ss18 フロマージュ・ルージュ | ナノ フロマージュルージュ


夕食後、いつもはだらだらとダイニングのテーブルに居座るか、さっさと自室に引っ込んでしまうマスターが、まっすぐソファに向かった。珍しい。
さらに、テレビを見るわけでもなく、通勤に使っているカバンから一冊の雑誌を取り出して読み始めたのをあたしは見逃さなかった。ファッション誌じゃなくて、献立とか家事のアイデアとかが載ってるヤツ。
マスターが図書館の蔵書印の捺されたハードカバーや会社の書類みたいなもの以外を読んでるのは、もっと珍しい。
「ごちそうさま」
あたしは食器をシンクに持っていったあと、ソファの背からマスターをのぞく。同時に食べおわったレンは、食器を片付けてから携帯ゲーム機を持って部屋に戻っていった。
マスターは、細かい字も全部読んでるみたいで、せわしなく目線が動くのに反比例してページをめくる指はゆっくりだ。
内容に対してやたら真剣な横顔をソファの隣に座って覗き込むと、初めてあたしの存在に気付いたみたいに顔をあげた。
「読む?」
答える前に、あたしの手の中に開いたままの雑誌を押し付けてマスターは席を立ってしまった。あんなに夢中になって読んでたのに。
振り替えるとすでにリビングを抜けて廊下へ出ていくところだった。
相変わらず、何を考えているのかわかんないヒトだ。いや、もしかしたらなーんにも考えてないのかもしれないけど。
「おもしろい?」
あたしが開かれたページに何とはなしに目を通していると、マスターが座っていた場所にミク姉が座り、興味津々って感じで覗き込んできた。その向こう側で、カイ兄が階段を上っていくのが見える。
「おもしろいっていうか、美味しそう」
「ふーん」
あたしは答えながら、見やすいようにミク姉の膝に雑誌を半分ずらしてあげた。
うん、これが正しい反応だと思う。
一度雑誌を閉じて、最初から見ることにした。
あたしもミク姉もとくに文字を読んでるわけじゃなくて、「ヘルシー、おいしー、鶏肉レシピ」とか「簡単!電子レンジでおかずもう一品」とか「休日ごちそうデザート」なんて記事に添えられている、綺麗に美味しそうにと計算しつくされて撮られた写真をなぞるだけ。
夕食後のほどよく膨れたお腹だと、ボリュームがありそうなおかずより、自然と甘味の方に目がいく。
「これ、すっごく美味しそう」
「こっちのベリーのタルトもいいね」
1ページごとに指差してくすくすと笑いあう。
美味しそうな写真があるページをだいたい見終わってしまう頃、ルカ姉が食後のコーヒーも終えて2階へとあがっていく。
それを見たミク姉が、雑誌をあたしに放り出して、風みたいに追い掛けていった。
その後ろ姿を見送って、もう一度雑誌に目を落とす。たぶん作らないだろうけど、今度は作り方の記事も流し読みして。
カチャカチャと食器が当たる音と水音のBGMが気持ちいい。
そこではたと気付く。
あれ、もしかしなくても、あたし今メイコと二人っきりじゃない?
え、ど、どうしよう。
振り返らなくても、その姿を隅々まで想像することができる。
指先の鮮やかな赤も、瞳の紅茶色も、髪の鉄錆色も。きっと赤いチェックのシンプルなエプロンをつけて、手を泡だらけにして、なんだかしらないけど楽しそうにお皿を洗ってるはずだ。
だって毎日その姿を追ってきたから。目に記憶に焼き付けて、そこにいないときも何度も反芻したから。



マスターがあたしとレンを、先に稼働していたメイコとカイトとミクに「新しい家族だよ。妹と弟がいっぺんにできたよ」って心底嬉しそうに紹介したときから、あたしにとって彼女たちは、メイ姉とカイ兄とミク姉になった。
でも、マスターにそう紹介される前、ほんの一瞬、あたしにとってメイコはメイコだった。
その姿を見つけた瞬間、どうしようもなく惹かれた。
一目惚れ、だったんだと思う。



