腰を落ち着けてから十数分。しっかり者で心配性なレギュくんが「こうもゆっくりしていて大丈夫でしょうか」と控えめに主張してくるので、わたしは「シリウスが来てくれるからね」と返した。何故シリウス?と首を傾げるので説明する。つまり、シリウスは授業がない空き時間、ほぼ30分おきくらいにわたしの居場所を確認するのが癖だから、と。最近は本当に、そうなのだ。それに対してレギュくんはあからさまに『うわあ』という表情をしたけれど、これはまあシリウスもシリウスなりにやっぱり不安なのだとかそういう恋愛における繊細な機敏というものなのだと説く。シリウスの場合、なまじ城の敷地内なら居場所を把握出来る地図を持っているだけにわたしの居場所をキッチリ知ることができるその正確さが言葉では語ることのできない複雑な気持ちにさせるのだけれど。レギュくんには「可愛いやつだよね」と言っておく。 「レギュくんは時間とか、大丈夫?授業とか入ってないの?」 「ええ。今は空き時間なんですよ。だからさっきの呪文学で教わった、魔法生成理論というものについて復習をしようと思っていたわけです」 「なるほどねえ。いい子だねーレギュくんは。優等生の道をまっすぐ行く子だね」 「よく言われます」 出された紅茶を飲んで、クッキーを手に取る。レギュくんは少々眉を寄せて、それでいて事もなげにそう答えるので尚のこと、彼にかかる重圧はシリウスの比じゃないなと感じさせる。 「兄が兄ですし、おかげで僕にかかるプレッシャーは並じゃない。正直、家でもあまり気は安らげないですね」 「レギュくんって、なまじ生真面目なもんだから、頑張っちゃうよね。だから何でもソツなくこなしちゃうし。器用貧乏の癖に完璧主義っていうか」 「褒めてます?けなしてます?」 「心配しています」 「…………」 「そんなんだと、いつか壊れちゃうよ」 確かに努力家で器用で完璧主義で真面目な優等生っていうのは悪いことじゃない。でもその生き方を貫いている限り、決して楽にはなれないだろう。 「学校は鉄仮面を生むとこじゃない。もちろん勉強するとこだけど、このホグワーツの『全寮制』はそれだけを求めて作られたものでもないでしょ」 「……寮はホーム、ですか」 「ん。レギュくんの今している生き方をするには、絶対、どこかに休息を入れなければならなくなる。でないと、自分が自分でなくなっちゃうから。だからご実家がダメならせめて寮で。……それも無理そうなら、わたしで良かったら力になるし」 「はあ」 「まあ、一番良いのは友達を作ることなんだけどね……。レギュくんの身近に、セブセブみたいのがいればいいのに」 「スネイプ先輩ですか。確かに彼は他の人間とはどこか違いますよね。同じ寮でもあまりつるまないし、嫌がらせをしたりもしない。あと、マグルの方と恋人だったり」 レギュくんが頷くので、セブセブのイイヤツさ加減は半端ないよね、と力を込めれば「いやそこまでは思いませんが」と首を振られた。でも少し話を聞くとレギュくんもセブセブには色々と勉強面でお世話になっているらしい。わたしもたまに課題を聞く時があるし、ミリアちゃんなんか全てをセブセブに委ねているし、結構面倒見良いよなアイツ……と頷き合う。でもセブセブみたいなのはやっぱりスリザリン寮でもちょっと浮いているみたいだった。まあ、本人はそんなことは全く気にしていないのだろうから、わたしが心配するまでもない。「僕にだって」と唐突にレギュくんが言葉を発するので、意識をそちらにやる。 「僕にだって、友達はいますよ」 「うん。だろうね」 「ですが、千智さん達みたいな……そういう付き合いではない。というか、この寮にいてそういう友達を見つけるなんて、不可能だと思います」 「そんなことはないよ。むしろ、年の差や世界さえ越えて生涯の友人になった女達もいた」 「……誰のことです?」 「さあ?でも、あの彼女に出来てきみに出来ないなんてことが果たしてあるのかどうか。