ss1 私の知らないあなたの旋律 | ナノ


マスターに唐突に渡された楽譜。綴られた詞は、メロディーは、誰が聞いてもわかる悲恋を唄った歌でした。
それも主旋律を交互に唄い重ねるデュエット。かわいらしいピンクのマーカーが引かれたほうが、きっと私のパートなのでしょう。
じゃあ、相手は? MEIKOさんでしょうか。KAITOさんでしょうか。
「……ぇ、……ねぇ。ルカ姉!」
「あ……、あぁ、ミクさん。ごめんなさいね。今、マスターに渡された楽譜を読んでいまして」
そこまで言葉にしてから気付きます、綺麗な指でくしゃくしゃに握られた紙の束を。
引かれたラインの色は綺麗な浅葱色。
「もしかして……」
こくん、と細い顎が無言でちいさく頷きました。
どうやら、お相手はミクさんのようです。
世間ではネギトロだなんだと騒がれているそうですが、そういえば私はミクさんと二人で唄ったことがありません。
初めて、に少し高揚している自分がいました。
一緒に頑張りましょう、とかそんなような簡単な言葉をかけようとしたのだけれど、一瞬早く口を開いたのはミクさんでした。
「こんなのって、酷い……」
酷い、とはどういうことでしょう。尋ねても、返ってくるのは沈黙だけです。
もしかして、私と唄うことが嫌なのでしょうか。それは少し哀しい気がします。
私には小さく震える肩にかける言葉を見つけることができませんでした。
とてもゆっくりと時間が過ぎ去っていったような気がします。私は躊躇いながらも、手を伸ばしました。
しかし、怯えた獣のようにするりと、彼女は巧妙に逃げてしまいました。
私には、風船を手放してしまった子供のように、呆然とその背中を見送ることしか出来ませんでした。
そして、我に返り顔をあげて、楽譜を渡されてから20分と時間が経っていないことに驚かされたのです。



それから、数日が経ちました。特に変わった事もなく、レッスンをはじめることもなく。
ただマスターに、この歌の事はみんなには秘密にするように、一人で練習しておくように言われただけでした。
ミクさんも、顔を合わせるのは食事時くらいでしたが、いつもと変わらない様子に見えました。



そして今朝、マスターは急にミクさんと私を連れて車を出し、
割合しっかりとレコーディング機材の整った貸しスタジオへと赴いたのです。
マスターは趣味で音楽をやっている人なので(それなのに6人ものVOCALOIDを所有しているのは稀有な事ですが)、自宅に設備があるわけではなく、かといって滅多に今日のようにスタジオを借りるわけでもありません。
それに、マスターは基本的に作詞しかしない方なので、私達がマスターのオリジナル曲を唄う事自体あまりないのです。
そんなマスターはいろいろと準備があるようで、私たちをスタジオにいれるとマイクは使えるので適当に練習しているよう言って、すぐにどこかに行ってしまいました。
『Ah〜……』
確かに、マイクは入っているようです。
すると、車中にいる時からだんまりを続けていたミクさんが私の隣のスタンドマイクの前に立つと、急に渡された楽譜の頭から唄いはじめたのです。
『届かない、伝えられない。伝えたとしても伝えきれない。バラバラになってしまう』
アカペラでも凛と通る、歌姫としての貫禄ある歌声に圧倒されかけましたが、私も続いて同じ旋律を重ねます。
『届かない、伝えられない。伝えたとしても伝えきれない。バラバラになってしまう』
『届いて欲しい。伝える事ができるなら、この想いが叶うならば壊れてもかまわない』
重なり、寄り添い、付かず離れず奏でるハーモニー。
二人で創りだす音だけがあるこの場所が、とても心地がいい。この感情はいったいなんなのでしょう。
『勇気がないのはあなたでしょうか、私でしょうか。
 あと一歩踏み出してくれたなら、受け止めましょう。世界の果てまでついていきましょう』
私のソロが終わった時、いつまでも続くと思っていた二人の世界から音がなくなりました。
「ミクさん、泣いているのですか……?」
力強い瞳から静かに流れ落ちる滴。
無意識のうちに私は濡れた頬に触れていました。
「っ!! ……る、カ姉の馬鹿ぁ!」
私の手を乱暴に払い振り上げられた拳を何故か怖いとは思えず、目をつむり受け入れようとしました。
しかしいつまでも相手が動くことはなく、ゆるゆると目を開ければ、拳を掲げたまま声もあげずにぼろぼろと涙を落とす少女がいました。
「好き、好き、大好き。ルカ姉の事が好き。愛してる」
「私もですよ」
見開かれる翠の瞳に映る自分が今まで見たこともないほどの笑顔で、目の前の泣き顔が驚愕からさらに眩しい笑顔へと変わるのを見ることができて、幸福感に満たされるのを感じました。
抱きついてきたミクさんを受け止め、自分ととても似ている、でも少し違う甘い匂いに酔いしれました。
その後どちらから唇を重ねたかなんて、重要なことではないのです。





レコーディングルームに隣接するミキシングルーム。
たくさんの機材に囲まれたディレクターズチェアに座る、何の感情も読み取れない背中。
小さなモニターには、レコーディングルームの緑と桃。
「やっぱりここにいたのね」
慌ててヘッドホンをはずし振り返った顔には、まるで気付かなかったというような驚きの表情が見えた。
「なんだ、めーちゃんか。出掛けるって、わざわざ尾行してきたの? 言ってくれれば一緒に乗せたのに」
「なんだとはヒドい言いぐさね。それにしても、マスターは相変わらず乱暴だわ」
「……まあ、一度成功している方法だしね」
「でも、うん……、確かにそうよね」
同じような曲を、あたしは唄ったことがある。ソロで。届かない伝えられない想いをぶつけるような激しくも切ない曲だった。
同じレコーディングルームで。隣の部屋にいるマスターにだけ聴こえるように。
あたしがここに来てしばらくしてから、ミクが来る少し前の話。
「なんで?」
――マスターにはわかるの?
「マスターはなんでもお見通し、ってことにしておいてよ」
にへら、といつものようにだらしなく笑うマスターが一瞬だけ寂しそうに見えたとしたら、それはあたしの考え過ぎかしら。
あたしは今、踏み込んではいけない領域の一線を越えようとしている。でも、言葉は止まらない。
「ねぇ、マスター?」
「ん?」
「もしかして、マスターもしていたんじゃないの?」
――恋を。届かなかった、いや、伝えられなかった恋を。もしくは、伝えたのに破れてしまった恋を。
あたしの知らない昔に、あたしの知らないひとに。
「だったら、どうする?」
悪戯っぽく笑うマスター。でも、あたしの知らない暗い瞳の奥底では笑っていない気がする。
もし、そうだったら。マスターがあたしではない誰かを愛していた一瞬があるなら。
――嫉妬。胸の奥でくすぶる二文字を、あたしは消すことができない。
ふいにマスターが何か手元の機械をいじると、部屋の明かりがほとんど落ちた。
「MEIKO」
真剣なその声に何度同じときめきを繰り返しただろう。
名前を呼ぶときは、恋人同士であるとき。
立ち上がり、不適な微笑をたたえたまま近付いてくるマスター。
軽く肩を押されただけであたしは足下がおぼつかなくなり、大きな機械の一部にもたれかかる形となる。
覆い被さるマスターに首筋を舐めあげられる。
スチールの冷たさを背に感じながら、マスターの熱を受けとる。
思考を放棄し霞みはじめた視界の端に、暗がりに浮かぶモニターの中で重なる緑と桃が刹那映りこんだ。

fin.

あとがき




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