010 結局それが嫌だった



「んー……フレンチトーストより、サンドウィッチ!」
「フレンチトースト、好きだよ」
「オムレツよりスクランブルエッグ!」
「オムレツ、好きだよ」
「チキンソテーより七面鳥!」
「チキンソテー、好きだよ。ねえシリウス、きみは一体何を言ってるの?」
「ん?千智の得意そうな料理」
「おちょくってんのか」

切って挟むだけのサンドウィッチ。フライパンの上でグシャグシャにするだけのスクランブルエッグ。丸ごと焼くだけの七面鳥。…………。

「共に障害を乗り越えてこそ、恋人だ。オレはずっと、こういうイベントを待ってたんだ。何たって、千智との共同作業!なんちゃって二人暮らし!ひとつ屋根の下!ひゃっほう!」
「最後のは3年前からずっとですが」

厨房。
たくさんの食材。
ある。
たくさんの調理器具。
ある。
たくさんの料理レシピ。
ある。
たくさんのしもべ妖精。
いない。

ホグワーツのしもべ妖精って帰る場所とかあるのだろうか。そんなことを考えながらも、バカみたいに広い厨房の、手洗い場(大勢のしもべ妖精が長蛇の列を作らなくて済むように横に広く、蛇口がたくさんくっついている。)にシリウスとふたりで立っている現状にことごとく辟易する。何が悲しくて、エプロンを着用せねばならんのだ。いや、シリウスのエプロン姿はいいけど。腕まくりしてる様子がいやに可愛らしいけど。何が悲しくて、料理なんていう、面倒な家庭科というカテゴリの分野に挑戦しなければならないのだ。

「……っ。料理なんてのはな、ミリアちゃんが作っていればいいじゃないか!適材は、すみやかに適所へ派遣!」
「それ、結婚しても言う気?」
「うっ……」
「ラザニア家政婦として雇えってか?もれなくスネイプもついてくんぜ」
「うっ……」
「『ママー、今日もインスタント食品?飽きちゃったよー』」
「うっ……」
「諦めて、昼メシ作ろーぜ。サンドウィッチでいーじゃん」

シリウスの綺麗な笑顔に、最終的にわたしは、はい、と返事をした。なんとなく有無を言わさないリーマスみたいな笑顔だったからである。そんなもん習得しなくて良かったのに、と思いながら、巨大な冷蔵庫からサンドウィッチに適した食材を取り出して、作業台に並べる。「チ・キ・ン!チ・キ・ン!」……くそう。可愛い。

「パンは今朝の朝食用に作ったのが残ってるぜ。はりきっていっぱい作るもんだから、すっげー余るんだよな」
「じゃあシリウス、パン切ってて。わたしレタス洗って具材切っとくから」
「千智、包丁、使えるか?」
「馬鹿にすんなよ。ていうかシリウスこそ出来んの?お坊ちゃんのくせにさ」
「坊ちゃん言うな。料理は出来るよ。着々と準備してんだからな」
「準備?」

綺麗な色のついた四角くて長いパンをスライスしていくシリウスの手際は、なかなか、よい。わたしもレタスを何枚か剥いて、土を水で軽く洗い流す。トマトは挟みやすいように薄く切って、容器に移した。適当な大きさに切った鶏肉は衣を作って浸け、パン粉をまぶして油で揚げた。揚げの作業はシリウスがやってくれた。「油とんだら危ない」だそうだ。ときめいた。ときめいてばかりなので、たまにはときめかせてやりたいんだけどなあ。具材の、ちょっと焦げ目のついたスクランブルエッグを見て、ため息を吐いた。


「──オレさ、卒業するまでにブラック家とは縁切ろうかって思うんだ」

シリウスはそう言って、チキンカツとレタスとマヨネーズのサンドウィッチに噛み付いた。サクッと気味のいい音がする。わたしはというと、レタスとスクランブルエッグとケチャップのサンドウィッチを頬張ろうと大口開けたまま固まった。「千智、驚きすぎだから」苦笑されて改めて頬張るも、卵のもそもそ感が不快でオレンジジュースで流した。やっぱり料理は嫌いだ。いっそのこと、わたしとシリウスが結婚する時はミリアちゃんもセブセブと結婚してしまえばいい。二世帯住宅がなんぼのものだ。