きみは現時点をもってしても、ブラック家の中では最優秀なのだしね」 「…………」 言うまでもない、黒夫人とうちのロクデナシな母親のことなのだけれど。血をもってしてレギュくんに『出来るはずだ』と言うのは彼にとっては少し不本意ではあるのだけれど、ちょっと含みを持たせただけの言葉では現在の母親から過去を連想することは難しかったのかレギュくんは軽く首を傾げただけだったので置いておこう。クッキーを噛み砕く間に次の言葉を考えて、飲み込むと話し出す。 「さてそこでわたしが推薦するのは、きみの血筋にも家柄にも財産にも立場にも、これっぽっちも興味がない、きみの顔や性格や能力や性質や素質や言動や存在にしか興味がない、そんな可愛い女の子なんだけど」 「つまり、あいつですね」 「うん。シスターだよ」 「千智さんは、僕とあいつをくっつけたがっている?」 「ううん。結果きみらが友達になろうと恋人になろうと同級生であろうと、そんなことには興味がないんだよわたしは」 「…………」 「でも、その過程には興味がある。きみとミューちゃんが、もし今言った何らかの関係に当て嵌まるようになったとして、その過程では必ず互いが互いに影響をもたらすものだ」 「…………」 「つまりわたしは、それによって、そこそこ気に入っている後輩二人が大好きな後輩二人に変わるかもしれないっていう期待をしているわけだ」 はあ、と焦点のない返事をするレギュくんは、どうせわたしのことを『相変わらず変な先輩だ』くらいにしか思っていないのだろう。わたしにしてみても、『やっぱり頑なな少年だなあ』くらいにしか思わない。ミューちゃんに対しても相変わらず『小生意気な女の子』という感想から離れない。どこか他人との『邂逅』を拒絶するところのある二人は、まるで昔の自分を見ているようでハラハラしてしまうのである。心配、と言ってもいいだろうか。つまり老婆心なわけだ。「千智さんが何を考えているのか、僕にはよく分かりませんけど……」そう前置きして、レギュくんは言う。 「僕はあいつと友達ではありません」 「…………」 「僕は他の友人と、千智さんが思うような関係にはなりませんし、あいつには友達っていう存在自体が、いません」 「え、ミューちゃん嫌われてるの?」 「と言うより、怖がられてますね」 「怖がられてる?」 「何か得体の知れないもの。あいつに対しては皆、そういう認識をしていますから」 「得体の知れない……」 「あいつに近付く生徒なんて、寮にはいませんよ」 なんかそれってミリアちゃんみたいだな、と思いつつも実際は全然違うのだろう。ミリアちゃんはその態度から反感を買っていたがミューちゃんはその存在から顰蹙を買っている。その違いはまさしくそのまま天才とそうでないものの違いを体現していると言えよう。そんなにまで他人に嫌われる天才なんて、いるのかと思わないでもない。だって、天才であろうとなかろうと、ミューちゃん自身はただの、生意気な女の子なのだ。笑いもするし怒りもする、ムキにもなるし、自嘲だってしてみせたことだってある。何も違わない。それなのに、その存在だけでそこまで忌避されてしまうなんてことが、あるのか。あっていいのだろうか。 「……でも、あいつは近付いてくる。怖がられて、避けられているのを知りながらも、ニヤニヤと笑って、関わってくる。周りや、僕が嫌がるのを分かっているくせに」 「レギュくん……。本気で嫌がってたんだね。ただのツンデレかと思ってた」 「まるで、嫌がらせみたいに」 わたしのボケを軽くスルーして、レギュくんはどこか遠くを睨みつけて話す。シリアスなムードを壊されたくないのかもしれない。 「ムカつくんですよね。僕のことなんか、本当はちっとも好きじゃないくせに」 ああ、レギュくんはいつも、本当にムカついていたのか。ただのツンデレだと思ってた。今度はその言葉を言うことはしてやらなかった。その代わりに、一言だけ言ってやった。 「それは完全に拗ねた子供の台詞だよ」 |