004 たまには真面目にお勉強



「──こは偽りなき真実にして、確実にして極めて真正なり。唯一なるものの奇跡の成就にあたり、下なるものは上なるもののごとく、上なるものは下なるもののごとし。万物が『一者』の考察によってあるがごとく、万物は『一者』より適応によりて生ぜしものなり。『太陽』はその父にして、『月』はその母、『風』がそを己が胎内に宿し、『大地』が乳母となる。それは万象の創造の父である。その力は、『大地』の上に完全たり。その力が『大地』に向かえば、『大地』より『火』を分離し、粗大なるものより精妙なるものを分離すべし。大賢をもって、そは『大地』より『天』に静かに昇り再び降る。優れるものと劣れるもの、その力を二つながら受け入れん。かくて汝、全世界の栄光を我がものとし、ゆえに暗きものはすべて汝より飛び去らん。そは万物の最強のものなり。なんとなれば、あらゆる精妙なるものをも圧倒し、あらゆる固体に浸透せんからである。かくて、世界は創造されり。かくのごときが、ここに指摘されし驚くべき適応の源なり。かくて、世界智の三部分を有するがゆえに、ヘルメス・トリスメギストスと呼ばれけり。『太陽』の働きにつきて、われが述べたることに、欠けたることなし」

「…………」(ジェームズ)
「…………」(シリウス)
「…………」(リーマス)
「…………」(ピーター)
「…………」(リリー)
「…………」(ステラちゃん)

「さっぱりわからん」

長々とした朗読の後を沈黙という気遣いで返してくれた心優しくはないが空気が読めるみんな、上からジェームズ、シリウス、リーマス、ピーター、リリー、ステラちゃんと、まったく見事に空気が読めなかったらしいミリアちゃんは長々と朗読してやったわたしに対して再び「まったくわからん」と言った。喉の渇きを潤すため、わたしは気遣ってくれたリーマスが入れた紅茶を飲む。ミルクティもお手の物、やっぱりおいしかった。

「……ミリアちゃん」
「なんだ」
「空気を、よめ」
「……ふん。わからんものは、わからんのだ。私に分かるように説明せい」
「まったく、相変わらず我が侭なミリアちゃんだことで──まあ、今のは皆も何のこっちゃ、だったろうけどね」
「何だったんだ?今の──えーと」
「──エメラルド・タブレットだよ、シリウス」
「そう、それ」

わたしの隣でふんぞり返るミリアちゃんをうざったそうに睨みつけながら、正面のソファで足を組んで座るシリウスは難しそうな顔をしている原因は、わたしの逆隣に座っているのがステラちゃんだからかもしれない。テーブルを3つ程並べてくっつけ、その上には7冊の同じ書物。そして洋皮紙、いくつかの参考資料。テーブルを囲うようにして、わたしを含めた8人の人間。わたしを除いた7人は全員が全員わたしに視線を向けているのだ、わたしはあからさまに溜め息を吐いてみせた。

「──錬金術師の書で、最も有名だと言われている書だよ。《書》と言っても、さっき読んだのが全文だから、とても短いものなんだけどね。ま、これを解読して理解しろって訳だね」
「無理だよ!こんな意味不明なもの!」
「宿題にケチつけるなんて、格好が悪いのねジェームズ」
「う……リ、リリーは解るのかい?」
「わからないけど。だから千智に聞くんじゃない」
「そうよジェームズ。折角身近に──錬金術師がいるのだからね」
「ステラの言う通りだ。使えるものは、使えるうちに使っておきなさいっていう、これはそういう課題じゃないかなと、僕はそう思うんだけど」
「あらリーマス。奇遇ね。私もそう考えていたわ」
「気が合うなあ」
「うふふ」
「……ちょっとそこ、勝手に連結しないでくれるかな?」
「やだ千智、ヤキモチ?」
「違う」

君たち2人が連結するのが世にも恐ろしいってだけだ!否定しているにも関わらずステラちゃんは嬉しそうに微笑みながら、すでに4つ入っているリーマスのカップにまた角砂糖を投入していた。これがリーマスでなければ嫌がらせかと思う行為だが当のリーマスは「ああ、ありがとう。丁度追加しようと思ってたんだ」などと、お礼を述べる始末なのであった。

「……で。千智、続きをお願い」

妙なところで脱線してしまった話を、根も葉も真面目なリリーが元に戻す。わたしは、先程朗読してやった文章を洋皮紙1枚に書き留めて、皆に見えるようテーブルの中央に置いた。

