013 眩しかった話



「──千智!」

腕を掴まれる。
肩を抱かれた。
わたしは振り向かないまま、シリウスの手にそっと触れる。「……痛いよ」と軽く笑えば、力は緩まった。耳元で少し乱れた息に、走って追いかけてきてくれたのだとわかって嬉しかった。ちら、と目をやると、なんとも言い表せない表情のシリウスがいた。

「……あは。変なカオ」
「……千智。良かったのかよ」
「何が?」
「やっぱり、会って、話した方が良かったんじゃねえの?」
「んー……」
「んー、じゃねって。今からでも戻って、一緒に行こうって!」
「いや……いいよ」
「いいよって──」
「話なら──もうしたし」

「…………は?」ポカンとするシリウスかわいいなー、とか思うわたしはどれだけ空気が読めないんだろう。ふふ、と目を細めれば頬を染めるシリウスもシリウスだけど。わたしはシリウスの手を引いて、再びテクテクと歩き出す。そろそろ暗なるだろう空を見て、ああ冬だ、なんて当たり前のことを実感した。

「千智?あの、どういう事?」
「話っていうか。目、合っちゃった」
「……え、バレてた?」
「バレバレだったみたい」

考えてみれば、あんな電信柱なんかで育ち盛りの西洋人2人を覆い隠せるわけがない。肩とかなんて多分思いっきり見えてたんじゃないだろうか。頭脳派、かっこわらいのわたし達にしてみれば大した失敗である。「これ、どこ向かってんの?」と首を傾げるシリウスをよそに、絡めた指をくんと引く。さすが碁盤目状なだけあって、行っても行っても十字路が続く道を、行くあてもないまま歩き続けた。

「……それで?」
「うん。目が合ってさ。焦ったけど、とりあえず笑ってみた。お父さんも笑ってくれた。すごく驚いてたけどね」
「──凄いな。気付いたのか」
「まあ、わたしがお母さんそっくりだしね……とぼけようがないって感じ。昔の事を──なかったことにでもしてない限りはね」
「…………」
「わたしのことなんて、もう忘れてると思ってた」

あの、驚いたカオ。
あの、哀しそうな目。
覚えてはいたけれど、もしかすると、忘れたいことだったのかもしれない。そう考えるとほのかに悲しい気持ちにはなったけれど。

「戸惑っているようなお父さんに、わたしはね、こう言ったんだ。『わたしにも、新しい大切なひとが出来たんだよ』って」
「……成るほどね。オレには、よくわかんねーけど」
「そしてお父さんはシリウスのことを一瞬だけ睨んだ」
「お父さあああん!!」
「──で。お父さんもわたしを見て、『愛してるよ』って言ってくれた気がする」

気のせいだろうか。
気のせいなのかもしれない。
けれど、何なのだろうか。
この、高揚感は。

「いっつも使ってるテレパシーも、マグルに試したことなかったから伝わったかどうかはわからないんだけどね──なんかもう、それでいいや」
「いいのか」
「うん。もう満足」
「…………そっか」

シリウスは静かに笑ってみせたが、あまりよく理解出来てはいなさそうだった。第三者であることは別としても、シリウスは家庭で家族愛という概念を育んできてはいないから、当然なのかもしれない。けれど情に厚い。指先に力を込めると、同じだけ返ってくるそれに、思わず綻ぶ。──これにてわたしの、ささやかな邂逅の願いは叶ったのだ。顔が見れたことだけでも、幸せそうに娘を抱き上げる姿を見れただけでも充分なのに、わたしに微笑んでくれた。

「《金色の断罪者》は、ここで終わり」
「……なんかさ、オレにはやっぱよくわかんねんだけど……名前が一つ消えるのって、どんな気分?」
「うーん、そうだね……」

少し考えて、「よくわかんない」と答える。今まで色んな人間からさんざ好き勝手揶喩されてきたわたしだけれど、彼ら彼女らが一体何を思ってそう名付けてきたかは知らないし、わたしが『これぞ我が名だ』だなんて思うほどにしっくりきた名前なわけでもない。

