ss23 星に、貴女の願いを | ナノ
星に、貴女の願いを
常夜灯の明かりが部屋の隅の陰をより濃くしている中、暖房を消してゆっくりと冷えていくリビングの一人掛けのソファに深く身を預け、独りじっとしていた。
身を潜めていたとか、息を殺していた、みたいに一生懸命隠れていたわけではなく、ただただじっとしていた。
アルコールは口にしていなかったし、何か考えていたわけでも、かといって微睡むわけでもなく、秒針がゆっくりと時を刻むのを聞き流していた。
いつ頃から、どれくらいこうしていただろうか。今が何時ごろかもわからないし、時計を振り返る気力もない。
とっくに弟妹たちは自室に戻っているし、マスターも今日の寝床をソファではなく素直に自室のシングルベッドとしているようだ。
何もしたくなかった。そう、何も。
とりあえず、眠ることを拒否した。
睡眠は不可欠ではあるが、一日の4分の1や3分の1も寝ている必要はない。人間と違って、一週間くらい不眠不休で起動していたって問題はないくらいだし。
ただ、起きている意味もない。
あたし達のマスターが、歌ではなく家族という符号を与え、人間らしく振る舞うことを望んでいるならば尚更。
不眠症のVOCALOIDなんて聞いたことない、と大笑いしたいような、それすらもしたくないような。
面倒になって、考えることも放棄しはじめた時――
かちゃり、とドアノブの回る音。
心臓と脈動を模したポンプとプログラムが跳ね回る。
その必要もないのに、ぎゅっと身体を縮めて、気配を殺そうとしている自分がいた。
何故? 見つかった時の言い訳を考えるのが面倒くさかったから。……たぶん。
マスターがドアから頭だけ出して、キョロキョロと辺りを見回す。ほっと安堵した様子を見せ、そっと部屋に入ってきた。
ちょっと目が冴えちゃって、という感じではない。
今のあたしと同じように大きな身体を窮屈そうに縮めて、足音を殺して歩いている。なにより部屋着には不釣り合いな外套をしっかり羽織っていた。
視覚において、完全暗黒では何も見えないのは人間もVOCALOIDも一緒だけれど、僅かな明かりの下ではあたし達の方に利がある。
向こうからは見えず、こちらからは見える。そうとわかっていても、視線がこちらのほうをなでる度にドキドキする。
結局マスターはあたしには気付かないまま、忍び足で吹き抜けの階段をあがっていった。
誰かの部屋に、と考えて、自分に用があったのなら面倒だなと思う。
ベッドにあたしの姿を見つけられずにこの夜中に大騒ぎするのだろうか。でも、あのマスターなら、許可がとれなければ、鍵がかかってなくても勝手に入ることはないだろうとも思う。
すぐにマスターは降りてきた。
くすくすと小さく、でもものすごく楽しそうに笑うリンとレンを引きつれて。
二人も、それぞれ色違いのダウンジャケットという暖かそうな格好。どこか出かけるのだろうか。
少しだけ、寂しいと思う。
「あ」
マスターのすぐ後ろについてきたリンが、ふとあたしと目が合い、声を発したまま固まってしまった。すぐにマスターとレンがその声に反応する。
「リン?」
「どした? ……うわぁ!?」
足を出す途中で振り返ったマスターは、最後の一段を踏み外し、大きな音をたててしりもちをついた。
「いてて。……?」
脚を投げ出して床に座り込んだマスターは、じっと一点を見つめたままのリンとレンを見て首を傾げた。
その視線の先を辿り、つまりあたしの方に向き、それでもまだ何も見えていないのか不思議そうな顔をして一人で立ち上がった。
そして、緩慢な動作で壁に手をついてリビングの電気をつけた。
瞬間、部屋は蛍光灯により照らされた。そのほぼ真下にいたあたしも例外なく。
空色の二対の瞳に加え、漆黒の瞳に射ぬかれる。
「……なんでいんの?」
少し硬くて冷たい声。
まるで赤の他人に向けられるような訝しげな視線に、身が竦む。
しかし、次の瞬間には、
「ま、バレちゃったならしょうがないか。めーちゃんも一緒に見る?」
ふにゃ、って幸せそうに笑う、いつものマスターがいた。
「むぅ、最初からわかってるなら、こそこそしないでミク姉と一緒に見たかったな」
フリーズを解いて、頬を膨らますリン。
「今から起こす?」
と、これはレン。
「いやぁ、あの子一回寝たら起きないから。それこそ、眠りの浅いルカが先に起きていろいろ言われるよ」
マスターが苦笑しながら言う。
はっきり言って、全く話が見えない。ミクやルカの名前が出てくるのも、さっぱり。