「エメラルド・タブレットっていうのは、まあ錬金術の基本思想……あるいは奥義が記された板のことでね、『エメラルド板』・『エメラルド碑文』とも呼ばれてる。13世紀にアラビア語からラテン語に翻訳されたんだ。発見の過程は……いらないかな。覚えなくていーよ」
「ふんふん……最初の一文だけど、『こは偽りなき真実にして、確実にして極めて真正なり』ってのは、この書は偽りない真実。確実なもので正しいものだっつー……」
「前書きだね、シリウス」
「そう、それ」

訳文をメモしていくシリウス。
ジェームズは洋皮紙を手に取って、リリーと一緒に覗き込んで見ている。

「んー……唯一なるものの奇跡……唯一なんて、いっぱいあるじゃないか。太陽とか地球とか、僕とかリリーとか」
「下なるものは上なるもののごとく──上なるものは下なるもののごとし──千智、どういう意味?」
「万物照応、外宇宙と内宇宙の相似について述べられたものだね」
「……わからん」
「ヘルメス・トリスメギストスって誰だろう?」
「世界智の三部分て?」
「太陽の働きなんて、私を輝き照らすこと以外にあるのかしら?」

ざわざわと、不平不満を溢す諸君。ちょっとナルシズム入ったステラちゃんはおいといて、やいやい言いながらもそれぞれに洋皮紙へとまとめていくが、この中で最も頭が悪いミリアちゃんの紙はまだ白紙状態だった。なんか泣きそうな顔でこっちを見てくる。──まあ。日本でいう古典のようなものだし。英語の古典なんてことになると、ミリアちゃんにはもうちんぷんかんぷんなんだろうなぁ。──ともなると、あの馬鹿井の《考えなし・オレさまハーレム大作戦》的な考えに腹が立ってくるのだけれど。

「ちなみに、ヘルメス・トリスメギストスって人物は実在していないんだ。翻訳者がわざと誤訳して作り出した、架空の人物なんだね。ほら、この資料に書いてある」
「そうなのか?」
「そうなんだよ。ヘルメスってのはギリシア神のことで、錬金術書はヘルメス神が書いた物らしいね。エジプトじゃトート神って呼ばれてるけど」
「ヘルメス・トリスメギストス……」
「《三重に偉大なヘルメス》ねえ」
「あの時代、西洋で最も幅を利かせていたのがキリスト教だよ。知っての通り、キリスト教は一神教だから他の神々の存在を許していない。そんな他教の神の技を伝えていると知られれば命はない。そこで西洋の錬金術師達は、伝説上の人物を作り出したってわけなんだ。まあ、今でこそ魔法は栄えて錬金術を使う人間は数少ないけれど、あの時代じゃあ錬金術も《魔法》と認知されていたみたいだね。《魔法》を扱うと疑われた人間がどうなったか──は、歴史にあるとおり、魔女として火刑だった」

疫災すべてを業と為し。
責任なすりの言い逃れ。
目に見えない因果を恐ることは、確かに人間共通のそれであることには違いがなかったのだけれど。

「──西洋文化の全てがギリシア文明から起こったと言われているように、錬金術の始まりもギリシア哲学……特に、アリストテレス哲学が大本なんだ」
「それなら知ってるよ。物質を質量と形相で表した人物のことだね」
「リーマス、なんで知ってんの?」
「全集のうち一冊を本で読んだんだよ。ステラが薦めてくれてね」
「へー」
「なに?」
「なーんでも」

不思議そうにするリーマス。
そのまま不思議がっておけ。

「質量とは物質の本質。形相とは物質の特徴のこと。人間の性格なんかは形質って言うでしょ?まあつまり錬金術の根元の考えっていうのは、『質量は様々な形相を持ち、様々な物質に変わりうる』ってことで……」
「物質からいらない形相を取り除いて適切な形相を付け加えれば、物質変化を引き起こすことが可能という訳ね」
「さすがリリー。理解が早いね」

成績ではこの中ではジェームズが一番に勝ってはいるが、理解濃度の高さはリリーのが上か。これは単純な能力の才能ではなく、純粋にリリーの密度の高い自主学習のたまものなんだろうなぁ。「え?どういうこと?」と首を傾げるジェームズに、「だから──」説明しているリリーを見て、そう思った。必要なのは才能ではなく、努力。いつかそんなことを言っていたカイの冗談混じりな綺麗事や戯言全集を思い出し始めてしまったので、路線を切り換えてミリアちゃんやピーターにもわかるように説明してやった。

