011 女が劣っている



「わしは知らんよ」

ぴしっ、と、空気が凍りついたような気がした。と共にわたしの頬はひくついた。あっけらかんとした声色と普段と変化のないくそむかつく優しげなおじいさんことダンブルドア、こうして朝っぱらからテレビ電話のような魔法の道具を校長室から拝借してきたご苦労なわたしとシリウスは、顔を見合わせることとなる。知らないのか……。そうか。と、自然と下がっていってしまうこうべを、シリウスが支えてくれる。

「……本当に知らないのか?」
「それがのう。残念じゃが、シリウス。わしは千智の父親の行方については、何も知らぬのじゃ。まさか千智が会いたがるようになるとは、思わなんだからのう」
「……だってさ、シリウス」
「うわっ!千智、泣くなよ!」
「…………」

泣いてないよ何言ってんだよばかやろう、と答えようとしたところで頬を伝う感覚に気付く。泣いているらしい。どうしてわたしは泣いているのだろう、などと、もう自問する飄々さはわたしにはない。モニターの向こう側で目を丸くしている様子のダンブルドアをぼやけた視界に捉えながら、わたしはシリウスに抱かれる。

「泣くなよ千智ー!……いや、泣け!いっぱい、泣け!でも諦めんな!オレが探し出してやるから!」
「……シリウス……」
「ん?」
「切ない……」
「泣くなー!」

……いや、泣けー!
再び慌ててそう付け足すシリウスに、一体どっちだよと突っ込みながらも目からはボロボロと勝手に流れ出す。涙ですらこぼれ落ちて、お父さんを求めているかのように、勝手に粒を作っては、床へと滴っていく。シリウスのセーターにも染みを作る。シリウス、と呼ぼうとして、鼻声に気付いた。涙をこぼすのは切ないから。けれど、何がどうして切ないのか。それはまだ、わたしにはわからない。

「泣いてる千智もオレは可愛いと思うけど!千智にとっちゃーいい兆候なんだけどでも!どっちかっていうと笑ってて欲しい……!これって永遠のスパイラル!」
「し……りうス、はっ。へ、変態のしゅっ、み、だね……っ」
「ああ千智。鼻かむか?」
「うんっ」
「はい、ちーん」

ちーん。
って、さすがにやらないよ。
仮にも女の子だよ。
差し出されたティッシュは素直に受け取って、背中を向けて鼻をかんだ。「涙声かわいい」後ろから腕を回して、目尻のキスをくれたシリウスを見て、その存在をすっかり忘れていたダンブルドアはモニターに笑顔を映す。「シリウスはすっかり元気になったようじゃの」口元は真っ白なひげで覆われているものの、綺麗に孤を描いているだろうことは目でわかる。「あー……はい」シリウスは気まずそうに視線をそらして、かゆくもないだろう頬をかいていた。過去を振り返っているらしい。責任の一端がわたしにある以上はそれについてはもう何も言ってはいけないのであろうが。気にくわないでは、ある。でもまあそんなこと思ってる場合ではなく、

「千智ー……」
「もう……会えないのかな……」
「……可愛い!」
「なんで!?」

まじめに悲しくて弱音を吐いたら何故か落雷を浴びたような顔でほお擦りするシリウス。不謹慎だと思った。「何の話ですか?」と、騒いでいるとモニターのすみっこにミネちゃんの姿が映る。一緒にいたのか。たぶんダンブルドアの研究の手伝いか何かだろう。「諦めんな、千智。捜す手段なんて、まだまだ残ってるさ」わたしの肩を抱いて、かっこよく微笑むシリウス。キラキラして見えた。シリウス……とわたしがうっとり見上げ、慰めのちゅうを受けようとした時。

「私、知ってますけど」

「な、っえ?」寸前でモニターに振り向いた。その際にわたしの髪がシリウスの顔面にぶつかってしまったのは悪かったと思うけど。「いいにおい……」匂いを嗅ぐシリウスは何だかもう犬にしか見えない。

「まあ、会ったのは3年前ですからね。今もそこに住んでいるとは限りませんが」
「……っと。ミネちゃん、どゆこと?」
「どういうこともこういうことも。あなたの母親、ネルドレと結婚はしていなかったものの、彼は一応、あなたと血の繋がりがある唯一の人間でしたからね」

わしにかけてきたのに……と、ミネちゃんのきびきびした声にまぎれてモニターから消えたダンブルドアの拗ねたような声が聞こえてきたのは、わたしもシリウスもスルーする。そんな場面ではないのである。

「あなたがホグワーツに入学するにあたり、その旨を伝えておきました」
「……伝えたの?」
「はい」
「わたしがいるって?」
「ええ」
「生きてるって……?」
「ええ。伝えました」

ミネちゃん……、
メシア!救世主!
まったく、いつも飄々とした顔をしている癖に、いざという時に頼りになる先生である。「そ、それでっ」はやりを抑えられないのか、弾んだ調子でシリウスが言う。

