1976年9月1日。 それが今日の日付らしい。 「──いんしゅーとーしゅーしゅんじゅうせんごく」 しんぜんかんしんごーかん、と口ずさみながら、ホグワーツの広い廊下を歩く。首にタオルを巻いて、それで濡れた髪を適当に拭く。ダンブルドアとミネちゃんがあまりにも急かすのでゆっくりお風呂に入ることが出来なかったのを恨みつつ、長年付き合いのある彼らに今まで行ってきたこと凡てを吐き出した後、校長直々の普通魔法レベル試験を終え、やっと解放されたのだ。簡単に切り揃えた髪はやはり以前よりも格段に長く、へそのあたりまで金色がなびいている。 『前の長さまで切りましょうか?』 散髪用のハサミを手にしたミネちゃんが聞いてきたが、わたしは長さを揃えるだけに留まらせた。 カイにだけ、背負わせるわけにはいかないから、と。そう言って。元々カイの金髪の長いのは、わたしが、自分の代わりにとそうさせたものなのだから。 「……ぎーしょーくーごーせーしんとーしん、そーせいりょーおっずーいっ」 それにしても、ホグワーツにはまだ生徒はいない。まだ真昼なので、在校生があの妙な乗り物などでやって来るのは夕方だし、新入生が着くのは夜だ。ダンブルドアは暇そうにわたしの話を聞きたがったが、ミネちゃんはものすごく忙しそうに城内のセレモニーの準備を指揮ったり、前にハグリットがうっかり1年生達を準備の終わる前に連れてきたこともあったらしく、玄関前で見張っていなければならなかったりしているらしいので、わたしはダンブルドアを彼女に引き渡し、一人でぶらぶら皆を待つことになったのだ。 ……………。 「時空宮じゃの」 わたしの体験と仰天を説明し終えると、ダンブルドアは一言そう言った。「じくうのみや?」聞き返したわたしには、その単語に聞き覚えはない。 「さよう。何百年かに一度現れるという、幻の城とも言われておる。そこではこちらとは流れる時が違い、過ぎる単位が違い、そしてゆく年が違うという。おぬしはネレに、そこへ誘き出されたのじゃよ」 「誘き出された?」 「うむ。仮におぬしがネレに勝利したとして、おぬしは元いた場所に戻るが、いつの間にか世界は回っている」 「……つまり、どう転んでも最終的にわたしが困るように仕組んだってことか」 「おぬしの高所恐怖症は知らなかったようじゃがの。じゃが、ネレが思っておったよりかは時は進まなんだ」 「最悪、どれくらいの時差の恐れがあったの?」 「さあ……100年くらいかの?」 言って、ダンブルドアはおかしそうに笑う。いや、わたしにとっては全然笑いごとじゃないんだけどね。気付いたらおばあちゃんとかマジ冗談じゃねえ。 ……………。 そしてカイをとっちめてやろうと部屋を訪れてみたら『新学期までバカンスします』と扉に貼り紙があった。下手くそなドイツ語で書かれていた。……いや、英語で書かな読めんだろうが。ていうか教師なんだから前日あたりに着いとけや。 「つーか、まだクビにはなってないんだ……」 そっちの方が驚きだ。 《ネレに手を貸してまでもわたしをホグワーツから遠ざけたかった》からには、この1年半の間で、何かしらやらかしているに違いないのだから。あの弱点泥棒め、と悪態吐いてから、わたしはカイの部屋から背を向けた。 夕方になった。 結局談話室で惰眠を貪っていたわたしは、ガヤガヤと騒ぐ人声と、腹に加わった重量で目を覚ます。ぼやける視界に真っ先に映ったのは──黒。 「──シリ……」 「いきなり帰って来て何を呑気に眠り込んでおるのだこのばかものめっ!」 「……み……?」 『本名を言うなぁっ!』 殴られた。 上から下に加わる力は例えばそれが大して強くなかったところで威力は倍増しとされることを身を持って知った。──わたしの腹に跨っているミリアちゃんは相変わらず美少女だけれど、だいぶ大人っぽくなっていて、美人と形容した方がいいのかもしれない。驚いたのは、あの綺麗な黒髪が見事なセミロングになっていたことだったが、本人いわく『いめちぇん』らしい。