ssp1 リンメイ | ナノ
あなたまであと何cm?
あたしはリビングのソファの背もたれにあごをのっけてうでを投げ出して、ひと続きになったダイニングのほうで立ち話をしているめい姉とカイト兄とマスターを眺めてる。
3人ともスラッと背が高くて、なんていうかすごく、大人。この3人と並ぶと、るか姉が小さく見えるくらいだから、この家で一番小さいあたしが並んだらそれはもう残念な感じになる。
話は終わったみたいで、めいこもかいともいなくなって、マスターだけが残って冷蔵庫からグレープフルーツジュースを出してきて立ったままグラスに注いで飲んでいる。
「マスターはずるい」
独り言だったのに、マスターはぱっと振り向いた。
「ん? リン? どうしたの」
ほっといてくれればいいのに、聞き逃してくれない優しいマスターは嫌い。
グラスを置いたマスターはわざわざソファを回ってきて、背もたれにぶらさがっていたあたしを抱きかかえて、膝にのせて座った。
子供扱いするマスターはもっと嫌い。
でもこれ、顔見ないぶん話しやすい、かも。できるだけなんでもなさそうに、前を向いたまま真後ろに声をかける。
「マスターって、身長何cm?」
「170とちょっと。あー、でも、今は縮んだかもなー」
耳の後ろから聞こえる声は少し聞きづらい。そのくらいがちょうどいい。
「めい姉とかい兄は?」
「めーちゃんが自分と比べて5センチくらい低くて、カイトが同じくらいの差で高いかなぁ。測ったことないけど」
あたしは152cm。めいことは、約15cmの差があるらしい。
「何食べたらそんなにおっきくなんの?」
「えー、好き嫌いなくなんでもよく食べればいいんじゃない」
「そんなもんなの?」
「あと、早く寝ないと成長ホルモンが出ないとか。食事は、カルシウムも大事だけど、ビタミンDが日光浴びないとダメで――」
「ふーん」
マスターがカルシウムとビタミンDが豊富な食べ物をいくつも挙げているのをぼんやりと聞く。
でも、それは、成長期の人間にとってってことだよね。違うよね、あたしには、関係ないよね。
「別に、違わないよ」
「え?」
「ヒトもVOCALOIDも」
いつもすっとぼけてるのに、こういう時だけ勘のいいマスターは大嫌い。
でもね、一番嫌いなのは、どうにもならないあたし自身。
「リンはおっきくなれないかもしれないけど、自分だって、もうリンみたいに小さくも可愛くもなれないからねー」
うん、マスターには悪いけど、ちっちゃくてかわいいマスターはちょっと想像できない。そのちぐはぐな感じが面白くて、あたしはくすくすと笑いを漏らした。
「年の差はどんなに頑張っても縮まらないし開かない。身長差だっておんなじことだと思えばいいよ。むしろ、年齢差は――ね?」
冗談めかしながらも、マスターは最後まで言わずに、あたしの頭を優しく撫でてから横にずれるようにあたしを下ろした。
「リンもジュース飲む?」
「いい」
マスターから苦くて酸っぱい甘い匂いがちょっとだけする。あたしの今の気持ちみたいな。
首を横に振ると、そっか、と笑ってリビングを出ていった。
その背中を見送って、置き去りにされたテーブルの上のグラスを眺めていると、めいこが下りてきた。
めいこはあたしに気付いてから、空のグラスに目を向けた。
「リン?」
グラスを指差しながらの、苦いココアパウダーをちょっぴりふりかけた甘いミルクココアのような、ほんのわずかに責めるような調子をのせた優しい声に、あたしは首を横に振る。
マスターだよ、って教えると、すごく複雑な顔をした。そのまま黙ってグラスを流しに持っていく。
めいこはマスターに甘いもんね。
あたしやレンだったら、叱られちゃうけど。
「めい姉」
たったグラスひとつを丁寧にすすいでいる背中にそっと近づいて名前を呼ぶ。
何も言わずに振り向いた視線が、あたしよりも高いところにあるのを、少しだけ悲しいと思う。
あたしより広いその背中に顔を埋めるように抱きついた。
「どうしたの」
「ううん、呼んでみただけ」
「へんなの」
きゅ、と水道が止まる音がして、めいこはこちらを向いて、濡れたままの手があたしの頭を撫でる。
そっと顔を伺うと、優しさと愛おしさをことこと煮詰めたみたいな笑顔で、あたしはどこまでも甘えたくなるような突き放して泣き出したくなるようなごちゃまぜの気持ちになる。
あたしは、めいこのかわいいかわいい妹だもんね?
当たり前じゃない、って返ってくるのがわかってるから、訊かないけれど。
「今日のリンは甘えんぼさんなのねー」
「えー、ちがうよー。めい姉が寂しがってる気がしたから、構ってあげてるのー」
うりうりとやわらかな胸に頬ずりすると、めいこはくすぐったそうに笑みをこぼした。
「あら、そうだったの? ふふ、ありがとう」
「どーいたしましてっ」
おだやかなまま変わらないリズムの心音を聞きながら、あたしのリズムだけが狂っていく。
もっと構ってあげるから、もっと甘えてみせてよ。あたし、もっと、大きな身体にはなれないけど、器の大きな女になってみせるから。
「ただいま。ねぇ、リン」
ある日の夕方、帰ってきたマスターに手招きされて呼ばれたあたしは、今日も大きくなれないままで、20cm下から見上げながらマスターにおかえりなさいを言う。
マスターは肩から提げていたわりと大きなショップ袋をおろしてあたしに手渡した。
「なぁに?」
「開けてごらん」
厚手のオシャレなビニールの袋から出てきたのは、しっかりとしたつくりの紙箱で、その時点でプレゼントの正体はわかった。箱書きは23cm、つまり、あたしにピッタリのサイズの、靴。
しかも、箱から出てきたのは普段は危ないからって頼んでも買ってくれないヒールの高い靴。それも、大人っぽすぎないブーツデザインのヒールスニーカーだ。これなら、あたしのクローゼットの中のショーパンやデニムスカートにもよく合うと思う。
この人はどうして自分のファッションには無頓着でダサいのに、あたし達に買ってくる物はフツーにセンスがいいんだろう。
不思議な気持ちで失礼な事を考えながら目の前の送り主を眺めていると、ニッコリと笑った。
「どういたしまして」
すぐにあたしが言うべき台詞の返しを先回りしたんだと気付く。
「え、あ、ありがとう」
マスターは満足そうに二回頷いてから、あたしの髪をくしゃくしゃに撫でて、着替えるためにいなくなってしまう。
あたしはその背中が見えなくなってからカウントダウン。3、2、1……0!
キッキンのめいこに向かってスタートダッシュを決める。
「ねぇ、めい姉、デート行こう。デート!」
急にどうしたのって笑うめいこに、ほんの少し背伸びをしながら飛びつく。
どこに行ったっていいの。新しい靴を履いて、新しい目線でめいこと出かけることができたら。新しいの展開だって、あるかもでしょ?
ねぇ、マスター。あたしにハンデくれたこと、後悔させてあげるから!
[projectTop]
[Home]