「そん時、親父さんは、何て言ってたんだ!?……すか?」
「……『よろしく頼みます』と」

「…………う」
「千智……」
「わああああん!」
「千智ー!?泣くなー!いや、泣け!今は泣け!せーいっぱい泣け!」
「シリウスのアホー!」
「えー!?」
「アボカドー!」
「それはちょっと違うかも!」


「よかったな、住所教えてもらえて」

朝食のパンにオレンジのジャムをぬりながらシリウスが笑いかけてきた。うん、とわたしは返し、持っていた紙切れをひらひらとはためかせてから、くしゃくしゃにならないようポケットに戻す。「ミネちゃんの方がしってるとは思わなかった」パンを受け取って、シリウスが自分の分をぬり終えるのを待って、ふたりで食べ始める。

「……やっぱり日本かぁ」
「……千智、もしかして予想してた?」
「うーん……なんとなく、ね。お父さんの顔、思い出した時に。なんつーの、オリエンタル?みたいな」
「ふうん……じゃあさ、千智がホグワーツに来る前に日本にいたってのも、親父さん探すためだった?」
「それはどうかな。記憶なかったわけだし……もしかしたら無意識だったのかもしれないけど」

でも、記憶がなくて、手掛かりもなくて、そんな昔に。もしそれでお父さんと出会うことが出来ていたとしたなら、それは運命だって思ってた。

「教えてもらったこの住所ね……わたし、結構近くの中学通ってたみたい」
「え、マジで?」
「うん。……もしかしたら、自分でも気付かないうちにすれ違ったこととか、あったりして」
「……そっか」

食べながら、そんな会話をする。シリウスと家族の話をするなんて、一体いつぶりのことだろうか。そもそもそういった話題を極力避けていたわたしは、『わたしの家族』について他人に語った機会など数える程度もなかったことだと思う。ほとんどの人間はそれに気付かなかったし、わたし自身もそれでいいと思っていた。

「だったらさ、見つけようぜ。運命はふたりを引き合わせちゃくれなかったかもしれないけど、オレ達は運命を引きずってでも大切なひとに会いに行く」

……けど、いるんだな。
自分の全てを知ってもらいたいと、心の底からそう思えるやつって。

「……幸せに、してたらいいな」

素直にそう思わせてくれる人が。


「シリウス!準備出来たよー」

女子寮から階段づてに降りてみると、すでに身支度を調えたらしいシリウスはこちらを振り向いて「お。可愛い可愛い」と言った。頬が熱くなるのを自覚しつつも「シリウスかっこいい」ポーカーフェイス的な抑揚でそう返したら頬を染めて微笑まれた。わたしより素直なやつだよなあ……。黒いモコモコのファーネックのワンポイント(バラのブローチ)どめ。明るいベージュ色のコート。赤と緑のチェックスカート。ブーツ。お化粧は上手くないからリップだけ。これでも自分的には女の子風なおめかしをしてどこへ行こうかというと言うまでもなく、ジャパンである。右手にはミネちゃんによるアドレスの書いた紙、左手にはわざと手袋をしていないシリウスの手を握って、出発に向けて勇気をひねる。

「シリウス、寒くないの?手袋」
「へいき。千智が手ぇ繋いでくれてるし。それにマフラーも、あるしな」
「マフラー、あんまり綺麗く出来なかったんだけど……」
「充分あったかいよ」
「ほんとう?」
「うん。千智、愛してる」
「…………」

そういうことを聞いたんじゃない!


京都。
とある、おこしやすの街である。
京都に煙突ネットワークなんて繋げる日本人はいない(というかこの国は魔法使いが極端に少ない)ので、札幌に一度飛んで、飛行機に乗って旅行気分を味わってみた。別にわたしのなんちゃって発明品を使った方が楽なのは確かだったのだろうけれど、そこはほら、今日はクリスマスで、わたしとシリウスは恋人で、「すげー!飛行機すげー!雲の上を機械が飛んでるぜ!」で、まあ、察してほしいところである。

「日本の景色はいいな。あんまりゴチャついてない感じで」
「でしょ?京都は特にそうだよ。家からほんのり香る木の匂いとか、少し古びて黒ずんだ茶色とか、好き。どこか気配が静かだしね」
「星が綺麗そうだなぁ」
「うん。でも、多分もう少し時代が進んだら、ここも色んなビルが建てられて、街が明るくなってあんまり見えなくなっちゃうかも」
「そうなの?欧米化、ってやつか」
「むしろ『欧米か!』だけどね」
「うん?」
「うん?」

首を傾げるシリウス。
わたしも傾げた。
なんだ今の、デジャヴュ。

「……まあとにかくアレだ。お父さん、いたらいいなってね」
「おお。オレも挨拶しておきたいしな。『千智のフィアンセです!』」

目を爛々とさせて意気込むシリウスを横目に「……言っとくけど、話しはしないからね?」と念を押すように呟く。ええっ!と驚きの声と友に力が強まった手に目をやる。今こうして当たり前に繋いでられるのって、実はそうじゃなくて、これは物凄く幸せなことなんだよなあ……。そしてその幸せのもとには、誰かの不幸せが下敷きになっている。