相変わらずカタカナに弱い子だった。突嗟に日本語へと転換できる器用さは身に付けたらしいが。「あれ、千智!?」「久しぶりー!」「どうしたの、病気はもう治ったの!?」「長期入院で自主休学中じゃ?」「ふくろう試験はどうしたの?」「受けなかったから留年?」「え、後輩になんの?」──どうやら、ダンブルドアは皆にはそのように伝えてあったらしい。わたしは次々とわたしの寝転がっているソファに顔を覗かせ騒いでいる同寮生らに、嘘を混ぜた、丁寧な説明をした。 「あーっ!千智じゃないか!」 一段と騒がしい声がして、起き上がってみると懐かしの眼鏡・鳥の巣頭のジェームズ・ポッター。隣にリーマス・ルーピン。後ろにピーター・ペティグリュー。少し遅れて入ってきたリリー・エバンズとステラ・セレクティア。皆して目を見開いて、こっちに寄ってきた。そして野次馬な同寮生らを散らして、久しぶりの挨拶をする。 「長期入院なんて言って、ホントは何処で何してたんだい!?」 「まず疑うのかよ」 「当然よ!千智が病気なんてあり得ないわ、病気なのが千智なのよ!」 「リリー珍しく意味がわかんない」 「仕方がないよ。僕も驚きすぎて、チョコレートが喉を通らない」 「言いつつ噛み砕いているのは生チョコじゃないのかな」 「ぼっ……ぼぼぼぼぼぼぼ……!」 「うん、落ち着けピーター」 「千智、胸が大きくなったわね」 「きみはセクハラから入るのか」 一人ずつに突っ込んでいって、それから何気に笑顔で怒っていらっしゃる皆(当然だ、1年半の無断外泊だもの)に土下座して謝って、それから全部話させて頂きますと謙譲語で皆に対して敬意をはらったところで「本当におかえり。僕たち、寂しかったんだよ!」と感動の再会を果たしたのだった。 「髪の毛すごい伸びてるね。カイと同じぐらいあるんじゃないかい?」 「あ。そうそう。カイ、もう着いてるかな?」 「いや、多分新入生と一緒に来るんじゃないかな?なんか、なるべく遅く着きたいんだって」 「…………あそ」 「それにしても千智、綺麗になったわ!髪も長いし身体も成長しているし、あなた、すごく綺麗よ」 「一番に綺麗なのはリリー!きみに決まっているじゃないか!」 「うざいのよポッター!」 「……あれ。ポッター呼びに戻ってら」 リリーがジェームズを『ポッター』と呼んでいて、不思議に思っているとリーマスがチョコレートを頬張りながら「去年は色々あったからね」と言った。さらに美しくなったステラちゃんと並ぶと怖さが倍増。迫力も満点。『もう離さない!』と抱きしめてきて離れてくれないミリアちゃん(ツンデレのデレ?)に日本語で『わたしを離さなくていいのはシリウスだけだよー』と返せば、途端にミリアちゃんはすんなり離れてくれた。 「ミリアちゃん?」 「…………千智」 挙手するミリアちゃん。 授業中にもそうしているならば彼女はさぞ優等生に見えるだろうに。 「なに?」 「問題が発生だ」 「問題?」 聞き返すと、ミリアちゃんはわたしから視線をそらした。いや、意味がわからない。リリーに説明をもらおうと目をやると素早く外された。ステラちゃんに解説を期待して見つめると即座に笑顔で蹂躙された。リーマスは端から目を合わせてくれない。ピーターに事情を尋ねると焦ってどもって話にならなくなり、見かねたのかジェームズが右手を挙げる。 「どしたの、ジェームズ」 「……あのね千智。きみがこの1年半、どうしていたのかはまだ分からないけれど……」 「うん。ごめんね?」 「うん、いいよ。でも千智、さっきの土下座と今のその可愛い『ごめんね?』では済まない厄介な奴が、世の中にはいるんだよね」 「うん?誰よ」 「それがさぁ……」 ジェームズはそこまで言うと、あからさまで大袈裟な溜め息を吐いた。 「僕の相棒だよ」 「────きみが失踪したことを知ったのは、去年のクリスマス休暇が明けた日のことさ」 歩きながら、ジェームズは言う。