「絶縁しちゃうってこと?」
「ん。出来れば、次の夏休みに」
「――ふぅん」
「あの家はさ、やっぱ耐えらんねぇや。オレが悪いのかって、落ち込んだ時期も昔あったけど──で。その、家を出た後のことだけど、ジェームズんちに世話んなるから。手紙はそっち、送ってくれ」
「……え」
「なに」
「うちに来ればいいのに」
「…………」

ガショーン、という音は、シリウスがコーンサラダの皿にフォークを落としたそれである。おお、これ見るの2回目だ。じゃなくて。わたしの口は今なんと口走りやがった?「……あ、あのね?今のは、気にしないで。気にしなくて、いい」顔を赤くしたシリウスはわたしを見てふるふると震えているし、わたしも恥ずかしいし。

「えっと、げ、幻聴だってば!」
「……思わず本音が漏れたって、思っていいか?」
「……解釈は……お好きにどうぞ」
「うん……」
「…………」

気まずい。
というか、恥ずかしい。
食事中にこんなムードよくなってどうするんだよ。シリウスから気を逸らそうと周りを見るものの、大広間、誰もいない。いつも厨房からどうやって食事が運ばれてくるのだろうと前から不思議に感じていたけど、厨房にある、完成した食事を置く台がテレポート装置となっていたようで、わたしとシリウスはサンドウィッチを持ったままテレポート。談話室でも全然よかったんだけど、まあ、せっかく誰もいないことですし。普段大勢で使っている空間をふたりじめできることの新鮮さは知っていた。

「千智」
「ん、んっ?」
「そっちの皿、取って」
「こっちって……スクランブルエッグサンド(わたし作)じゃん。駄目だよ、今食べてんの、すごいまずいよ」
「愛妻サンドが食いたいのっ!オレは!ほら千智もオレのチキンカツサンド食って!交換!」
「え、ええー……なんかシリウス、強引になったね」
「一貫して可愛いわがまま聞いて満足する段階は終わったの。可愛がるだけじゃーダメだってわかったから。ほら、オレって愛されキャラだしさ。……よし。誰も見てないから。あーん」
「これは『可愛がる』だよね」

食べるけどよ。


「その『家出』だけどさ。わたしに何か手伝えることはある?」

食後。おまけに、お皿洗い後。濡れた手を拭いて、談話室に戻ったわたし達はまったりと紅茶を前にソファでくつろぐ。「あんまひっつくと夜まで待てなくなるから」とか何とかいうシリウスの言い分で向かい同士に座っているのだけれど。シリウスはわたしの問い掛けに、うーん、と唸り考える仕草をするも、ちょっともしないうちに「ねぇや」と言った。

「え、ないの?」
「うん。ステラやラザニアは、何かお前色々やってたみたいだけど、オレはいいよ。千智は待ってるだけでいい」
「遠慮しなくていいのに」
「遠慮っつーのも違うけど。……なんつーか、オレ、自分の力、信じてるから。千智に頼るとかじゃなくて、自分ひとりだけで、やり遂げたいんだ」
「……ふうん」

だから今回はあいつらの手助けもいらねえ。と、シリウスは言う。やっぱりこういうところでシリウスの意志は固いし、それに強い。黒夫人にはよろしく助太刀を頼まれはしたものの、多分今回は本当にわたしの力など必要ない。シリウスは強い。

「……あ。ミリアちゃんといえば、シリウスって何で未だにミリアちゃんのこと、嫌ってるわけ?いい加減ケンカとか、やめなよ」
「あいつ千智の親友だとか吐かしてっからな。恋人としてはライバルなの」
「わっかんないなー……」
「それに……あいつとは、ホグワーツで会う前に会ったことあるからな」
「そうなの?」
「ああ。純血集まりのパーティーでな。あいつ、存在感ありすぎだ。うちの親も異端児見る目で見てたよ」
「ヒーラーだから?」
「……も、あるけど。で、あいつと喋ったことある。そこで嫌いになった。ホグワーツ来てからも何か、死んだ魚みたいな目ェしててさ。ムカついたんだ。自分は何も関係ありません、みたいな顔しやがってって。そんで、今までずっとそんなだったつまんねぇ奴が、オレの千智とベタベタベタベタ……腹立つ!」
「結局そこなのか」
「スネイプも嫌いだ。元から嫌いだったけど今はもっと嫌いだ。あいつ、千智がいなかった間、顔を見れば千智の名前出して、オレは捨てられただの見放されただの血がどうのって……千智が仲良いのも気にくわない」
「…………」

そんなこと言ってたのか、セブセブ。
多分あいつのことだから、ここぞとばかりにシリウスにぐちぐちと不安を煽るような言葉をぶつけたに違いない。周りの噂や婚約者やカイのこともそうだけど、そんな二次災害にも見舞われていたなんて……。

「ほんと、ごめん……」
「もう、謝んのはいーよ」
「じゃあ、じゃあ、ハグは?」
「それは喜んで」


夕方。
というか、わたしにとってはシリウスに泣いたりわめいたり仲直りしたりお話をしたりお昼ご飯自分たちで作ったり色んなことがあったから、もっとたくさん、時間が流れているような気がしたのだけれど、そういうわけで、まだ夕方。ホグワーツ内の生物が消えて、じゃあハグリットはどうなんだろうとシリウスと二人で外へ出てみたらやっぱりいなくて、まるでプレゼントのように飾り立てられたモミの木が中庭に植えられていたのを手をつないで見つめて、ディナーの仕度をしようとして、そんな豪勢なもの作れなくて、わたしは何気にシリウスの足を引っ張ったりしながらシチューを作ることに成功して、夕飯の時間までまったりしているわけだけど。

「暇だなあ……」
「オレといんの、やなわけ?」
「そんなことあるわけないけどさあ。でもなんか、半日忙しかったから」
「なんなら暇つぶしに、オレの初恋の話でもしてやろーか?」
「え、やだよ。なんでそんな自殺行為」
「自殺って、千智の話なんだけど」
「は?初恋わたし?ちっさい頃の恋とか、ほんとにないの?わたしが言うのもなんだけどさ、シリウスって淋しいやつだよね」
「…………」

千智に言われたくねーんだけど、とでも言いたげにムスッとシリウスは見てくるけれど、だってわたしの場合、周りに同い年頃の人間がいなかっただけだし。シリウスなんて純血繋がりで、同年代の子供なんざ山ほどいたはずである。こぼすとシリウスは犬のように鼻を鳴らす。「うそうそ。いなくて良かったって、思ってる。絶対嫉妬しちゃうもん」と言うと、満足そうにもう一度鼻を鳴らした。うわ、かわいい。それと長い足を組む仕草は前から思っていたけれど色っぽくて羨ましい。

「小せー頃から、あんま他人のこと信用すんな、仮面に隠された真意を見抜け、さもなくばつけ入られて殺されるぞって教育を受けてきたからさ。パーティーやら会合やらで出会った人間が、薄っぺらい笑みに汚い感情隠してんの見え見えで、嫌だった。で、お前を初めて見たのも、そんなつまんねー日常送ってた頃だった」
「……え。初めてって、ホグワーツで、でなくて?」

確かシリウスとのはじめましては、入学してきて2日目の最初の授業だったと記憶していたけれど。ジェームズ達と喋って、わたしはその後の授業を全部すっぽかして、ホグワーツをブラブラした。その時にシリウスも一緒だったもんだから、シリウスも妙な気を起こしたのだろうと、面前告白されて最初のうちはそう思っていた記憶がある。

「でなくて。うちの母親さ、よっぽど千智が心配だったのか、今思うと、すげー気にしてたんだろうな。お前の写真、つっても日本に滞在してた期間のだけだったみたいだけど、日本にいるって突き止めてからは桐生の人間に頼んで、写真撮って送ってもらってたみたいでさ。うちには千智のアルバムがあるんだよ」
「……うっそー」
「髪の毛、3年前よりもっと短かった頃の千智の写真見てさー」
「恋に落ちたってか?」
「や。むかついた」
「……は!?」
「へらへら笑って、オレがいっつも見てきた大人みたいな顔を、同い年の子供がしてんだから、嫌いになったって道理だろ?だからオレはスリザリンの連中が、一番嫌いなんだ。それでただのマグルっぽい女が何故かうちの母親に執心されてるってんだから気に入らなかった。あの女が子供のアルバム作るなんて、ないからな。正直いって嫉妬したよ」
「……そりゃあすみませんでしたね」
「でも、運動会とか遠足とかのイベントごとで、いやそうでなくても日常のお前がたまに、すっげえ可愛く笑ってる写真があったりしてさ。……なんつーか、その……そんな顔が出来るくせに、お前に仮面つけさせるもんは一体何なんだろうって気になり始めて。で、ずっとアルバム通して見つめてるうちに千智入学してきて。初めてオレに、純粋に笑いかけてくれた時、千智のこと好きになった」
「はあ……知らなかった」