「何……? 何を見るって?」
こんな夜中に何故かは知らないが、どこかに何かを見に行こうとしていることはなんとなくわかったので、思い切って訊いてみた。
「リュウセイグン」
3つの声が綺麗に重なって返ってくる。
リュウセイグンが流星群だと脳内変換するのに時間はかからなかった。
昨日あたり、ニュースでやっていた気がする。そう――、
「双子座流星群」
マスターがあたしの頭の中から言葉を引っ張り出してきたみたいに喋った。
「え? ああ、ニュースでやってたわよね」
「うん、三大流星群のひとつでね、毎年12月中旬に双子座を放射点にしてたくさんの星が流れるんだ。軌道の関係で100年後には見えなくなっちゃう貴重な流星群。今夜が極大って言って、一年のピークかな」
「……詳しいのね?」
「星、好きだからね」
初耳。いや、そういえば、ロケットや探査機が打ち上げられたり帰ってきたり、失敗する度に、一喜一憂してたかもしれない。
「ホウシャテンって何?」
「放射点っていうのは……見ながら説明した方が早いや。行こ行こ」
レンの質問を受け、マスターはさっさと双子を連れてベランダに出ていった。
「見るって、うちから見えるの?」
そう言いながら、なんとなく3人を追ってみた。
夜空なんて改めて見上げるのは、いつぶりだろうか。初めてに近いかもしれない。
ポツポツと星は見えるけれども、満天の、というわけでもない。
「雲がないだけで、十分だよ。そりゃあ空気が綺麗で明かりが少ない方が暗い流れ星も見えるけど、一等星より明るい流れ星もあるから」
それから、聞いたことがあるようないくつかの星座と、流れ星の流れる方向を教えてもらった。
流れ星の起点が集まる中心を放射点と言い、それが双子座の位置にあるから双子座流星群と呼ぶのだそうだ。
「流れ星を見るコツは3つ。1つ、空をぼんやりと広く見ること。2つ、明るいものを目に入れないようにして暗やみに目を馴らすこと。3つめに、運」
すでに、リンとレンは手すりにしがみついて一生懸命に空を仰いでいる。
「最後、運まかせなのね……」
「まあね。あ、めーちゃん、寒くない?」
「大丈夫よ」
そう言ったのに、耳に入ってるのか入ってないのか、コートのボタンをはずしだすマスター。
「だから、大丈夫だってば」
風邪なんてひくようにはできてないのよ。寒いと感じても、特に意味はないんだから。
「いいから、いいから。おいで?」
両腕を広げてそんなこと言われても困る。
しばらく無言で対峙していたが、渋々あたしが折れてその腕の中におさまった。
「あ、今流れた!」
「オレの方が先に見つけた!」
「同時だってば! ねぇ、マスターは今の見た……」
振り返ったリンが、びっくりして、それから笑った。
「んー、ごめん。見てなかった」
マスターがこれっぽっちも悪びれずに言う。
しっかりと後ろから抱きつかれてるあたしは逃げも隠れもできなくて、非常にいたたまれない。
「あ、また流れた」
「えっ、ずるい! どこどこ?」
「もう見えないだろ」
レンとリンは騒ぎながらも、懸命に広い夜空に首をめぐらす。
「なんで急に流れ星なんて見ようと思ったの?」
腰からお腹に回された腕がくすぐったくて、少しでも気を紛らわそうと話をふってみた。
「双子座だったから」
頭のすぐ後ろからの声の方がよほどくすぐったかったけど。
「それだけ……?」
「うん、それだけ」
「ふ〜ん……」
双子座を双子に、ね。
「じゃあ、ミクはなんでお呼ばれされてないの?」
カイトやルカは興味がなさそうだから、だろうけど。
「うんー、だってほら、ミクに起きてろってのは無理だろうし、起こしに行ったらルカもきっと起きちゃうでしょ? で、ルカにばれたら、そりゃあメイコに情報がいくでしょう……?」
なんだかものすごく歯切れの悪い言い方。
つまるところ、
「夜更かしがバレないように、ってことね? 怒られるってわかってるなら、しなきゃいいのに……」
「こういうのは、秘密にするのが楽しいんだよ。ドキドキがそのままワクワクになるっていうか。ね?」
ほんと、思考が子どもよね……。「今、何時?」
あたしの質問に、腕時計を操作してバックライトで文字盤を読むマスター。
「えーっと、三時?」
「明日、平日よね?」
「うん」
「仕事あるわよね?」
「うん」
「こんな時間まで起きてる場合じゃないわよね?」
「うん……」
……笑って言ったって許さないわよ?
