003 誰よりも一番考えてる



新学年に上がれたはいいが、実質1年以上も授業を受けていないとなかなかみんなに着いていくことが難しくて、ステラちゃんにセクハラされながらも優しく教えてもらったりリリーがスパルタだったりミリアちゃんが差し入れをしてくれたりレイブンクローの悪戯好きの色黒ツインズに時折邪魔されながらも遅れを取り戻した頃、そういえば多忙だったせいでまだスリザリンの自称妹を見ていないなあと思い、夕飯の時に大広間に顔を出してみた。(シリウスや仕掛け人達と距離を起き始めてからは主な食事は部屋でミリアちゃんの日本食なのだ。)グリフィンドールのテーブルの近くを通るとジェームズがにこやかに声をかけてくれたけど隣に座っていたシリウスが食事中だというのに席を立とうとしていたので適当に応えてさっさとスリザリンの方へ足を運んだ。近くに座っているスリザリン生にミューちゃんを呼んでもらった。(笑顔で頼めば男の子は快く了承してくれることが判明した。)相変わらずの黄緑色。相変わらずのざん切り頭。相変わらずの奇抜な服装。相変わらずのフェイスペイント。……ここまで変わらない人間っていうのも、なかなか貴重だよなあ。

「なぁにアネキ、随分いまさらなただいまじゃないの」
「おかえりと言ってもらうほど親しい関係でもないと思うんだけどね」
「照れないでよ。家族じゃない」
「妹じゃあねーよ?」

「堅いこと言わずに」とミューちゃんは笑って、それから「じゃあ一体何しに来たの?」、そう首を傾げる。顔を見に来ただけだと返したらきょとんとして、それは傑作だわ、と可愛らしく笑った。ううむ。この子ももう3年生なのか。ついこの間まではピヨピヨのひよこちゃんだったというのに。

「あ。アネキ、レグ見てなぁい?」
「見てないよ。いないの?」
「図書館に本返してから来るって言ってたから置いて来たんだけど……あ、来た来た。おーい、レグ!はやく!アネキがいるのよー!」

わたしの肩越しに声を上げて手を振るミューちゃんにつられて振り向けば、シリウスにそっくりな大人びた顔がスリザリンカラーを纏って近付いてきた。わー、3年の時のシリウスによく似てるー。……って、

「……レギュくん?」
「ああ千智さん。お久しぶりです」
「……天誅!」

ぶん殴った。
溝尾を軽く。
「アネキ!?」
レギュくんは声もなく膝をついた。
咳き込む姿もシリウスに似ている。

「え、アネキっ?なんでっ?」
「……げほっ、千智さん……?」
「……レギュくん。きみさぁなんか調子のってない?最近のってるよね?6年生でありきみより3つも年の離れた千智先輩に向かってきみ、ちょっと馴れ馴れしくしすぎなんじゃないかな?身のほどをまきまえろ?」
「なんでいきなりサディスティックなのかは知らないけど恐らく正しくはわきまえろ、だわアネキ」

ミューちゃんのツッコミは無視した。「……え、何なんですか」とのレギュくんに眉を寄せて不機嫌な顔を作ると、わたしは立ち上がったレギュくんの背後に回って背中同士をくっつけた。「千智さん?」レギュくんが声を上げた。

「ミューちゃん」
「なぁに?」
「どっちが高いよ」
「……なにが?」
「身長」

短く答えるとミューちゃんはわたし達の境目に立って頭の先を見比べて「……レグだけど」と戸惑い混じりに答える。その答えに満足したわたしはもう一度レギュくんを殴って、すっきりしたので広間を出ていくことにした。「って、それだけかい!」背中にかかったミューちゃんのツッコミは、無視した。

「あら千智、ミリアの妹にはもう会ってきたの?」
「うん。元気そうだったね。ついでにレギュくんも可愛がってきてあげたよ」

広間を出た時にすれ違ったステラちゃんにそう答える。わたしなりの『可愛がり方』について彼女は何か言うでもなく、「兄の方も素直に可愛がられたらいいのにね」とだけ溜め息混じりに言って微笑んだ後、ステラちゃんは歩いて行った。


