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寂しい僕に火をつけて


『欲しいものは最後まで手に入らないから欲しいのだ。』

いつだかに誰かがそう言っていたのがチラリと頭の中をよぎった。
思えば昔から誰かに様々なものを奪われる事続きの人生だったように思う。
人に、金に、物。特に自分の愛した人はいつだって自分の物にはならなかった。あと少しで触れられそうな所にあるのに、伸ばした手で掴めたものは無かった。



白石は行き倒れていた。網走監獄を出て小樽までの道中は決して楽なものではなかったが、久々の娑婆の空気を感じて意気揚々としていられたのはほんの数日だった。密かに隠し持っていた路銀幾ばくかを落としたなんて、本当にとんだドジをしたもんだ。無銭飲食だとかそんなケチなマネをして監獄に戻されたとしても、また外に出て来られる保証は無かったし、また監獄に戻っても無事に生きていられるかどうか知れない。

(まぁ、死んだって別にかまわないんだが)

野っ原に寝そべりながら目を閉じる。まぶたの裏に浮かぶのは、遠い昔に置いてきたあの人の事ばかり。いつかまた会えるまで、彼女の事は決して忘れる事は無いとそう思っていたはずなのに、最近じゃ思い出そうとしても面影が薄ぼんやりとしか浮かばなくなってきていた。

遠い昔、それこそ自分が白石由竹として生まれて来るずっと昔の事を白石は覚えている。ほんの数十年前まで自分は別の名前を名乗って、別の人生を歩んでいた。それ以前の名前はとうに忘れたが、何十年も何百年も色んな生を受けて自分は生きてきた。
目まぐるしく続く生と記憶、この明治の時代に脱獄王として名を馳せる事が出来たのは、かつての自分がして来た経験を全て覚えていたからだった。

気付けば、昼の日差しが傾いて僅かに気温が下がっていくのを感じる。いつの間にか飛び始めたトンボが鼻先に止まったのを見て、何故自分はいつまでも人として生まれて来れるのだろうと思った。

これまで生きて来た中で戦地に赴いてたくさんの人を殺めた事があった。何とかして子供を守ろうとする母親や老人を躊躇いなく殺して、まだ目の開かない赤ん坊の命を奪った事もある。いつだって人が人を殺しあうこんな戦争なんか早く終わってしまえと思うのに、皮肉にも生まれ変わる時代はいつも戦火の中にあった。罪の無い人々を殺めてまで、何故自分はいつまでも人として生きなくてはならないのか。

その度にあの人はこの時代に生まれ変わって来ているだろうかと、そう思う事が白石の心の拠り所だったのに。 顔も名前も、今ではもう思い出せなくなっていた。

「あー、クソ。早く楽になりたい…」

この長い長い悪夢のような人生と決別できたらどんなにいいか、そんなことを今まで何度願っただろうか。

目の前に広がる青空ががだんだんと霞んで見えてくる。鳥の鳴く声も風の音もやけに遠く聞こえてきて、どうやら白石由竹としての生も、ここまでのようだ。
このまま目を閉じて、次こそは何もかも真っさらな新しい人生を歩みたい。

(…願わくばどうか、あの人と添い遂げられる来世を)

意識がゆっくりと沈み込んでいくのを感じた。この感覚はいつも同じだ、人が死ぬ時はみんなこんな感覚を味わうものなのだろうか。

心臓はゆっくりと今にも止まりそうになりながらそのまま死を迎えようとしていた時にふと、頬に何か触れているような気がした。

(………風か?)

誰かの声も聞こえてくる。瞼にはまだかろうじて感覚が残っていて、ゆっくりとだが目を開ける事が出来た。薄ぼんやりとした視界の先に誰かの顔が見えてくる。

「……し、もうし」

幻か、はたまた夢なのか?目の前にいるこの人はなんて美しい人なんだろう。
ああ、そうだ、確かあの人はこんな顔をして、こんな声をしていたように思う。

「大丈夫ですか?おかわいそうに……」

ああ、美しい人が自分の頬を撫でている。ここは極楽か?まさかやっと自分は死ぬ事が出来て、彼女に会えたのだろうか。

がばっと目を見開き飛び起きて、シャツの胸元を勢いよく破った。
監獄でのっぺらぼうに彫られた刺青がある。まだ死んでないのか?俺は、白石由竹なのか。

しばらく呼吸をしていなかったから、新鮮な空気が肺に入り込んで咳込んだ。苦しい、だがどうやら自分はまだ生きている。
背中をさすってくれる美しい人。昔も今の名前も分からないけど、この人は遠い昔に置いてきた最愛の人。

「……あ、あなたをずっと探していました…」

掠れた声しか出せず、その人は不思議そうな顔で白石を見ている。
涙が、嗚咽が、次々と溢れて、体が震えてしまう。

確証なんかない、でもきっとこの人だ。

「あなたは僕の運命なんです」

きょとんと首を傾げたその人は昔と変わらず良い匂いがした。



2017.02.18
2018.04.14
引越、加筆修正

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