019 世界のおねえちゃん



「ふむ。それで、私に聞きに来たというわけだ。おねえちゃんの私に!」

おねえちゃん、を強調したミリアちゃんは頼られるのが相当嬉しいらしい。シリウスはあまり嬉しくなさそうなカオを崩さないまま何も言わず、ついでにミリアちゃんを視界に入れたくないらしく明後日の方向を向いている。だったらステラちゃん達と一緒に中庭へ行けばいいのに、と苦笑しながら。わたしはミリアちゃんを調子に乗せるために「そうなんだよ頼られキャラNo.1のミリアちゃんに聞きに来たんだよ」と言い、それによってとっても可愛らしい笑顔になったミリアちゃんにキュンときた。たまに見せるこのギャップが、いい。いや、近頃は割と頻繁に見せるけど。

「うむ。まあ、よい。入れ」
「わたしの部屋だけどね」

踏んぞり返るミリアちゃんの後ろについて、わたしと、犬になったシリウスは部屋に入った。前からずっと思ってたけど、犬のシリウスはとっても可愛い。椅子に座らず、ソファに腰を落とし、膝の上に乗せたシリウスの背中を撫でると流れるような艶やかな毛並みが気持ちいい。何かお互いにうっとりしていると「少しは手伝ったらどうだ」ミリアちゃんがティーセットを乗せた盆を持ってやって来る。そう言われてしまってはシリウスの手前仕方がなく女の子らしくお手伝いをしようと杖を振って、キッチンに用意されてあるらしいお茶うけのワッフルとジャム瓶をテーブルまで運んでやった。「お前は横着なヤツだ」と言われた。心外だった。

「ブラック。貴様はこんなめんどくさがりの女の子で本当によいのか?もっと家庭的な奥さんが欲しくはないのか?」
「ワンワン!グルルッ」
「余計なお世話だよー。ほらシリウス、唸っちゃだーめ」
「クゥン……」
「…………。それで、みんなの頼れるお姉ちゃんは何を話せばいい?」
「んーとね。まあ、やっぱりミューちゃんのことかな」
「はあ」
「あの子のこと、そんなに知らないし」

膝に頬を擦り寄せるシリウスが『オレは何も聞かない』とでも言うように犬としてくつろいでいるのを確認して、わたしは言う。別に日本語で会話をしても良いのだけれど、なんか、シリウスに疎外感を感じて欲しくないのだ。だからまあ、イングリッシュ。ミリアちゃんは煎れてくれたお茶のカップをわたしの前に置きながら「彼女のことか」と言う。わたしは首を傾げた。

「ミリアちゃんにしてはよそよそしい代名詞だよね」
「美羽とミューは、全く別に出来たモノだからな。お前が聞きたがっているのが『ミュー』の生い立ちとか、そういうものなら、私は部外者の視点から語らねばならん」
「はあ……」
「ところでお前の膝枕でデレデレしているその犬は、邪魔ではないのか」
「ああ。シリウスは美亜ちゃんのことを前に見てるんだよ。だから『事情』はあらかた想像ついてるんじゃないかな」
「……お前、そんなあっさりと私の本名を……」
「こんなもん出し惜しみしたって仕方がないよ。特にこれといった謎があるわけでもないし。思わせぶりなんだよ。もっとオープンに行こうぜ」
「…………。まあよい」

まあよいと言いながらもそれから十秒、ミリアちゃんはシリウスを見下していたけれど、ふう、と溜め息を吐いてお茶を飲んだ。というか、シリウスの話ではミリアちゃんは会話をしたこともあるはずなのだけれど。彼女の記憶は、頭の中の小さな彼女が片っ端から消しゴムをかけまくっているに違いがない。だから呪文も語句もスペルもぼやけてるんだ。

「まず……そもそも、あの家では時折、儀式が行われていてだな」
「儀式?」
「『いらないもの』はどんな高貴な位の家にも時々生まれてくるのでな。魔法界の言い方で言うとスクイブか。それは有効活用して『正しいもの』の糧にするか、全く違う『新しきもの』の材料にするか。そのどちらかに充てられる」
「……体のいいモルモットじゃないか。っていうか、ミューちゃんは、作られた『天才』?」
「美羽だ。そして、さよう。それで出来上がることを『覚醒』と呼んではいたが。私はやはり、目覚めたのとは違うと思う」
「で、そのモルモットがミューちゃんだと?」
「美羽だ。そしてそれは少し違う」
「……違う?」
「モルモットは私だった」

