016 素直な少年



「おーい。レギュくーん」

わたしとミリアちゃんが図書館でセブセブと仲良く宿題というホームワークを助け合ってやり終えた時、朝9時はすでにおやつ時となっており、昼をシリウスと一緒にとれなかった切なさが胸に込み上げるがミリアちゃんが何処からかお雑煮を持ってきてくれたので3人手を合わせて頂きますをしてゆっくり味わってから、夕飯まで2人だけの甘い甘い甘い甘いあっまーい時間を過ごすからお前どっか行けという視線を主にミリアちゃんから受けたのでひとりで淋しく廊下を歩いていた時のことだった。向かいから歩いてくるわたしより背の高い男子生徒なスリザリンがレギュラス・ブラックであるということに気が付いたので、軽く片手を上げて振ってみると、本に視線を落として歩いていた彼は手というよりむしろ声に気付いて顔を上げ「千智さん」と反応した。

「こんにちは」
「こんにちは、レギュくん。何か、喋るの久しぶりな気がする」
「はい。前に会ったのは休暇前です」
「よく覚えてんね……と、もうそんなにか。休暇明けて、しばらく経つのに」
「まあ、千智さんは相変わらず毎日が楽しそうですし」
「そっかな」
「僕も暇ではありませんし」

うーん。この、クールな態度。ちょっと好みかもしれない。こういうツンな態度をシリウスがとったら。……ときめくじゃないか。などと邪な目でレギュくんを見ていると、一歩後ずさりされた。「勘弁して下さい」おお。何と危機感知能力に長けた子なのだろう、というのはミューちゃんが恐いから置いておくにして。

「ごめんねー。あの悪戯、少々茶目っ気が強すぎたみたいで。今だにすれ違いざま叱られるんだよね。教授とか、知らない子から」
「いえ、いい物を見させてもらいました。アジアの国にある、タージ・マハールというものらしいですね。誰かが言っていました」
「は、はは……」

ラブ・イズ・オール・マインはレギュくんには中々好評らしい。……彼にはいつか、本物を見せてやろう。あれが彼のアラビアンナイトとして記憶に盛り込まれるなんて悲しすぎる。

「ああ。そういえば、兄と復縁されたそうですね。おめでとうございます」
「あ、ありがとうございます……」

素直に祝われた。
素直に礼を言った。
……素直に照れた。
「千智さんがシリウスとベタベタしていると、かなりうざったいですが嬉しいです。平和な感じがして」レギュラスくんは順調にいい子に育っていた。そしてツンデレみたいな。まあ、かなりうざったいタイプの兄がいれば仕方のないことなのかもしれない。リリーのとこも、姉妹でかなり性格が違うって言ってたし。ミリアちゃんのとこは両方変な子なんだけど。

「レギュくんは何にひっかかったの?」
「僕は入って23歩目で上から降って来た糞爆弾ですね」
「真っ黒になった?」
「はい。あいつに笑われました」
「ちなみにミューちゃんは何にかかったの?」
「あいつは掛からなかったです」
「え?」
「何一つ。ただ、僕や他の生徒が引っ掛かるのを見て笑い転げていただけでした」
「……へー」

それはそれは。
感心、しながらも。

「皆が聞いたら、残念がるだろうね」
「──あいつ、千智さんとは実際どんな関係なんですか?アネキ、とか言ってますけど」
「……んーと」

ミューちゃんは何て言ってたの?と尋ねてもレギュくんはただ首を横に振る。「アネキはアネキだ、の一点張りです」と、どうやら同級生かつ寮メイトかつ友達(らしき関係)かつお婿さん候補(らしい)であるレギュくんには、本当はミリアちゃんの方の妹なのだということも、桐生云々も、話してはいないらしい。……ということはレギュくん、ずっとわたしの妹だと思っていたのか……?ひょっとして、馬鹿?とも思ったけれど「当然、信じてはいませんでしたが」まあ、当然か。わたしいつも思っきり否定してたしなあ。それは、ミリアちゃんの目があるからだけれど。

「ミューちゃんが何なのかっていうのは……まあ、わたしにもよくわからん」
「わからん、ですか」
「ただ、まあ、天才らしいよ」
「天才……」
「あと、強運だとか」
「強運?」
「うん。わたしという天災を、回避出来た唯一の人間だからね」
「……よくわかりません」

まあ無理もない。というか、こうしてわたし一人、何だか知ったかぶりをかましてはいるものの、3年前に日本で起こったことの実行犯であるはずのわたしは、実は今やもう、その大半が記憶に危うかった。つまりほとんどが『いつかに見た夢』のごとく忘れ去られようとしているのである。だからわたしにもよくわからないというのが真実なのであるが。ただ北海道では結構暴れたことと、ミリアちゃんが泣いたことと、彼女が『かたじけないでござるっ!』を習得したことは、確かに覚えていた。……あの日に起こった大事なことって、多分それくらいな気がするから別に困りはしない。「聞いたことないかな。『金色の断罪者』って」と問えば「それなら知ってますが」と返ってくる。まあ、メジャーな呼び名だからか。それはもう今なき呼称となっているのだけれど。──これは本格的に、何も知らないなあ。しかも本人に直接問いただすのではなく『アネキ』のわたしに尋ねてくるというのが、レギュくんも幼いなあと思うところで、ちょっと苦笑。と、笑ったところで今更ながらに気付いたけれどこれ、わたし達って今、どこに向かって歩いているのだろうと疑問に思う。意識が会話に逸れてしまっていたことに気付いたところで、方向オンチのわたしにはわかるはずがない。けれどまあレギュくんに任せたらいっか、とすぐに思考した。そんな思考をしていたわたしとは違っていたく真面目な顔をしたレギュくんは相変わらず神経質そうな足音を立てて、腕を組み、前を見ないまま歩く。このポーズは癖なのだろうか。

「あとは……『妹』ってだけで」
「『妹』。そこは決定ですよね」
「いや、断定」
「はい?」
「んー……」
「……妹って。千智さんのでなければ一体、誰の」
「──やけに食いつくよね、レギュくん。でも、時期的には遅いと言えなくもない。だってもう3年だよ?ミューちゃんと友達やってれば、必ず行き着くところだと思うんだけど。それはさ」
「…………」

だって、と呟いたレギュくんはしばらく振りにわたしの顔を見たけれど、瞬間わたしの背後──つまり廊下の壁に焦点を映すと途端に、その口を開きっぱなしにした。ポカンとした表情。わたしは振り向いた。何もない。いたって普通の壁だった。3階らへんにいるらしいことは、小さな窓の景色の目線でわかったけれど。

「うん?」
「……僕としたことが」
「レギュくん、どうかした?」
「ここ、無幻廊下です」
「ムゲン?ってーと、『ユメ・マボロシが夢幻』の夢幻?」
「いえ。『幻なんてありません』の無幻です」
「あ、そっちね」

そっちね、と相槌打ったものの無幻廊下という名称に覚えがないわたしにはさっぱりだ。それを察したレギュくんが「あのですね」話し出してくれる。いい後輩だった。

「歩き続けた方向に道が伸びていく廊下が、これです。360゜、どの方向に歩き出してもまっすぐ伸びていきます。そしてちょうど正解の角度に当たったら、出る事が出来ますが、少し間違えると永遠に歩き続けることになります」
「なにそれ。幻?」
「恐らくは」
「幻はありえないんじゃないの?」
「なら、魔法なんでしょう。どちらにしたって変わりはありませんよ」
「まあ、そうだね」
「出られませんしね」
「まあ、そうだね」
「……入らないように、気をつけていたのに……」

気をつけていたらしい。
でも入っちゃった。
……わたしが気をつけていなかったせいでなければ良いのだけれど。

「とりあえず足疲れて来たからさ、ちょっと休まない?」

何をのんきな、と呆れた声が返ってくるかとも思ったけれど、レギュくんは意外にも「ですね」と杖を振って椅子を出してくれた。


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