ss28 ミルクチョコレート、あるいは | ナノ ミルクチョコレート、あるいは


 夏の昼下がり。
 陽光は、サッシのガラスと薄手のカーテンを通してもまだ強い。高い位置の大陽が照らす狭い面積のフローリングはギラギラと金色に燃えているようだ。
 対して、照明が落とされている冷房の効いたリビングは、少し薄暗く静かでガランとしている。
 そんな快適な広い空間をソファに寝転がって一人占めしているマスター。
 肌掛けも用意せずにお腹を出して寝るには少々涼しすぎるだろうと思い、壁のエアコンのリモコンパネルの前に立つ。
 案の定、あまり健康的ではない設定温度で、あたしは環境省推奨温度までそれを上げた。
 1℃あげる度に電子音を小さく鳴らして、呼応して冷房は冷たい吐息を優しくして。
 ギシリと軋んだ音に振り向くと、マスターが辺りをうかがうように首だけ少し起こしていて、小さく唸った。
 こちらに気付いた瞳が、焦点が合わないまま揺れる。
「起こしちゃった?」
 なんだかぼーっとしているマスター。寝起きだからしょうがないけれど。
 近付くと、あたしの動きに合わせてゆっくりと顔を動かして追う。
「夢でも見てたの?」
 真上から覗き込んで訊いても、むにゃむにゃと言葉にもならない音を発するだけでちっとも要領を得ない。
 何度か瞬きを繰り返してやっとしっかりと視線が合うと、そのままじっと一時停止して、そのあとへにゃりと破顔一笑。
「めーちゃんの目は安心するね」
 唐突にそんなことを口にする。
「他の子達は青い目を、この国の人たちとは違う目の色をしているから」
 そう言うマスターの瞳とひじ掛けにこぼれる短い髪は綺麗な黒だ。
 あたしは屈んで、そっとその寝癖のつきやすい少し硬い髪に触れた。
 カイトは明けかかった夜の帳の色、ミクは遠い異国の海の色、リンとレンは冬のどこまでも澄んだ空の色、ルカは春の柔らかな空気の色──彼女は歌うように言葉を紡ぐ。
「どこか行きたいね」
 ふと視線を遠くに外したマスターが見ているのは、どこの空と海かしら。
「どうせどこにも行かないんでしょう?」
「よくわかったね」
 くくっと小さく喉で笑って、なによりも家にいることを好むマスターはあたしが滑らせた手に手を重ねた。
「ねぇ、あたしの目の色は?」
「ん?」
「あたしの目の色は何の色?」
「そうだなあ……。濃いめにいれた紅茶の色、焦がした砂糖の、カラメルの色。あと、ミルクチョコレートと」
「……マスター、お腹空いてるでしょ?」
「そうかもしれない」
 初めて気がついたと言わんばかりに目を丸くした。
 あたしが呆れて笑うと、マスターもつられて笑った。
「食べ物以外だと、うん、日だまりのフローリングの色かな」
 マスターは手を取ったまま上体を起こして、外へ続くベランダの方を眩しそうに見た。
 うちにいるのが一番だね、なんてのんびりと呟く。
 あたしがカーテンのレース模様がかすかに揺れる床の光に目を奪われていると、マスターが無言で繋いだ手をちょいちょいと引いて、逆の手で、自分の隣をぽんぽんと叩いた。
 期待と幸福に満ちて耀くマスターの瞳が、フローリングに落ちた薄い影の色をしていたことはナイショにしておこうと思う。


fin.

あとがき→





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