何だかやっぱり物騒な話になっちゃったなあと下にいるシリウスに目をやる。丸まって、顔を伏せているので表情は窺うことが出来なかった。ワッフルに苺ジャムを塗って、かぶりついたわたしはミリアちゃんの家族だったものを思い出す。そしてやっぱりあの家は、業が深いなと思った。

「モルモットは私だった。私になるはずだったのだ。私は『いらないもの』で、美羽はその時点でもう既に優秀だったのだから。だけど……」
「お父さんは気が付いた。ミリアちゃんの、その、治癒する力に」
「あれは取るに足らないものだと考える人間の方が多かった。しかし、あの人は違った。あの人は、殺戮しか生まないあの家を懸念していた。だから新しい力を生み出したかった」
「それでミリアちゃんは生かされた?」
「その代わりに、代わり映えのしない、従来の優秀な『彼女』を材料に使った」

ミューちゃんが主体になるところに入ると、途端に『彼女』と言う。それはミリアちゃんなりの我慢なのかもしれない。ミリアちゃんの顔は、今にも泣き出しそうだった。ああ、セブセブ、どっかに落ちてないかなぁ。こんなカオ、なるべくさせたくなかったのに。

「もしかしたら、出来損ないを活用するよりは秀でているものを材料とした方が、優れたものが出来ると思ったのかもしれない。そんな『思いつき』によって私は生かされ、美羽は殺され、ミューが生まれた」
「……ミューちゃんが『ミュー』って名乗り出したのって……」
「覚醒してからだ」
「入学する時の偽名だって思ってた。ミリアちゃんみたいに」
「私と彼女は違うよ。……それでも彼女の中で『美羽』はまだ生きていた。だからセレモニーに『ミュー』がいたのには驚いた。覚醒のあとも、彼女は『美羽』を捨てなかったのに」
「外国にいたんだっけね」
「そう。お前が来る直前に。……その間か、あるいは私が家を出てからか」
「何かが起こった?」
「あるいは、誰かに何かを言われたか。心境の変化かもしれんが」
「ふぅん……。まあ美羽ちゃんのことはどうでもいいとして」
「いいのか。というか、どうでもいいとか言うな」
「だって、死んだ人間は生き返らない」

もう一度殺すことは出来るけど。とは飲み込んで、シリウスの頭を撫でる。スピスピと息の音が聞こえるのからして、寝ているのかもしれない。そうだよなぁ。こんな話、つまんないよなぁ。でも本人達にとっては大事なことなのだ。目を閉じて撫でられているシリウスをギラッと睨みつけて、ミリアちゃんは「そのレグとやらだが」と話し出す。

「そやつは本当に彼女と、その……」
「友達になりたいんだとさ」
「…………」
「出来るかな?」
「わからん。私は、試したことがない」
「まあ、姉だからね」
「おねえちゃんだからな」
「何で言い直した?」
「まあ、とにかくモノは試しだ。存分に試すがよい。うまくいけば、彼女は幸せになれるかもしれんぞ」
「うまくいかなかったら?」

ミリアちゃんは数秒黙った。「そのレグとやらのような人間がこの先現れるという奇跡は、本来ありえない」そして言い辛そうに言う。

「一生、あのままだろうな」

それでもわたしにとって不都合は別にないけれど。と言えば「お前は案外優しくないヤツだ」そう言ってミリアちゃんにデコピンされた。それでも可愛い後輩を見守ってやりたいのだ。と言えば「優しいヤツだな」そう言って頭を撫でられた。彼女は人の言葉を信じやすい。信じやすくなった。だからいつか騙されてまた不信になんかならないようにセブセブが守っていくのだろう。多少なりとも変化したらしいわたしの内面を守るため、シリウスは抱きしめてくれるように。ミューちゃんにも誰かそんな人がいればいい。そうしたら、ほら見てよ。変わるのは怖くない。


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