「でも千智、錬金術って、ずっとこの調子なの?概念的過ぎて、具体的なイメージが沸かないわ」
「……んーとさぁ、だから、マグルで言う《化学》が重要になってくるわけなんだよ」

ホグワーツ入学が11才ってことは、日本で言う小学生。小学生で化学極めた子供はそういないだろうと思ってはいたが、正直リリーならちょっとは何か、自宅学習的なものをしていたんじゃないかと期待してはいた。聞くとリリーは首を横に振ったので、これでもう「簡単なことはリリーに聞いて」などと楽をすることは出来そうになくなったわけだ。

「ま。そこまで化学が主要になるのは、わたしみたいな超化学者だけだけどね」
「それ、前にも言ってたよな」
「カテゴリは大切だよ。──さあ、これは前にも言ったことだけど、忘れてる人もいると思うから復習ね。現代の錬金術師は、三派に分かれています。まず、超化学者」
「千智だな。化学的」
「イエス。次に神秘哲学学者。名前からして、神秘的錬金術が主な源泉かな」
「よくわからん」
「自らの魂を高めることで、最高知を得ようとする学者のことだよ。そんで、アルス・マグナを受け継ぐ人々──自ら神に等しくなることを望む人々のことだね」
「傲慢だな」
「一々と的確な合いの手をありがとうミリアちゃん。──これだけ各々による明確な区分があるわけなんだけど、目標・目的の為の《手段》は皆同じなんだよ」
「手段?」
「うん」

なに?と尋ねるピーターに、わたしより早くジェームズが「賢者の石さ」と発した。

「そうだろう?」
「……そうだよ」

……まあ、錬金術ときた時点で、そういう結論には達するわな。完全に話に乗り遅れてしまっているミリアちゃんは後でじっくりと理解させることとして、今は6つの期待に答えなければ。

「自身の知識欲のため。金を生み出すため。霊的黄金──自らの魂を高めるため。天啓によって得た《智慧》によって自然の秘密を見出すため。そして不老不死を実現するため──――どれにしたって、賢者の石は探求者にとっちゃあ喉から手が出ちゃう程にほしくてほしくてたまらないものってことだね」
「そしてその『探求者』っていうのは、何も錬金術師だけである必要はないってことかな」
「どういう事だよ、ジェームズ」
「さあ?」

さも意味ありげに微笑んだジェームズは、首を傾げたシリウスの方を向かずに紅茶をすすった。片手にはテキストを持って、パラパラと捲ってそれを一読している。

「楽しみだなーって思ってさ」
「さっきまで面倒くさそうだったくせによ」
「もう忘れたね!──だって、僕マグル学とってないしさぁ。今までの悪戯に化学を取り入れたら、なんか凄そうじゃないか!」
「もう!あなたって人は、結局不真面目なことに使おうとしてるのね!」
「リリー!悪戯はロマンさ!」
「糞爆弾の何処がロマンよ!」

2人が言い合って、みんながそれを見守っている中。ミリアちゃんが「あ、でも」と小さく声をあげた。

「ん、なしたの?」
「私達は千智がいるからよい。よいが、セブルス達は大変だろうな、課題」
「手紙届いた生徒は強制参加だもんねえ──カイの特別授業」


「あー、いたいた。おーい。美女達に囲まれて嬉しそうにデレデレしてるそこのカイ。ちょっとこっちに来なさい」

中庭で、美女軍団と戯れているカイを発見。どうします隊長。至急連行せよ。了解いたしました。ただちに確保に参ります。ただし相手はあのカイだ、一筋縄ではいくまいと思ってまずは手招きでもして呼んでみると、意外なことにもカイはものすごい嬉しそうな顔をしてこっちに来た。しかも駆け足。長髪がぱたぱたと振れて、なんか尻尾みたいだ。……なーんかシリウスみたいだなぁ、こいつ。「なにっ、なんか用っ?」きょるん、と可愛い女の子みたいに弾んだ声で笑顔で尋ねてくるカイに思わず言葉を濁す。ちょっと視線をカイからずらすと、置いてけぼりなスリザリンのネクタイ一色の美女達はあからさまに残念そうな顔をしていて、ちょっと申し訳なかったが、その中の一人の美女(意地悪そうな顔の黒髪美人)がなんとも綺麗な声で「連れてっていいわよ」と言ってくれた。