以前のようにリリーが彼の隣を歩いてはおらず、その席がわたしに譲られ(否、押し付けられ)たことに少しばかりしょげているようにも見えるけれど、ジェームズは最後に見た時のようににこにこと明るく笑っている。広間までの道を辿っているのはわたしとジェームズだけでなく、入学セレモニーを兼ねた始業式のために、全寮生徒が行進している筈だ。グリフィンドールも例外でなく、荷物を置いて一段落した生徒達がわたし達の前や後ろや右左を埋め尽している。ちなみにミリアちゃん達とははぐれた。わたしは周りの話し声にかき消されてしまわないように努める。 「休暇明けで全校生徒が広間に集まった時に、ダンブルドアがね、千智・八城は急病のため療養を必要としている。とある病院にしばらく入院することになった──ってね。でもシリウスはきみがクリスマスに血相変えて飛び出していったのを見ているんだ。周りは信じた嘘だけど、僕たちに通用するだろうとは、ダンブルドアも過信していなかったようだったよ」 「あー……もーちょいもっともらしい理由とか付けらんなかったのかねー。わたしが病弱な女の子に見えるのかコラ」 「どうどう。でも結局教えてはくれなかったよ。僕たちのことを子供扱いしていたのかと思ったけど、単にダンブルドアにもわからなかっただけだったんだね」 「はあ……わたしもよく分かってなかったよ」 「僕たちは、きみのことだからそのうちひょっこり戻ってくると思ってたんだ。でも待ってるうちに日は過ぎる」 「うん。そのころわたしは交戦してたけどね」 「うん。で、シリウスはものすごい勢いで腐っていったと言うわけさ。いや、グレたと言うべきかな?拗ねたっていうのは婉曲しすぎかもしれない」 事もなげにそう言ったジェームズはこちらを向いてにっこりと笑顔、ウインクまで付けてくれたのだが、わたしはその言葉に沈黙する。 「男女関係は再びふしだらに」 「…………」 「スネイプ虐めは再び過激に」 「…………」 「もうすっかり、きみがやって来る以前に戻っちゃった。逆戻りって感じだよ。あーあ」 「……ごめん」 「僕に謝るのは違うよ。まあ、千智が来てシリウスは変わったから、僕としてはすごく期待してたんだけどね」 「……ごめん」 謝る。 謝るしか出来ない。 するとジェームズは足を止めて、人の流れを無視してわたしを見つめる。眼鏡の奥のハシバミ色の瞳は、いたって真剣に。 「で、これから千智はシリウスをどうするつもりなの?」 至って純粋に、率直に尋ねてきた。 反射的にいつもの、その場しのぎの誤魔化しの言葉が口をついて出てきそうになったけど、ジェームズの一途さがそれをさせない。「ジェ……ポッター」と、立ち止まっていたわたし達に追いついたらしいリリーが、呟く。けれどジェームズはわたしから目を反らさない。「……わたしは──」わたしは、声を出す。 「わたしはシリウスが好きだよ」 「…………」 「…………」 「だから前みたく仲良くしたいんだけど──全く元通りに戻っても意味ないってのは分かる」 誤魔化してはぐらかして、核心に触れさせなかった頃に戻っても──いっとう大切なところを聞かないでいてくれたシリウスの優しさに甘えていた頃に戻ったら──また同じことの繰り返しになる。 「別に、みんなのことを信用してないから、今まで話さなかった訳じゃなくてね。わたしは、ただ嫌われるのが怖かっただけなんだよ」 「僕はきみを嫌わないよ」 「私もよ」 「そんなの分かんないじゃん。リーマスを嫌わなくても、わたしは嫌われるかもしれない」 おどけた風にそう笑うと、真摯な視線はいっそう強くなる。 ──ああ、もう。 全くお似合いだな、この2人は。 「全部話すよ。過去にわたしがしてきたことと、今のわたしを全部知って、それでもわたしと付き合っていくかどうかは、それから決めてちょーだい」 2人の目を見て応えると、未来の夫妻は満足げに微笑んだ。そして、行こう、とようやく再び進み出す。「ステラちゃんとミリアちゃんは?」リリーに尋ねると、置いてきたわ、と返された。