「──人ってまことに哀しい生き物だよねえ。特に子供ってやつぁ残忍だ。毎日背を伸ばす努力をしても全く報われない子供もいれば、なーんも努力してないのににょきにょきにょきにょきお前は育てる苗木セットかって子供もいる。世の中は得てして不平等でありそれは愛しきかなこの世のサーキットである」
「……お前の言いたい事はわかったから、その殺気をしまってくれないか」
「ふん!この英国人めが」
「人種差別……」

セブセブは横目でわたしを見た。
こんな時間にまで図書館に入り浸っているとは全く、セブセブの将来が簡単に想像できるというものだ。

「ふん。だったら僕はお前に『勝手に背が伸びてごめんなさい』とでも詫びればいいのか」
「いや、『かたじけないでござるっ!』って言ってほしい」
「何故っ!?」

相変わらずのツッコミ男だこと。
髪質は劣化の一方をたどるセブセブだけどこの方面のスキルは日を追うごとにめまぐるしい成長を見せているらしい。何より、ツッコミどころの見極めがうまい。などと心の中で賞賛しつつ、どうにか読書に戻ろうとするセブセブにどうにか構ってもらおうと何度かボケを振っていた時────

「よお、スニベルス」

杖を持って、冷笑しているシリウスが、わたし達の前に立っている。セブセブはあからさまに顔を歪めていて、シリウスを下から睨み上げる。今度こそ本を机に置き、ローブの内ポケットから瞬時に杖を取り出してシリウスに向けるのだがそれをただよしと見ているわけのないシリウスが同様、セブセブに杖先を向ける。構え合ったままの状態で、2人は静止した。わたしはそんな様子をただ、口を開けて見ている。

「──へえ。相変わらず、人に杖を向けるのが上手いじゃねえか。将来への特訓の賜か?」
「貴様こそ流石はブラック家の長男だ。当人はとにかくお家の英才教育は群を抜いているらしい」
「……死にたいのか?」
「そのまま返す。それとも──」

ちらり、とセブセブはわたしを見た。
わたしはセブセブを見て、それからシリウスを見る。久しぶりに、一瞬だけだけど、目が合った。

「自分を振った女が僕といることに妬いてでもいるのか?未練がましい男だな」

その一瞬だけだった。
セブセブの嘲笑と言葉を受けた次の瞬間には、シリウスは憎しみに顔を歪め、声を張り上げていた。閃光が、わたしの目の前を走り、セブセブの脳天へと直撃。セブセブは倒れた。その際腰かけてた椅子がガタンと倒れる。「セブセブ!」駆け寄るとどうやら、気絶しているらしく、揺さぶってみても目を閉じたまま、ぴくりとも動かなかった。気絶しているのならとりあえずセブセブはほっといて、突っ立って、ざまあみろと笑うどころか、床を見つめて、真っ赤な顔で、殺意を剥き出し、荒い呼吸を繰り返しているシリウスを見上げる。

「──シリウス」
「…………」
「──あのね、シリウス。もうみんなには話したことなんだけどね──」

チャンスだ、と思ったんだ。
セブセブには悪いけど、
話をするチャンスだと思った。
だけどシリウスは、
うつ向いたままで、

「……いい」
「ん?」
「──いい。どうでも、いい。お前のことなんて、もういい。オレのことなんて、もういい。お前が誰に告白されようが、そいつと一緒にいようが、オレには関係ない。もう関係ない。もう知らない」

顔を上げたシリウス。
あの綺麗な灰色が、
わたしには、今は濁って見えた。

「お前のことなんて、もう知らねぇよ」

絞り出すような声だった。
泣きそうな声だった。
泣いているのかもしれなかった。


「……何を一人、勝手に終わらせてんだよって話なんだっつーの……」

一人──もうシリウスの去ってしまった図書館。倒れた椅子と、読みかけの本。去り際にシリウスが蹴とばしたせいで棚から落ちた数冊の本。眠っているセブセブ。誰も来ない図書館の一角、読書スペース。──ポツリと、呟く。そして、あの言葉をゆっくりと咀嚼する。

「いつからツンデレキャラになったんだ……お前はよー……」

便乗なのか同情なのか知らないけれど、鼻の奥がツンとして、瞼が熱い。じわじわと、何かが迫ってくるような感覚。わたしが今更、人の言葉に傷付いて泣くなんてなぁ、と苦笑する。

