれど、闇の魔術による傷は深いらしく、恐らくは同じように完治はしていないはずだ。いつも小生意気に見上げてくる大きな吊り目がかたく閉じられていて、わたしは何も言えなかった。 ミューちゃんは決してマゾヒストなわけではない。むしろサディスティックでさえあると思う。しかし、ミューちゃんに関してはその人格について、よくわかっていないというのが正直なところである。ミリアちゃんから多少なりとも彼女について聞かされた今も、それに変わりはない。普段見せる強気で自信家な態度も時折見せる自虐的な表情も、すべての根源は劣等感であることは知ったけれど、よくわからない。その感情はわたしと同じものであったはずなのに、彼女のはそれさえもが人工的なそれであるかのように、機械的に、一瞬のミスもバグもないかのように、発動させているように感じられるのだ。 黒夫人に傷付けられた時、ミューちゃんは杖をローブのポケットにしまったままだった。──速さで競り負けた、ということも、ありえないことではない。向こうは実践の経験があるのだし大人なのだし、人殺しなのだし。けれどこの場合問題なのはそういうことではない。そういうことではないのだ。問題なのは、恐らくミューちゃんに一切の、抵抗する気がなかったことなのだ。だからレギュくんだって、あんな風になっているのであり。 「……自己顕示はするけど、自己主張はしない子だよねぇ」 『そうだな』 え。 『っ!ミリアちゃ』 『しぃ』 しぃ、ではない。無駄に可愛いのが今すごい腹だたしいので、ポカリと軽く頭を殴った。『あいたっ』殴られてもやはり可愛かった。いやそれより、何でこの子がここにいる。この子がいるということは、道中誰かに見つかっているということだ。深夜徘徊が趣味の管理人と猫の目を盗んでこそこそと医務室に来るなんて芸当が、ミリアちゃんに出来るわけがない。 『……む。何故今私は殴られた?』 『ミリアちゃん、なんで来たの……』 『いや、やはり心配でな』 『だからって』 『あ、いや、だからといって、あの寝相の悪い階段を降りて来たわけではないぞ。これを使ったのだ』 『なんだそりゃ』 『……自分の発明品くらい、いい加減覚えろ』 発明品?──ああ、そういやそんな発明品もあったっけな。一昔、移動手段として製作したような気がしないでもない。『まったく。自分で部屋を掃除しないから、何を作ったかも思い出せないのだ』と、何やら世間一般のお母さんみたいなことを言うミリアちゃんだったが、ふと気が付くと白く細い指がミューちゃんの頬に触れる。 『…………』 『こうして寝顔を見ていると、仲が良かった頃を思い出す』 『仲、良かったの?』 『まだうんと小さい時、私達の家が他と違うことさえ知らなかった頃の話だ。親の顔を覚えるより早く、私達はお互いを認識した』 『ふーん。……あれ?おかしくない?ミューちゃんは3つ下でしょ?』 『私達は元は双子だったのだよ。レイブンクローにいる黒人ツインズと同じな』 『…………。えぇ!?』 『うるさい。黙れと言っておろう』 『じゃ、じゃあミューちゃんは、わたしらとタメってこと!?……留年?』 『そう簡単な話でもないがな。まぁ生まれた年は同じということだ』 『意味わかんない』 『この子はずっと眠っていた。眠らされていたと言ってもよい』 『…………』 『しかし、まあ、お前の言った通り。これは主張をせん子だよ』 ミリアちゃんは時々、とても大人びた表情をする。憂いと、諦観と、寂寥の篭ったそれが嫌だから、わたしはミリアちゃんを助けたのに。そんな顔を見たくないから、わたしは全てを話してほしかった。 『せめて面と向かって『大嫌い』と言いさえすれば、私は堕ちていけたのに』 ミリアちゃんは呟く。 そうっと、頬を撫でて。 『この子と、私と、手を取り合ってどこまでも。二人だけで、どこへでも行くことが出来たというのに』 目を閉じたままの彼女。 何も語らない。 何も主張しない。 ただ顕示する。 自分の存在を。 世界に向かって。 『自己中心的でワガママなら──最後まで勝手を貫き通せばいいものを』 けれどこの子は、そうした姿勢を貫くことも出来ない。まだたったの13歳なのだ。──そういえば、ミューちゃんは気付けばもう、わたしがホグワーツに来た時と同い年になっている。 『この子は馬鹿だ。たわけ者だ』 『……うん。そうだね』 わたしが出来ることは何だろう。 わたしには何が出来る? 破壊以外の何かによって、 破滅以外の何かを探す。 ミリアちゃんの頼りなさげな肩を抱いて、しばらくの間は無言で、ミューちゃんの寝顔を見つめていた。 |