一目惚れじゃなかったらしい。まあ、シリウスみたいに完璧な外見したイケメンに一目惚れしてもらえるような外観じゃないってのは、重々承知していることなのだけれど。

「で、恋だって認識したら、よく写真にツーショットで写ってた髪ツンツンの男が妙に腹立たしかった理由も嫉妬だったんだって気付いた」
「ツンツン……加藤だよ?」
「オレは知らねーよ、そんな男」
「悪友。席が隣でさ」
「そいつがもし今ホグワーツに入学してきてグリフィンドールになって同じ部屋で面倒みてくれってダンブルドアに頼まれたって、オレはぜってー仲良く出来ないな」
「ありえないな」

しかももうそいつ死んでるし。
死んでんの?
死んでる死んでる。
そんな会話を地声でやってのけてしまうわたし達カップルなわけだけれど、これは決して、命という重みを軽んじているわけではないという釈明を心中しつつ、シリウスは不意にお尻に手を当てて何やらゴソゴソした。ズボンのポケットから取り出したらしい何かをよく見てみると、写真のようだった。「お前が入学する前、ジェームズにこの写真見られたことあって、さんざんからかわれた記憶があるよ」小学校の卒業遠足で遊園地行った時の写真らしい。髪の毛短いわたしがバカ笑いでピースして写っている。この笑顔が可愛いなんて言うシリウスは本当にヨクメでわたしを見てるなと思う。

「……黒夫人さあ、多分、うすうすわかってたんじゃないかな。お母さん死んだって。だからわたしの居場所わかっても様子見てたんだ」
「千智の母さんって、千智に似てんの?」
「うん。ていうかわたしがお母さんそっくりみたい。色もまるままお母さんのを受け継いだしね」
「へえ。父さんは?」
「んー……性格の方かな?お父さんはねー、黒目で黒髪のハンサムだった」
「ふーん……今、どーしてんの?」
「…………さあ」

知らないよ、と答えたわたしの表情は、どんなものだろう。シリウスが切なげにわたしの名前を呼んだので、暗い顔をしているのかもしれなかった。「わからない。あれから10年以上経ってるし」

「ダンブルドアなら知ってるかもよ」
「そっかな……ぶっちゃけ、お父さんのことなんて考えたこともなかった」
「覚えてなかったんだから、しょうがねって。それより今だよ。オレ、千智の父さん、会ってみたい」
「会いたいって……」
「だって、千智のこと、助けてくれたんだろ?きっと父親として、生きろって、言ったんだよ。自分の子供に、生きて欲しいって思ったんだって」
「…………」
「そーだって!」

お母さんと接触して、記憶を託され取り戻し、お父さんの顔を思い出した今。淋しげに笑みを浮かべるあの人のことを考えると切ない。足を解いて、いつのまにかすぐ隣まで来ていたらしいシリウスがピッタリと寄り添うように座って、頭にそっと触れる。肩に頭を預けるような形で、こてりとシリウスに寄りかる。たとえばシリウスの言った通りで、そうだったとしても。

「……お父さん、もう新しい家族が出来てるよ。きっとね」
「……言ってた、婚約者?」
「多分ね。多分、幸せだよ。わたし達といるよりは、ずっとずっと幸せなはずだよ。だから、会わなくていい」
「千智は?」
「ん?」
「千智はどうなんだよ。会いたいの、会いたくないの」
「…………」

ああくそう。
まっすぐな男め。
この期に及んで、こんな立場で、こんな状況の中、自分の気持ちを優先しろなんて。

「…………」
「どーなんだよ!」

お前みたくなりたい。

「……会いたい」

ぽつりと、呟く。
「だっろぉ!?」
と、喜色満面のシリウス。

「よっしゃー!んじゃー決まりな、明日ダンブルドアに聞いてみようぜ!」
「……なんでシリウス、そんな嬉しそうなの。わたしちょっと気ぃ重いのに」
「は?嬉しいに決まってんじゃん。千智の家族に会えんだぜ!」
「…………」

にっかり、と、子供らしくはしゃぐシリウス。ソファに立ったり座ったり、バフンバフン言わせて、クッションは抱きしめるわ、飛び跳ねるわ、「お祝いの花火あげよーぜ!」とか言って打ち上げ花火取り出すわ、本当に呆れる。呆れて、笑える。

「シリウスー」
「なにー?」
「わたしお前がマジ好きだー」
「……なにー?」

繰り返さねえよ。


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