「……ばか…………」

誰もいないんだから、
誰も見ていないんだから、
泣けばいいのに。
わかってもらえなくて悲しい、
話さえ聞いてもらえなくて寂しい、
勝手に終わらされて悔しい、
それでもきみが愛しい。
誰かにそう言って、
泣いてしまえばいいのに。
そうすればジ・エンド、
すれ違った男女の恋物語は完結する。
哀しきヒロインの完成だ。

「──そんなことが出来るなら、楽だったんだけどね……」

昔なら、出来たんだろうけど。
でも、
昔を羨ましいとは思わない。
楽に逃げないと決めたんだ。

「……終わりじゃないよ」

呟く。呟く。呟く。
そうすることで涙を止める。
全然まだまだ、
終わりなんかじゃない。
わたしが諦めさえしなければ、
そう簡単に終わりはしない。

「……諦め──られるもんか」

だって、
わたしはこんなにも、
きみのことが好きなんだ。


──そういう訳で。
わたしとしては傷付いた一方ぶっちゃけ正直に言っちゃうとあのドーロドロに濁りまくった暗いどん底のような目を見た瞬間に何か目に見えない物体、矢のようなもので胸を貫かれた感覚を味わった(つまりときめいた)というのは決して、わたしが、マソキズムに転換したことを示唆しているのではないということを念頭に置いて物語を続けることとしよう。そういうわけで、図書室での一件(シリウスが半泣き、わたしが半泣き、セブセブが噛ませ犬)以来、シリウスがわたしのことをチラチラと見てきたり、女の子遊びをしなくなったという芳しい状態が再び元に戻ってしまったかというと実はそうではないらしく、現在わたしの目の前で朗らかな笑みを浮かべているリーマス様(今日の気分は王様だと言われた)の情報によれば、シリウスは相変わらずわたしの方をチラチラ見ているらしいし、女の子遊びも相変わらず、ない。「いくら嫉妬だり何だりできみにブチ切れちゃったりしても結局ヘタレは返上出来ないままというのが、何ともシリウスらしいよね。僕としてはすごく楽しい番組的な」ダージリンをちびちび口に運びつつ、またそんな友達の恋愛を面白テレビみたいな扱いとする彼の隣には優雅に美しく微笑んでケーキを食べるステラちゃん様(今日の気分は王妃様だと言われた)が「どうでもいいから早くやることヤって仲直りしてしまえばいいのに」などと真昼からひわいな発言をかます。それにはリーマスと2人してモザイクをかけておいた。

「わたしにしては、まだ有利な状況に変わりはないからいいんだけどね──」
「けど?」
「せっかくときめいたのに……」
「…………千智」

リーマスに呆れた目で見られた。
まあ仕方ないけれども。けど、とわたしはコーサーにカップを置く。

「だってさリーマス、考えてもみてよ。シリウスだよ?出会った時からつい最近まで、わたしにベタベタ惚れていたシリウスが、イチャイチャくっつきたがってたシリウスが、毎日愛を囁いてくれたシリウスが、囁き返さないと拗ねちゃうようなシリウスが、わたしに見向き……これは大袈裟だけどともかく、あんなにクールに冷たく気取ってんだよ?」
「うん」
「ツンデレの、ツン到来……?」
「うん。とりあえず千智は真面目に解決策を見出す気がないってことは分かった。早く部屋へ帰れ。ドイツへ帰れ」
「かたじけないでござるっ!」

……恐っ!
最後の一言、恐っ!

リーマスはいつも魔王様だった。
おのれ、お前にギャップを狙おうという気は無いのか。ギャップ萌え、を狙う気はないのか!……とこの辺りまで考えてリーマスがそろそろイライラしたようなオーラを出して来たので慌てて真面目な顔を作る。わたしとしてはその、身体はぴくりとも動いていないにもかかわらずカップの紅茶の水面に大きな波紋が絶え間なく走っている怪奇の方が気になるのだけれど。ステラちゃんは最初の発言を規制されたことがお気に召さなかったのか、大人しくケーキを味わっている。