きゅ、と水が止まる音がした。
キッチンの電灯を消す音がして、パタパタとスリッパを鳴らして駆ける音がして――、あたしのすぐ横で止まる。
「あら、リンしかいないの」
ひょい、とのぞかれて、鼓動が制御不能なくらいにスピードアップする。
「何読んでるの?」
「マスターにもらったの」
もらったのか借りてるのかよくわからないけど、表紙が見えるように立ててみせ、そう答えておく。
メイコの表情は、無言で「珍しい」って言ってるみたいだった。
「へぇ。どれどれ」
メイコはミク姉が、その前にはマスターが座ってた場所――つまりあたしの隣に座って、ぴったりとくっついてきた。
あわてて、開いた雑誌まるごとすぐ隣の膝に押しやる。あれ、マスターとやってることがほとんどおんなじだ。
メイコはそれを普通に受け取って、パラパラと適当にめくり、シミ抜きの応急処置とか読んでる。
さっきミク姉と見てたデザートのページを飛ばそうとした時、思い切って声をかけてみた。
「あ、あのね」
「ん?」
「すっごく美味しそうなお菓子があったから作ってみたいな〜、って思ったの」
どれ? と優しく微笑んだ。
「えと“フロマージュ”ってやつ」
メイコはちょっとだけ考えたあと、それならすぐに作れるわよ、ってパタパタとキッチンに駆けもどっていった。
ソファの背もたれごしにその様子をみていると、メイコは冷蔵庫を開けて、……そのまま閉めた。
あたしのほうを振り返って、申し訳なさそうに言う。
「そういえば、今朝レンが全部たべちゃったのよね……」
なんてこった!
なんだかわからないけど、きっとレンが材料に必要なものを食べてしまったんだろう。一生恨んでやる。手始めに、部屋に戻ったらロードロ――……。
あたしがよっぽど悔しそうにしてたんだと思う。メイコはくすっと笑った。
「一緒に買いに、行く?」
前言撤回。レン、さいっこうにGJ!
「うん、いくいく。行くっ!」
メイコはあたしのジェットコースターみたいなテンションに一瞬目を見開いて驚いた後、笑みを一段深くした。
「今日は遅いから明日ね」
そう言われても、あたしのワクワクとドキドキは止まらなかった。
まるで、次の日のデートを取り付けたみたいに。



例えばそれが実際には徒歩10分のスーパーに午前中のうちに行って帰ってくるだけの、2人とも両手に荷物を持っていて手を繋ぐこともできない、デートとは程遠いただの買い出しでも、あたしの機嫌が損なったりはしなかった。
メイコと二人でいる時間は案外短い。その一分一秒だって無駄にできない貴重さだ。
あたしがもっと積極的に関わろうとすればいいんだけど、どうするばいいのかわからないから。
うちのマスターはVOCALOIDに歌を歌わせないダメマスターで、自由主義という名の放任主義で。あたしたちは何をしていいのかわからない膨大な時間を持て余す。それなのにメイコだけは例外で、家事一切を任されてすごく忙しそう。
まあ、レンは暇さえあればゲームしてるし、カイ兄は自分の部屋でネットばっかしてるし、ミク姉とルカ姉はお互いに仲良くするのに忙しそうだけど。
「ごめんね、リンがいるから結局いっぱい買っちゃって。重かったでしょう」
家に帰ってきて、開口一番あたしを労おうとしてくれる。
平気、とだけ答えておいた。
しまうのも手伝おうとしたんだけど、
「汗かいちゃったでしょ。先、シャワー入ってきたら」
と、制されてしまった。メイコだって汗かいてないはずがないのに。
それでもあたしは、はーい、と聞き分けのいい子のフリをして、素直に従った。
着替えを取りに一度部屋に戻ってからお風呂場に向かい、脱衣場でさっさと服を脱ぎ散らかして浴室に飛び込む。
すぐにギリギリ堪えられるくらいの熱さの湯温にしたシャワーを思い切り浴びる。自分の中でいつまでも燻り続ける同じ温度のドロドロしたものが一緒に流れていけばいいと思いながら。
結局、身体中に熱を纏う事になっただけだけど。
肩にバスタオルをかけて、ろくすっぽ拭いてない濡れた髪、ショーツにTシャツだけという姿であがってきたあたしを、メイコは「女の子でしょ」と嗜めた。
メイコや、ルカ姉ならこんな格好でも、きっとすっごいセクシーなんだろうな。あたしじゃあ、遊んでるようにしか見えないもん。
それが変えようもない事実なのが、悲しいし悔しいし腹立たしい。
続いてかけられた「風邪ひくわよ」というまるで子供扱いな忠告も無視して、リビングのソファに座りテレビをつけた。
ああ、やだ。あたし今、悪い子だ。
メイコはしようがないわねとでも言いたげにため息をついて、あたしが今来た方に消えていった。
手にはちゃんと着替えとバスタオルをもっていたし、買ったもので溢れていたキッチンはすっかり片付いていた。
自己嫌悪で動きを鈍らせてのろのろとセーラーと短パンを着おえた頃には、すっかり身支度を整えたメイコが何も気にしていないような普段の調子で声をかけてきた。
「じゃあ、ちゃちゃっと作っちゃいましょうか」
キッチンに入り、次々と材料や道具が並べられていくのを眺める。
あらかた準備が終わったところで、泡立て器を手にしたメイコがあたしの方をじっと見つめた。視線は額に集まっているようだ。
面倒だからとリボンもピンもつけずにカチューシャで前髪をあげておでこを出してるのが珍しいのかもしれない。
「その髪型もかわいいわね」
特に深い意味がないのは理解しているはずなのに、冷えた身体に急激に熱が戻るのがわかる。
そんな様子を気にするわけでもなく、メイコはプレーンヨーグルト1パックまるまるを上澄みを捨ててからボールにあけた。
「すぐできちゃうから、よーく見てるのよ」
って、メイコはあたしにウインクをしてから、さらに生クリームとヨーグルトについていたグラニュー糖を加えて、泡立て器でよく混ぜた。
それを、あらかじめキッチンペーパーを敷いて受け皿の上に乗せたザルに流し込む。
「はい、完成」
「え、これだけ……?」
目の前にあるのは、見ただけではほぼそのままのヨーグルトだ。
「そうよ。まあ、これから水を切るために半日から丸一日くらい冷蔵庫にいれておかなくちゃいけないんだけどね」
ラップをかけながら言う。
拍子抜けするほど簡単過ぎて、“一緒に作る”という計画が台無しだ。
メイコはメイコで、これならリンでも一人で作れるでしょ、とか追い打ちをかけるように言っちゃって。あーあ。
でも、やっぱり、あたしが見たのと違うと思うんだけど。
リビングのローテーブルの上に置きっぱなしの件の雑誌を手にして戻り、メイコの視線に緊張しながら目当てのページを開いた。
「ほら、違う」
フロマージュスフレとあるそれは、ヨーグルトというよりチーズケーキに近い。オーブンを使う焼き菓子だ。
「本当だ」
別にあたしの言葉を疑ってたわけではないのだろうけど、メイコは軽く驚き、そして首をかしげた。
「確かにこれも、フロマージュっていうのよ。フロマージュブラン。同じ名前でも別の料理があるのね」
最後は一人で納得してるみたいな声色だった。
一人で世の中のままならなさとかに納得できずに難しい顔をしていたあたしに、メイコは欲しい言葉を最高のタイミングで言ってくれる。
「次は雑誌のを二人で一緒に作りましょう」