「けど、そうだね──あえて言うなら、……悪くない。そう、悪くないよ」

深く息を吸って、吐く。
冷え込んだ空気が酷く気持ちいい。
シリウスは「そっか」と頷いた。

「……さて。せっかく来たんだから、ちょっと日本食にでも挑戦してみようか、シリウス」
「お!いいな。そーいや腹減ってきた」
「ふっ。こんなこともあろうかと、空港で日本円に換金済みさ」
「千智かっこいい!」
「っていうか今回の旅費は全部わたし持ちだからね」
「……かたじけない」

シリウスはあからさまにしょぼくれた。親子であまり仲のよろしくない彼は例えおこずかいをクリスマスプレゼントで使い切ってしまったとしても増額を要求するのは嫌だと我慢するらしい。というわけで、お坊ちゃまの癖にクリスマス貧乏。

「グリンコッツに、個人で口座作っちゃえばいいんだよ。送られてくるお金、全部手元に置いてるからそうなる」
「くそ……オレにだって、家に鍵さえ忘れて来なければ!」
「おお。あるんだ」
「叔父の口座が」
「遺産か」

ボンボンはどこまで行ってもボンボンなのか。やっぱり、でっかい家にはそれなりに遺産もあるらしい。相続問題だなんて、色々大変な話である。そんな会話をしながら、適当に見えた看板に従って小料理屋ののれんをくぐり(長身のくせに身を屈めないシリウスはのれんを顔にくっつけた)、適当な席についた。日本ではおてふきと飲み水が普通についてくるので、いい。一口飲んで、喉を潤した。

「何食べようか」
「メニューが読めん……」
「あ、そっか。読み書きは日本語仕様ムリだったんだっけ。わたしが決めてあげようか」
「美味いの頼むな」
「えー、どうしよっかな」
「ええ!?」

初めての本場日本食であまり失敗させたくないので刺身系は避けておいて、とメニューを眺める。まあ無難に、定食とかでいいのかもしれない。店の人を呼んで、トンカツ定食ときつねうどんを頼んだ。

「トンカツって、どんなの?」
「んー……1トンある豚」
「いや絶対ウソだろ!」
「ウソだけど。ねえシリウス。クリスマスだしシリウスに惚れてもう3年経ったし、今夜は一緒のベッドで過ごそうか」
「……マジ?」
「ウソだけど」


イギリスのロンドン着、飛行機でフライトすることやや久し。機内食に感動したりテレビを見たりのシリウスははしゃぎ過ぎてその間熟睡する。ダイアゴン横町の漏れ鍋にて煙突を借りる。その際ミリアちゃんとステラちゃんに遭遇して冷やかしを受ける。そしてホグワーツの校長室、煙突に到着。シリウスが校長室なんて激レアだといって瞳を輝かせ捜索へと乗り出そうとしたので「わたしより校長のお宝が大事なの?」引きずって談話室まで連れて帰ること約10分。「たっだいまー!」「ただいまー!」──わたし達はソファに寝転んでぐったりとしていた。

「つっ…………かれたあ……」
「オレ、海外旅行も初めてなのに……」
「ああ、ごめんねシリウス。疲れたでしょう?どうせなら一泊すれば良かったかな……。でもせっかくだしホグワーツで過ごしたいかなって」
「うん……。その方がいい。やっぱりここ、落ち着くからな。家だし」
「だね」

少しぼんやりとする視界には天井が映る。照明がちょうど真上にあるというので光から逸らした先に、別のソファに横になるシリウスがいたので固定した。

「……ありがとうね」
「え?」
「ついて来てくれて」
「ん、ああ──オレも千智の親とか、国、見てみたかったし。気にすんなよ」
「うん。ドイツにはまた案内するね」
「おう、楽しみだ。──約束。今度は、破んなよな」
「……うん」

さらさらの黒髪、少し長いのでソファに流れるそれを眩しく感じながら、頷いた。シリウス、好きだよ。そう呟けばオレもだよと返ってくる。2年前と同じ関係。のようでいて、少し違うのは。のそりと起き上がったシリウスが、わたしの寝転んでいるところに近付いてきて、顔の両横にそっと手をついてきたところあたりだろう。

「千智、さ……その……いっこ、とりあえず、念のため、確認しておきたいことがあるんだけど……」
「……ん?なに、シリウス」
「本当に浮気してない?……いでっ!」
「疑うの?悲しいから殺すよ」
「こわいこわい!そして痛い!」
「シリウスを殺したらホグワーツ中の美少女が喜ぶかもしれないなあ」
「そんな!」
「でもわたしは悲しくなるから後を追って自殺するね」
「…………」