「たりめーでしょ。会うっつっても、ちらっと、顔見るだけ」
「なんで!?」
「……あのさあ。あっちにも家庭っつうもんがあんのよね」

多分結婚してるんだろうな。と、思う。子供とかいんのかな。とか、一応は気になってみたりする。そしたらわたしの弟妹じゃん、とも思うけど、事実関係的に言えばシュラバな展開にもなりえてしまう具合である。

「お母さんとはまだ籍入れてなかったし。結婚できる年じゃなかったしね──つまりわたしはメカケの娘、的な立場じゃないか」
「いや、ちげーだろ。元恋人の娘だろ」
「どっちにしろ、お父さんはお母さんを捨てたことになるからそれが他人にバレちゃった時点でお父さんの評価は最悪になるよ。凍りつくよ」
「気、遣ってんだ?」

わたしたちは、こんな静かな平和の街で、並んで、一体何の会話をしているんだと呆れそうにはなるものの、シリウスは真面目にわたしの心配をしてくれているのだから切り換えられない。

「いーんだよ、わたしは『いない子』で。でも顔くらい見たいなって。ほら、そっちこそちゃんと生きてるんだろうなー、とか、人に忘れろ言っといてお前忘れてないんじゃねーか、とか、さ」
「んなごまかさなくっていんだって。オレはちゃんとわかってっから」
「……シリウス。なんていうか、余裕できてきたね?」
「ん。まあ、ちょっとはオレがリードしなきゃって、前の反省も踏まえて分かったし」
「さいですか」
「……それに千智も、最近ちょっと余裕なくなってきたのが分かったし」
「……さいですか」

ほかほかの肉まんに噛み付いて、少しだけ俯いた。「照れてやんの」との声は、和菓子屋さんを脇見することで無視をした。ミリアちゃんに、お土産とか買って行こうかな。

「千智が日本語話せるのって、親父さんの影響?父親が日本人だったから?」
「んにゃ、お母さん話せなかったからお父さんが英語喋ってたよ確か。だから家族で住んでた家では日本語使ってない。わたしはちゃんと語学を勉強してから日本に来たんだよ」
「ふうん。……親父さん、千智の母さんのために勉強したんだ」
「それは知らないけど」

日本語の勉強といっても、元々カイと暮らしてた時には七生が日本人だったんだけど。書物だって殆どが日本語だったので読み書きは七生から学んだわけだ。12月の枯れた木々を仰ぎながら、春に来たら桜が満開で綺麗だよと教えてやる。シリウスは嬉しそうに頷いて、じゃあイースターにまた来ようと言った。

「なー千智、あとどれくらい歩くの?」
「んー……もう着いてもおかしくない筈なんだけどな……」
「……あ。千智、地図を貸して」
「は?」

渡してやった。
シリウスは受け取った地図をパッと見て、「千智。これ、逆さま」と言った。
わたしのナビゲート不備だった。

「…………」
「方向オンチは治んないなー」
「うるさいよ!」
「もう。これはオレが持つ。千智には、任せてらんない」
「えーっ!大丈夫だってば!」
「だーめ。これじゃあ夜になっても着かないよ。千智、ヒョーゴ行こうとしてんじゃん」
「してないもん。わたしだって本気出せば、こんなもん……」
「じゃーはやく本気出してくださーい」
「…………」

もういい。
シリウス、嫌い。
シリウスを置いて歩き出す。
「おーい。逆、逆」
…………。


結局、始めて日本に来たシリウスのナビゲートで指定された町の案内板が立てられている境界に辿り着いた。うっきうきしているシリウスを尻目にわたしは何とも言えない屈辱感を味わいながら、毛糸のマフラーを引っ張った。冬だというのに、いやむしろクリスマスだからか、町にはカップルや親子連れが多く歩いている。っていうか日本、仏教徒のはずでは……ミリアちゃんもメッチャ浮かれてたし……心中ツッコミを入れて、わたし達も手を繋いでその群れに混ざることにした。

「さっき町の地図見たけどさ。この住所、住宅街みたい。ここまで来たらあと数分くらいで着くんじゃねえかな」
「地理感あるね……」
「んな落ち込むなって。よく言うだろ?『男は立体的にものを見る。女は平面的にものを見る』」
「それって女が劣ってるってことかな」
「千智千智。目が笑ってないから」
「おっ。あそこかな?」
「無視?」

苦しまぎれのつもりだったけど、指の先には先程までとはまた違った雰囲気の建物、というより一軒家が並んでいる。シティーというよりはタウンな感じの景色にまた感心しながら歩いていく。「うーん。やっぱり家で祝うか出かけるかだよね。公園にも全然人いないや」とこぼした瞬間、シリウスが「あれ?いたぞ、人」と言って、ブランコと滑り台しかない、小さな公園のベンチを指さした。こいつ、わたしの出番をことごとく奪う気じゃないだろうな……。


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