わたしに気まずそうな目を寄せて、それからちょっと頬が赤い。「お邪魔だったかしら?」……2人きりにしたくなかったということか。リリー!とジェームズは眩い笑顔でリリーに抱きつこうとして殴られて、それでも幸せそうな顔をしているジェームズを見て、この2人に関しては別段心配は要らないと思った。「ああ、千智!きみはやっぱり幸運の女神だよ!愛の女神はもちろんリリーさ!」 「うっわー。なんか懐かしー」 大広間に着いた。 既にほとんどの生徒がそれぞれの寮のテーブルに着席していて、笑い声や話し声でざわついている。教師陣のテーブルを見ると、いつの間に忍び込んだのか相変わらずへらへらとゆるい笑みを構えているカイが真っ直ぐにこっちを見てひらひらと手を振っていた。後で殺そうと思った。 「よっく考えたら、1年半以上食事してないワケだし。時間の流れが違ってたとはいえ変な気分だよ」 「浦島太郎みたいな展開だよね」 「ん?ジェームズ、なにそれ」 「ミリアが日本の絵本を貸してくれたんだよ。で、別次元からのお土産である決して開けてはならない箱を開けたら、蓄積していた実時間が自分に返ってきて老人になってしまったという」 「なるほど、コメディか」 ジェームズと頷き合っていると、「神聖な昔話を何だと思っているの!」とリリーに怒られて、どうやら古くから日本に伝わるおとぎ話の一種なのだと教えてもらった。グリフィンドールのテーブルは前の半分くらいが埋まっていて、わたし達は真ん中あたりに座ってミリアちゃん達の席をとっとくことにした。新入生の寮決めもちゃんと見たいだろうし。────と。座ったところで、カシャン、と何かが落ちる音がした。ははん、千智ちゃんが推測するに、これは銀のスプーンがテーブルに落ちる音だな。誰だよそんな行儀の悪いことをするやつは。わたしは思いながらリリーに正しい浦島太郎のストーリーを聞かせてもらおうと隣に座るリリーの顔を見ると、リリーは黙って人差し指でとある一定の方角を指し示した。一体何なのだろうとそれに従ってそちらを見やると──── 「……千智?」 懐かしい声。 懐かしい顔。 懐かしい姿。 また身長が異様に伸びていてまた声が低くセクシーになっていてまた顔が大人っぽくなっているのを除いたら、なんと彼はついこの前キスをし合った恋仲のシリウス・ブラックくんである。よく見れば彼はスプーンを落としている。ははーん、なるほど。先ほどの音は彼がスプーンを落とした音だったのか。厳しく躾られて育ったボンボンの彼にしては珍しくマナーのなっていない。そんなことを考えた。考えながら、酷く懐かしい気分になり、高揚し──でもシリウスのすぐ隣でへばりつくようにしてデザートのゼリーを食していた美人のおねえさんの存在に息が止まり、ついでに思考も止まってしまったので、 「……やっほ」 軽く手を上げることしか出来なかった。よく周囲の状況を確認すると、奇遇にもわたしとシリウスはお向かいさんの隣同士、つまりは斜めの位置に座っていた。……なんで気付かなかった、わたし。「あー……」ジェームズの、この場をどうにか取り繕おうとする友達思いの声が気まずく響いて、けれどそれは「千智!」と、わたしを呼んだ大声に消される形となってしまったらしい。声のする方を向くとローブを新調したらしいミネちゃんがつかつかとこちらに歩み寄って来たのでとりあえず「ハロー」と挨拶してみると殴られた。 「いたーい」 「何を可愛い子ぶってます。組分けの儀が終わり次第、あなたの授業復帰を発表するから新入生らと待機するように言ってあったでしょう!」 「そだっけ?」 「言いました!」 「寝たら忘れた」 「……………」 ミネちゃんは黙って、それから「あなたという人は!」やっぱり殴った。熟女にあるまじき行為だと思ったがわたしにも非はあるし何よりこの気まずい空気を払拭したい一心で、手首を捕まれ、ミネちゃんに大人しく引きずられていくことにした。最中、シリウスと目が合ったけど逸らされた。 |