目を細めてそう言い切ると、頬に触れられる。「悲しくなるならまずオレを殺すなよな」苦笑するその表情も、とても大人っぽくなったと思う。ミリアちゃんもジェームズもリリーもリーマスもピーターもステラちゃんも、3年生の頃と比べるとまるで大人と子供だ。成長した、というだけではないのだろうが、こうもハッキリとした変化を目の前にすると、何年もの間、ひとりで勝手に壁を作って、諦めた振りをして、暗くなって、ごまかして生きてきた自分はずいぶんと取り残されていたような気がする。わたしは10センチの距離もないシリウスのきれいな目を見つめて、まぶしかった、と口にした。

「眩しかった。きれいで、子供で、強くて前向きで、ひたむきな。シリウス達がずっと、眩しかった」
「……千智のもつ金色の髪と目は、光に反射してキラキラ輝くけど。それよりも?」
「うん。──でもね、今は、昔よりはずっと、近くにいるなって感じるよ」
「オレはずっと……そばにいたんだけどな。ほら、手。伸ばせば触れられる」
「……気付かなかったな。わたし、とてつもない馬鹿だから」
「またそんなこと言って」
「ほんとだもん」

くすりと笑うシリウスはわたしを置いて行きはしない。恋人だけではなく、わたしの友達だってそうだ。思えばわたしたちのためにこんな時間をプレゼントしてくれた彼らが、わたしを独りきりにするとは到底考えられないのだ。転入してから、進級して、消えて帰ってきた後も、何かと言ってひっついてきてはわたしを温かく諭すようなことを言って。

「オレはお前が好きだよ」
「うん。わたしは愛してる」

ああ、しあわせだ。

「浮気はしてない。処女だよ」
「ぶっ」


触れるだけのキスが好きだった。でも今は少しでも長く、深く、強くひとつになっていたいと願う。舌を出して、絡めて、舐め合う気持ちよさも、多分今になって初めてわかることだった。もっと早かったなら、こんなにも切なくて、幸福に泣く夜が来ることはなかったかもしれない。シリウスがわたしの上に乗しかかる。髪の毛から首筋までを撫でまわして、キスをするので時折耳にかかる息にゾクゾクして、震えるとシリウスは笑った。おとこのこ、だったのにな。貪るように啄んでいくシリウスはただのひとだった。わたしもたぶん、おんなのこだったのに。いや、ただの子供のケモノだったというのに。

「……なんで泣いてるの、千智──痛い?」
「わかんな……うれしい、のかな……」

痛い。
気持ちいい。
苦しい。
幸せだ。

触れて触れられて、堪え切れずに縋り付いた身体は酷く熱かった。大好きな抱擁と慣れないキスの波にのまれて、息遣いと絡む舌の音が反響する中、何も考えられなくなった先にあるのはふたりだけの幸福な明日だと信じていいのだろうか。がむしゃらに抱き合って、1番ちかくにあるものに手を伸ばしていいだろうか。いつか遠くない日にやってくる、自分達さえ共にあればいいという未来を迎えてしまってもいいじゃないかとぼんやり思う、今だけはこの身勝手に染まってもいいだろうか。おろかしくもいとおしい、情けなくてちっぽけな、ただの人間になってもいいだろうか。何の力も持たないただのわたしが、シリウスの背中に爪を立てる。その痛みに微笑する彼に涙をこぼして、ただ名前を呼ぶしかないわたしをシリウスは優しくあやすようにさわった。こわくない。こわいわけじゃない。ただおそろしい。でも悪くない。矛盾している。それでいい。わからなくていい。わからなくなっていい。わたしは少し考えすぎたから、もう何もわからなくなって、ただシリウスに縋れればいい。今だけはそんなわたしでいればいい。だってシリウスしか見ていないから。わたしを見てくれるのが、彼だけであれば。もっと溺れられるのに。シリウス、シリウス、しりうす、しりうすシリウスシリウス、シリウス、シリウス、きれいなひとよ。まっすぐに星をみつめて輝くひとみ。今は欲でギラギラと、燃えているような、暗い。けど、

こわくないよ。
あなたに触れてるよ。
ここにいるよ。

やっといちばん、
近づけた。

ひかる。

星。


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