メイコ版フロマージュは時間をおいた方が濃厚で美味しいというので、みんなで食べるのは次の日の朝食ということになった。
結論から言うと、それは、びっくりするほど美味しかった。
高級なクリームチーズみたいで、コクがあるけどしつこくなくて、控えめな甘さで。メイコが出してくれたブルーベリージャムとの相性も抜群だった。
クラッカーやビスケットにのせて食べると洋酒のアテにいいのだそうだ。未成年のあたしにはよくわからないけど、メイコが言うんだからそうなんだと思う。
みんなにも好評で、マスターなんか朝から甘いものが食べられた嬉しさで鼻歌を歌いながら出勤していった。
……あ、雑誌のこと訊くの忘れた。ま、いっか。
みんなが朝食を食べおわっていなくなって、昨日と同じでまた二人きりになった。そうか、食事のあとになんとなく残れば自然と二人きりになれるのか。気付かなかった。
手持ちぶさたなので、メイコが遠慮するのを振り切って、あたしが食器を洗っている。
すぐ後ろでそんなにハラハラした顔で見守ってくれなくてもいいのに。いくらあたしがパワータイプだからって、お皿を割るほど馬鹿力でも不器用でもない。
メイコの予想を華麗に裏切って、無事に洗い終える。
布巾で拭いて食器棚にしまう作業は譲ってくれなかったので、危ない・邪魔と言われながらもその腰に抱きついた。ここで振り払わないのはメイコの優しさか、設定か。
末っ子ポジションと、甘えん坊っていうキャラ付けをフルにつかった行動を、メイコはけして拒まない。
それが彼女にとっての姉というポジションで、しっかり者というキャラ付けなのだ。マスターがあたしを“妹”だと紹介した時から、ずっと。
「メイ姉、大好き」
例えばミク姉がルカ姉のことをルカちゃんと呼び、姉と呼ばないように、あたしも設定に逆らってまで好きだと言えれば良かったのに。
「あら奇遇ね。あたしもリンのこと大好きよ」
とっても楽しそうに、軽やかに、妹に言い聞かせるみたいに好きを紡ぐのではなく、恋人にするように愛を囁いてくれれば良かったのに。
おんなじ名前なのに全然違う食べ物だった“フロマージュ”。そんな風に、メイコとあたしの“大好き”は音は一緒でも、全然違うものだと思う。
それでもあたしは、メイコの“大好き”の控えめな甘さが嫌いになれない。
本格的な焼き菓子の甘さになることはなくても、いつまでもいつまでも、あたしのすぐ隣のお手軽な甘さを味わう事ができればいいと思う――。

fin.


あとがき→





[ssTop]
[Home]
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -