029 魔のコンパートメント



「あーあ。せっかく皆仲良くなったのに、しばらくお別れなんだね」
「仕方がないわジェームズ。夏休みなのだもの」
「そうだけどね、ステラ。……ああ!僕、リリーと一緒に夏休みを過ごせるのなら1ヶ月頑張れる気がするよ!」
「なら別に頑張らなくても結構なのよ、ジェームズ」
「ああっ、僕の天使は手厳しい!」

「……うるさいぞ、お前達。こうも騒がれては、満足に読書も出来んではないか」
「あら。ごめんなさいね、ミリア」
「ふん。気をつけろ」
「結構な態度だなラザニア」
「不遜な態度だなブラック」
「死ね!」
「お前が死ね!」

「シリウスとミリアちゃんも十分に騒がしいと思うのはわたしだけなのかなあ、ペーター」
「ぴぴぴ、ピーター、だよ!」
「あ、ごめんピーター。一日寝たらすっかり忘れてて」
「ひど……!」

「僕以外の人間はみんなうるさいなあ。おかげで満足にチョコレートも食べられないじゃないか」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「ん?どうか、したかな?」

このコンパートメント内にいる自称紳士やお坊っちゃんより誰より優雅に座席に腰掛けているのはリーマス・ルーピン。皆は気軽にリーマスと読んでいる。前にミリアちゃんが間違えて(というかボケて)トーマスと読んでしまった時には世にも珍しいリーマス・ルーピンの必殺げんこつが振り落とされた、というような事件もあって、皆は気軽にリーマスと呼ぶことにしている。そのリーマスは「皆がうるさいせいでチョコレートが食べられない」などと吐かしつつ今も何食わぬ顔でチョコレートをコリコリと頬張っているが、しかしそんな些細な矛盾よりも彼には最も指摘してしまいたいことがある。それを指摘するために、皆が沈黙しているコンパートメントの中、勇気を振り絞って「はい」席に着いたまま挙手してみる。わたしとリーマス以外からは感嘆の視線が突き刺さる。リーマスは、ゆっくりとこちらを向いた。

「あのう、リーマスさん」
「なにかな、千智」
「あのあの。どうか怒らないで聞いてください。えっと、このコンパートメント内がすごく騒がしいせいでミリアちゃんが(料理の)本を読破出来なかったりリーマスが(食べてるけど)チョコレートを食べられない原因は、リーマスさん。あなたにあると思います」
「へえ?いいよ。聞いてあげるから続けなよ、君の推理を」
「まずですねリーマスさん」
「はい」
「わたし達の足元を見てください」
「はい。見ました」
「何か見えますね?」
「見えますね。車内の床が見えますね」
「いいえリーマスさん。車内の床は見えないはずです」
「ふうん?すると千智さん。あなたの位置からは一体何が見えるのですか?」
「わたしの双眼に写るのは、ただ床一面に埋め尽くされて足場もままならず、標高50センチを越えているせいでわたしたちの膝上にまで雪崩れているチョコレートの山でございます」

言葉の通り、このコンパートメントの中だけは皆揃って自分の膝から下が見えなくなってしまうくらいに、綺麗な包装紙に個別包装されている板チョコレートが縦横無尽に敷き詰められ重ねられ積まれ、異彩を放っていた。このコンパートメント内ではそのチョコレートの山だけが、明らかに浮いていたのだ。そしてそのせいでわたしたちは身動きが取れず、最初に座っていた5人に加えてわたしとミリアちゃんとステラちゃん、3人が合流したので8人乗り状態だったのでそもそも車内はちょっと狭い。そこへチョコ山ときたら、これはもう、せめてこの暑い夏休みの間だけはチョコレートを食べたくなくなってしまう程に見苦しいものだった。ていうか苛々する。埋もれた密室(窓開いてるけど)というものは、無条件に人を不機嫌にさせるものなのだ。リーマス以外は。そこまでちゃんと説明するとリーマスは「へえ。そうだったんだ」と笑い、それを聞いても尚チョコレートを食べる。

「でも仕方がないよね。お土産のチョコレートを入れていた、無限に入る鞄が壊れちゃったんだから。これじゃあ持って帰れないから、ロンドンに着くまでに減らさなくちゃ。それまでは我慢してよ」
「減らすって、この山をか……」
「道は切り開くものだよ」
「山作った本人が言う言葉じゃねえよ」
「それにしても、シリウスとミリアはまた喧嘩を始めちゃったねえ」
「そうだねえ、わたし達の応酬に飽きちゃったんだろうねえ」
「うるさいよね」
「仕方がないよね、自分のせいだし」

わたし的には今出来る精一杯の攻撃をしてみた。リーマスは「それもそうだね」とあっさり妥協して、死ね死ね言い合っている2人を見守りながらチョコレートをかじる。……窓がなかったらほんとに死んじゃうとこだったな、これ。見るとジェームズとリリーはなんだかんだで談笑し、ステラちゃんはピーターに絡んでいた(こわい)ので、必然的にわたしはリーマスに付き合ってやるか否かの選択を強いられる。…………。わたしはライフカードを放棄し、リーマスのようにシリウスとミリアちゃんをあたたかく見守ることにした。