「ま、まあシリウスの意外な一面についうっかりときめいちゃったワケだけど?そろそろ本気で恋しいし?真面目に、何か考えなきゃねー……」
「……千智ってさ、《そろそろ》とか《本気で》とか言ってるけど、今の状況、楽しんでない?」
「失礼だねリーマス。こう見えてもわたしはちゃんと、仲直りの方法を──」
「本当?ツンな癖にヘタレなシリウス面白いなーとか、変に意識してるシリウス可愛いなーとか、本当に考えてない?」
「…………」

あう。
考えてました。
黙ったわたしを白い目で見たリーマスは「ひょっとして」と言い、ステラちゃんの皿から一つ、一口サイズのタルトを摘んで、ひょいと口へ投げ入れた。もごもご、と何かを言ってるけど聞き取れなかったので先に飲み込んでもらった。意外に行儀悪いなリーマス。「それなんじゃない?」

「へ?なにが?」
「きみ達2人の間にある、一番根本的な問題。シリウスがあんなに長い間いじけてる原因。こうなってしまった、大元だよ」
「へえ。なになに」
「きみだ」

指を差された。
本当に行儀悪いなリーマス。
「わたし?」

「そう。きみだ」
「あー……わたしの秘密主義?」
「違うよ。それも困ったものだけど僕も人のことは言えない身だしね。それに、もしそれだけだったなら僕の時と同じような事態で済んだんだ」
「《僕の時》って──」
「僕の時も、色々あったの。でもそれは昔の話。仲直りした後、シリウスにでも聞くことにしてよ。とりあえずそれは置こう」
「…………」

黙々とケーキを食べていたステラちゃんの手が一瞬止まったのを確認してから、リーマスのその言葉に頷いた。そういえばステラちゃんは、リーマスが人狼だってこと、知ってたっけ?グリフィンドールになってから今まで、これだけ長いこと一緒にいたんだから、ミリアちゃんですら知っていることなんだから、現時点で知らない、なんてことはないよな……。「千智」名前を呼ばれて、意識をリーマスに戻す。

「唐突に思うかもしれなくて悪いんだけど、1つ聞いてもいいかな」
「ん、なーに」
「きみ、初恋はいつだい?」

原爆は投下された。
皆さんさようなら!
……て、いやいやいや。

「……セクハラか!」
「違うよ。興味だよ」
「…………」
「ごめんって。で、いつなの?」

にっこりと笑顔のリーマス。
結局聞くのか。
辱めだ、と思いながら、「13のクリスマスだけど」と返した。リーマスが少し驚いたような表情をして、笑みを深くする。辱めだ。わたしは今、凌辱されている。

「リーマス様。これは一体どういった意図を含んだ辱めなのでしょうか?」
「あーうん、だから、さっきの話の続きだよ。つまりきみ、あの夜話してくれたことを統合すると、初めて愛を意識した人間がシリウスってことになるんだけど、そこは間違いないね?」
「…………」
「返事」
「…………ハイ」
「うん。で、だからきみには正直、未だに愛がよくわかってないよね。4年の時はシリウスに向かって『愛してる』とか『大好き』とか言ってたけど」
「…………でもシリウスのことは愛してるし、大好きだよ。ほんとだよ」
「分かってるよ。分かってるから、僕も真面目に考えているんじゃないか。つまりきみはシリウスを愛してる。愛情表現もしてた。だけどそれじゃ駄目だった。これをふまえた上で、約2年間きみ達2人を見守ってきた僕の見解を言わせてもらうとね、千智」
「うん」
「バランスが過不足しすぎている」

ここからは、リーマスが喋るのを、わたしは相槌を打ってただ聞くだけだ。ステラちゃんが、リーマスの隣から移動して、わたしの傍に座った。そっと腕に絡みついてきた。

「愛が足りない──っていうより、多分余裕。うん。余裕かな。しかも余裕が足りないんじゃなくて、きみには余裕がありすぎるんだよ、千智」

ステラちゃんが、ケーキが山ほど乗った皿を差し出してきた。色とりどりの、綺麗なケーキ。どれも1つで、何かの芸術のようだった。

「千智。恋っていうのは、愛っていうのは、もっと余裕のない、切迫詰まった、気が気じゃない、焦燥する、八方塞がりで、緊迫して、ハラハラしてイライラする、必ずしもプラスのことだらけではないんだよ。むしろ共に居られる喜びよりは、ものにしたい・束縛したいという欲望と自分以外の人間といる時に生じる嫉妬、いつまで続くか分からない幸福に対する不安と恐怖、だから縛りつけたいと束縛へ戻る、まるで終わりのないサーキットだ。そのサイクルに落とされたら最後、もう逃げ場はない。ただ嵌るだけだ。相手に、恋に、愛に、循環に、浸っていくだけ」