「え、いいんすか」
「嫌だけど」
「…………」
「シリウス・ブラックのみならずカイ先生まで手中ってのがとんでもなく腹立つけど」
「…………」
「でも兄妹なんだったら、仕方ないじゃない」

「連れてっていーわよってなんかオレ物みたいな扱いでちょっと傷付くわー」と後ろからぼやくカイにその美女は「ごめんなさいカイ先生、愛していますわ」と笑顔で返し、わたしに顎で促す。他の美女達にも他意はないようなので、大人しくお言葉に甘えまくってカイを連れて中庭を出ることにした。美女達にあざーす!と声をかけて。わたしが先を歩けば、その長い足は自動的に隣の位置までやってきて、歩幅を揃えるカイなのだ。

「なんやんなんやん、千智から呼んでくれるなんて珍しいっ!おにーちゃんは、嬉しいぃっ!ずびいぃぃーっ!」
「泣くなよ」
「嬉しいもん!」
「餓鬼かおのれは」
「餓鬼でえーもん。カイくんの売りっちゅーんはなぁ、この人並み外れた美貌とかっこよさ、それに反するいつまでも子供心を忘れんハートなんじゃい」
「クソガキ」
「あっ、クソガキは駄目」

クソガキは傷付くらしい。
…………なんだかなあ。
まさかカイと、ホグワーツで、兄妹として教師と生徒として、向かい合うことになるなんてあの時は思いもよらなかったなぁ。まあ、わたしに予言の才能はないらしいので幼いころにした予測なんて全くアテにならないと言っていいと言える程に信用出来ないものらしいのだし。

「特別授業の受講生なんだけどさ。あれどういう基準で選んでんの」
「やあ、単なる適性やで?」
「……ほんと?」
「ほんと。男子は」
「女子は」
「可愛いこと」
「死んで?」
「疑問系!?」

ほんとに死んで?
先程の美女軍団にやってもらったのか三つ編みにしている長い金髪がキラキラと眩しく輝いている。カイは「うわぁ家庭崩壊の危機やわー」とか言って可愛らしく泣き真似をして、それが妙にしっくりくるもんだからつい吹き出してしまった。すらりとした、シリウスより更に高い長身。美人と呼べる顔。全体的には大人っぽい造りだが、その言動はどこかことごとく幼子を思わせる。そうか、ギャップで女を呼び込もうとしているのか、と神妙に納得してしまった。

「ていうか、ほんとに何しに来たんだよおのれは」
「んー。ちょっとおよめさん探しに」
「…………」
「んっ?」
「……わたしはてっきり、わたしに会いに来てくれたのかと思ってたんだけど」
「ごはっ」

自分でもこっぱずかしいと思う台詞を言ってのけ、火を着けた煙草を口に加え煙を腹に溜めていたカイを思いきりむせさせた。ごほごほごほ、と屈んでしばらく咳き込むカイ。してやったりだ。

「ごほごほ──あの、千智?」
「なに?」
「今の、ほんま?」
「嘘だよ」
「嘘かいっ!」
「そうだったらいいなぁ、とは思ってたけどね」
「千智……」
「ま。これも冗談なんだけどね」
「冗談かいっ!」

咳き込みながらも涙目で突っ込むカイは、明らかに常軌を逸している。ある意味関西人よりもよっぽどまっとうな関西人であることを再確認したところで、いい加減ごほごほ煩いカイが煩わしくなってきたので杖をもって肺に貯まった煙を消し去ってやった。

「おおー。魔女っ子やん」
「お前も魔法使いだろうが」


『で。何の用やの、クライムちゃん』
『クライムちゃん言うな』
『クライムちゃんはクライムちゃんや。ええやんクライムちゃん、可愛いて』
『……正確にはそれ、わたしの呼称じゃないし』
『ええと──確か、お前のおかーさんの呼び名やっけか』
『ふん。そもそもわたしにあんな不吉な称号、似合わねーっつうの。桐生も気付けよって話だよね。ライトクライムが、こーんな可愛い女の子な訳ないじゃん』
『しゃーなしやろ。そんな名称名乗るような時点でお前はクレイジーガールよ』
『……だってインパクトを与えてみたかったんだもん』
『いきなり可愛いな!』