「大体なぁ、うるさくて読書出来ねーんなら他のコンパートメント行きゃいいだろ!ま、お前を入れてやるヤツなんてスネイプ位なもんだけどなっ」
「ふん。私はそうしてもよいが、その場合は千智も連れて行くんだからな」
「はあ!?ざっけんな!」
「私は千智と一緒に歩いていたのだから、当然だろう」
「千智はオレのだ!」
「違うな。私のだ」
「オレは千智の恋人だぞ!」
「私は千智の親友だ!」

「…………」
あたたかく見守る意志がなくてもわたしは思わず沈黙してしまった。この2人、狭い車内で、何を叫び合っているんだ……。

「千智!オレとラザニア、どっちが好き?」
「私だよな?私だよな、千智?」
「オレだ!」
「私だ!」
「えー……いや、ちょ」
「ブラックか!」
「ラザニアか!」

ていうかミリアちゃん、もう英語、大体は大丈夫だね。仲間って、すごい。セブセブがますます不機嫌になってしまいそうなまでの成長だった。今だってミリアちゃんは、セブセブとではなく、皆と一緒にいる。

「黒色か!」
「食物か!」
「人間ですらねえよ」

……何気に仲良いよな、こいつら。


「ふん。夏休み、せいぜい好きに過ごすがよい」
「手紙書くわね」
「君も書いてねリリー!」
「あなたには書かないわ」
「あの、千智!ぼくの名前、忘れないでねっ!」
「お土産は甘いもののみ受け付けるよ」

ご両親が迎えに来たり来なかったりで、それぞれ好き勝手なことを言い残し何故かわたしとシリウス2人を置いてさっさと帰って行ってしまった皆。ミリアちゃんはツンデレだなあとぼんやり考えていたらこれだ。あんなにわたしにべったりで可愛かったステラちゃんまでご両親が車で迎えに来ているだとかで、走り去って行ってしまったのだ。……さみしいな、これ。で、放置されたわたしとシリウスは2人、もう人気のなくなった9と4分の3番線ホームで、立っていた。手を繋いで。……なんかいつかもこんなこと無かったか?ちなみにリーマスは例の大量のチョコレート山を半分まで減らすことに成功していた。…………。

「気ぃ利かせてくれたのかなー」
「…………」

ただし笑顔なのがシリウスで、
眉を寄せているのがわたしだ。

「ん?千智?」
「何ですかブラックさん」
「よそよそしいっ!」

ありったけの悪意を込めてファミリーネームで読んでやると、シリウスはあからさまにショックを受けたようだった。そしてぬけぬけと「なんか不機嫌じゃねえ?」聞いてくる。

「シリウスくんはもてもてですねー」
「は?」
「あんなに嫌ってたツンデレ系美少女のミリアちゃんとは楽しそうに喧嘩してるしー」
「あ、あれのどこが楽しそ……」
「脱力系美少女ステラちゃんとは前からの知り合いだったみたいだしーいじられてるみたいだしー。てゆーかわたしがホグワーツに来る前はちょーハーレムだったみたいだしー」
「いや、あれはいじめられてんだって!ハーレムについては……あー、そっか。なるほど」
「なにさ」
「嫉妬ですか千智ちゃん」
「…………」
「うりうり」

繋いでいない方の手で頬を触ってくるシリウス。とても笑顔である。ていうか、にまにましている。ここで更に不機嫌さをアピールすれば調子付かせること間違いなしなので、とりあえずは落ち着けと自身に言い聞かせた。

「シリウスも皆に取り残された系?」
「や。オレは──あー……」
「なあに」
「その……迎え、待ってる」
「むか──お父さん、か」

そういえばクリスマス休暇の時もシリウスのお父さんが迎えに来ていたような……。お。今度はシリウスが不機嫌になったぞ。面白い。

「多分あいつら──それ知ってるから、さっさと帰っちゃったんだと思うぜ。リリーとラザニアはマグルだし、万が一ポッター家と遭遇なんかしたらもう、大変」
「ジェームズの家族って、なんか大変そうだもんねー」
「たまに家抜け出してジェームズんち行ったりするんだけど──おじさんもおばさんも、いい人だよ」
「…………」
「色々、よくしてもらってるし」
「……そっか」

多分今年もお世話になるんだろうなあ。
シリウスは笑んで、さっきから頬に触れたままだった手をわたしの髪の毛に指通しした。あんまり至近距離からの攻撃なので、つられて笑い返してしまう。

「千智ー」
「ん?」
「オレとしてはこのままラブラブしててもいんだけどさ……お前オレの親父嫌いだろ?顔合わせねー内に消えた方が良くね?」
「あー……だね。じゃ、お言葉に甘えましてそうすることにするよ」
「おう」
「手紙書くね」
「おう。ラザニアより先にな」
「……シリウスって、可愛いよね」
「おう」
「愛してるよ」
「オレもだよ」

シリウスの背が高いので、わたしからキスをすると背伸びしなくちゃいけないせいで足元がぐらつき、ちゅう、と音が鳴ってしまう。──から、あんまりしたくなかったんだけどなあ……。わたしからすると、とても嬉しそうに笑うから、仕方がなかった。

「じゃね」
「またな」

壁を抜けると、本当のキングズ・クロス駅のホームに出る。色々な人間が、がやがやと騒がしい。人混みの隙間をすり抜けるように歩いて、わたしは出口へと向かった。今から、わたしの夏休みが始まるんだ。

それではしばしの間、
世界の休息を舵取らせて頂きます。
さよなら魔法界。


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