真っ赤な苺の乗った、小さなケーキに触れる。真っ白なクリームの上で主張する苺を見て、雪に降る血のようだ、とは思わなかった。

「きみを自分のものにする為に、こちらも同じく初めて恋をした無邪気な無邪気なシリウスが、一体影でどんなに奮闘したと思う?きみに気のある素振りを見せた人間に対して一体どれだけの嫉妬と、一体どれだけの妨害、制裁とも言える悪戯に走ったと思う?シリウスには余裕がないのさ。だって、ただでさえ軽重浮薄なきみが相手だ、恋人関係となった3年のクリスマス以降でさえシリウスには余裕がなかったさ。だからきみからシリウスに構ったりすると、シリウスはとても嬉しそうに笑っただろう?尻尾が千切れんばかりに、無邪気に喜んだだろう?余裕がなかったからだ。きみを手にした後でも、いつかきみが、ふらっと消えてしまいそうな気がして、いつか黙って消えてしまいそうな気がして、いつか戻って来なくなってしまうような気がして、きみに見放される気がして、きみに置いていかれる気がして、気が気じゃない。恐怖だよ。──どうにか安心したくて、不安を取り除きたくて、確実な未来が欲しくて、約束が欲しくて、『ずっと一緒にいよう』みたいなことも、きっとシリウスは言ったんだろうね。約束するように。確認するみたいに。その時きみはあっさりと約束した筈だ。自分のことを話していないっていう、少しの罪悪感に浸りながら。シリウスは信じたんだろう。親友を信じるあいつのことだ、愛しい愛しい千智がそんな台詞に同意すれば、自分がきみについてほとんど何者かを知らなかったとしても、それがただの口約束で、きみは確固たる意思でそれに同意した訳じゃないと気付いていながらも、何の保証もなしにきみを信じた。安心したんだ。安心したんだよ、千智。『これで自分は、置いて行かれることはない』なんて、何の根拠もなしに、そんなことを考えて安心したシリウス。で、結果はこれだよ。さてそんなシリウスに対して千智、きみはどうだろう。シリウスに話しかければ無視されて、女の子に話しかけたりして、シリウスにつき放すような言葉を投げられて、それでも『でも愛がある』なんて確信を持って自信があって、こんなところで僕たちとアフタヌーン・ティーなんて飲んでお喋りして。それで『どうにかしなきゃ』なんて言っている癖に、頭で考え悩んでいるだけだ」

苺を摘む。
赤のみを摘出。
噛むと、酸っぱかった。

「千智はさ、シリウスに冷たくされて悲しいんだ。《悲しい》だけなんだよ。……千智には、ないの?理性なんて、道徳なんて、倫理なんて論理なんて、そんな余計なものは全部ブッ飛んで、ただ全力で求めに行く。頭の中が真っ白で、卑怯でずるいって分かってて、他の誰かを傷付けることになるかもしれなくて、知ってるのにそんなこと頭になくて、つい走ってしまう。そんなこと、千智には、ない?人のことなんて考えず、相手のことを考えず、そもそも考えるなんて選択すら思い浮かぶ暇すらないくらい瞬時に、まるで獣のように。そんな風になることが、千智にはない?」

何度も嚼んで、
ぐちゃぐちゃになった苺を飲み込む。
ごくり、と喉が鳴いた。

「千智はもっと必死に、死にもの狂いで余裕なく、全力でシリウスを求めるべきなんだと思う。今のシリウスも愛す覚悟があるのならね。千智はもっと、本気でシリウスを欲するべきなんだ。今のシリウスとうまくいきたいのなら、そうするより他はない。千智。もしきみが、端から見て、見るも情けない表情でシリウスに縋り付くようなことが出来ないというのなら──それはもう、駄目だよ。きみにそれが出来ないのなら、事がここまで進行してしまった今それが出来ないのなら、きみとシリウスは、本当に、もう駄目だ」

この感情は胃の辺りに留まって、
ただ消化されるのを待っているだけ。


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