首だけで振り向いて軽く睨み付けると、慌てたように体を離された。
あたしはあたしで、思いの外近すぎる顔に慌てて、冷えていく背中に胸がつまりそうになった。
「じゃ、じゃあっ、もう一個だけ見たら寝るから!」
いままでろくに見てなかったくせに。
マスターはリンとレンの間に割って入っていった。
「何個見れた?」
「7個!」
「オレ、8個〜」
「おお、すごいすごい」
2人の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
急に、暖かな格好の3人が羨ましくなった。
「じゃあ、最後の流れ星に願掛けでもしようか!」
「流れ星に3回お願い事言うやつ?」
「無理じゃね?」
「長いものなら1秒間流れるから、0.3秒で一回言える願い事ならできるよー」
「みかん、みかん、みかん……とか?」
「ロードローラーは言えなさそうだもんねー」
「じゃあ、オレはゲームゲームゲーム……」
「なんで?」
「3rd欲しい……」
「欲しいなら、そう言ってくれれば買うのにー」
「あはは、レンのお願い、流れ星にお願いする前に叶っちゃった」
真夜中なのも忘れて3人ではしゃいでいる。いや、真夜中だからこそのテンションとも言えるかもしれない。
「で、めーちゃんは?」
「あたしは、遠慮しとく」
「えー、めぇ姉も言ってみなよ。マスターが叶えてくれるかもよ」「そうだよ。叶えたいって気持ちが大事なんだと思うよ」
マスターとリンがキラキラした瞳でこちらを見てくる。
「特に、ないわ」
「えー、つまんないのー」
そう言ってリンは、集中を切らさないレンの邪魔をしはじめた。
「マスターは」
「?」
「マスターのお願いは?」
首を傾げて、思案顔。
考えてなかったの……。
「家族が健康で、仲良しで、幸せならいいんじゃないかなー」
「どうやって3回も言うの?」
「流れてから考える。あ、それともめーちゃんのお願いを教えてくれたら、1回言ってあげる。そしたら、めーちゃんは2回言えば願い事叶うかもよ」
ニコニコと笑うマスターに、あたしはマスターのささやかな願いを壊すかもしれないわがままな願いを伝えることはできなかった。
結局、願いを叶えてくれる星は流れなかった。
「急に流れなくなっちゃったね」
「……物欲センサーでもついてんのかな?」
マスターが真面目な顔でそんな事を呟いた。
横でレンが欠伸をしている。
「もうそろそろ寝たほうがいいんじゃない?」
「そうだねー……。極大は0時から2時らしいから、ここで粘っても確率はどんどん下がるだけだし。どうしても見たいなら、明日の同じ時間の方がいいだろうね」
さすがに眠かったのか、3人はあっさりと諦めてさっさと部屋に入っていった。
「おやすみなさい」
「うん、おやすみ」
マスターは伸びをしながら廊下へと消えた。明日の朝、ちゃんと起きてくれるといいんだけど。
サッシを閉めて、10cmほど開いているカーテンが気になり、手を伸ばす。
「ああ……」
窓ガラス越しに、初めて見た流れ星。
もちろん3回願い事を言うなんて無理だったけど、マスター、あたしはいつまでも心の中で輝くあの流れ星に、貴女の願いが叶う事を願うわ。
今なら自分もゆっくり眠れるだろうという確信をもち、一人階段を上がった。
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