だもん、とミリアちゃん流言い訳術を述べてみるとカイには思いの外ヒットしたみたいで奴は鼻の頭を向かって右手でつまんでズササッと後退りをした。……おい。妹相手に発情してんじゃねえだろう、な?冷たい視線を向けてやると奴は『馬鹿やなあ。禁断の恋、それ自体が萌えるんやないか!』と仮にも現在は教育者である身らしからぬ発言をしたので胴体を蹴った。蹲るカイに『馬鹿はお前だ』とだけ投げた。それとお前1つ変換ミスがあるぞ。

『ミスやないで』
『品性を疑うよお兄ちゃん』
『うう……。そ、それはそうと千智ちゃんはなんでお兄ちゃんを呼び出したんかな?こんな、人気のない場所に!薄暗い空き教室に!』
『んー。特に理由はないんだけどね』
『ううわ。さんざ引っ張ったオチがそれかいな。ここは一言ワンワードだけでもいいから何か思わせぶりな事でも言って、シリアスなムード漂わせんのがセオリーやろ』
『何のセオリーだよ』
『人生のセオリーや』

人生のセオリー。
似合わない言葉を使うカイのとんでもないセンスに笑って、目の前の兄を見つめる。わたしより長い金髪は、微かな外からの光でも充分に光る。細くて指通りのよさそうなそれは、風が吹くと、極上の砂をゆっくりと落としたような音がする。カイを見る。青紫のサングラス。その向こう側には本来は金色の切長い瞳が透けて映る。楽しい時は、毛づくろいした猫のように目を細める仕草をする。カイを見る。アダルト・チルドレンのように自身をとにかく大人に見せかけない服装。人混みに紛れ込みたいと思うのなら、奴の容姿という点を除けばうってつけのような身なり。とは真逆の意思を貫こうとしているのかくわえ煙草。表情のバリエーションが豊かになっている今では、一見して奴の心情を見抜くのが刻々と困難になっていっているのだと思うのは、会わなかった期間が長かったからなのか、一緒にいた時間が長すぎたからなのかは、わからなかった。

『……《人間は、生きてるだけで誰かに愛されるんだよ》』
『……は?』
『ほら、前にわたしに言ったじゃんか、偉そうな顔してさあ。あの言葉、今はちょっと気に入ってんだよ』
『あ?あー、あれな。お気に入り?』
『うん。すき』
『そーかそーか。お兄ちゃんは嬉しい。やっと千智も、潜在なる愛の尊さに目覚めちゃいましたか』
『うん。かもしんない』
『良かった良かった。うん、良かった。あれ、オレの言葉やないけど良かった』
『は?』
『良かった良かった』

殴った。
むかついた。
腹立った。

『ぐおお……千智の愛は、激しいなあ!お兄ちゃん萌えちゃう!』

黙れ変態と叫ぶ代わりに蹴り飛ばした。
自信過剰よりは自意識過剰。
DVよりは正当防衛だった。

『見直したわたしがばかみたいだ』呟いて、長身の大人がただわたしの足元にかっちょわるく蹲っている姿を上から見下ろすと、少しだけすっきりとした気分になる。……なんだかカイがこの学校に来てから、わたし、どんどん加虐的になっていっている気がするのは気のせいだろうか。カイが被虐主義者なだけなのかもしれないけれど、こいつのせいで近頃わたしの潜在的な優しさというものが露になっていない傾向があるらしいのが、最近のミリアちゃんの調査(『最近ツッコミが激しくなった』)から明らかにされているので、わたしとしてはどうにかしてやりたいところなのだ。うーん。一日中リーマスに張り付いてみようか。日が昇って沈む頃には立派なマゾになれる筈だ。あ、でもその後のシリウスとの付き合いにおいて重大な支障を来すかもしれないな。あいつには何処か被虐的な思考があるんだと思う。シリウスの片思い奮闘時代を回想して、しみじみと息を吐く。シリウス、お前は大した奴だよ。

『まーとにかくっ、チャーミングなカイくんの錬金術講座!楽しみにしてて下さいなー』
『わたし受ける意味あんのか?』
『やぁそれは……』
『それは?』
『兄妹のスキンシップの場?』
『そんなもんはない』
『もしくはお兄ちゃんの単位プレゼントと取ってもろてもええ』
『ただの贔屓じゃねえかよ』
『お兄ちゃんと言ってごらん!』
『馬鹿井』
『あっ!また言った!それあかんて言うてるやろ!?めっ!』
『うぜえ』
『ブローキンマイハート!』
『ブロークンでは?』
『ちっちっち。過去分詞やないの。進行形なの。現在進行形なの』
『何の話だよ』

……ほんとに何しに来たんだ、わたし。


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