ss16 溢れ出す | ナノ ヒメゴト――溢れ出す――


夕食後、ミクについて階段をのぼるルカの背に声をかけた。
「ねぇ、ルカ。今夜付き合ってくれない?」
振り向いた彼女に、グラスを煽るジェスチャーをしてみせる。
「はい、喜んで」
すぐに理解したようで、ルカはいつものように薄く微笑んで答えた。
断られたことなんて一度だってないけれど、了解を得られて安心する。
「ルカちゃーん?」
「今行きまーす。……それでは、後ほど」
もう振り向かないでミクの声を追う姿を、見ていないだろうけど軽く手を振って見送る。
すぐに階上へと、あたしの視界から消えた。
この家でアルコールを摂取するのは基本的にあたしだけだった。
マスターもカイトも弱くて話にならないし、もちろん、年少組に呑ませるわけにいかないし。
そんなわけで、ルカがくるまであたしは独り酒。まあ、たいていマスターがソフトドリンクで付き合ってくれていたけど。
そういう意味では、ルカがこの家に来たのを一番喜んだのは自分ではなかっただろうか。
今は、どうだろう――?
「さて、と」
考えてもしょうがないことは文字どおり水に流してしまおうと、シンクに積まれているだろう7人分の食器を片付けてしまうためにあたしはキッチンへと踵をかえした。

日付が変わる半時ほど前。
やたら宵っ張りなマスターも早寝な他の子たちも自室に引っ込み、リビングにはあたしとルカの2人きり。
一段落とした照明のせいか、テレビを消してしまったせいか、寂しいくらいの静けさを感じる。
「乾杯」
ロックグラスとワイングラスが重なり、軽い和音が響く。
あたしは焼酎をロックで、ルカは甘口のデザートワインを。
不思議な組み合わせだが、マスターが気まぐれで変わったお酒を買ってきてくれた時以外はこれで、あたし達のデフォルトだ。
最初は2人とも焼酎や蒸留酒を思い思いに飲んでいたのだが、ルカがどうも甘いジュースでやたら薄く割りたがるので、デザートワインを試させてみたら気に入ったようなので以後このスタイルが続く。
それぞれ手酌なのも、いつも通り。あたしのペースを注がせるのは申し訳ないし、逆にあたしが注いであげると飲ませ過ぎてしまうから。
酒の肴は無し。強いて言うなら、くだらない世間話、だろうか。
それだって、以前のよく話しよく笑う彼女はいない。
あたしの前にいるのは、的確な相槌を打つとてもとても聞き上手なルカ。
特に今日は口数が少ない気がする。まあ、同じ屋根の下にずっといるのだ、話題はそんなに多くはない。
それでも、軽く驚いたり、微笑んだり、些細な相談にのってくれたり。これはこれで、悪くはないのだけれど。
――あたしは彼女に何を望んでいるんだろう?
自分で作ってしまった一瞬の沈黙が気まずくて、あわてて今年のワインの味を訊く。当たり障りのないような感想が返ってきた。
そういえば、今日はルカのペースが早い気がする。
もう何杯目かわからない空けたワイングラスに、覚束ない手で足そうとして握られたボトルは二本目……? その残りも半分ない。
もしかして、あたしより早い?
「ルカ、ちょっと飲み過ぎなんじゃ……」
そう気付いて声をかけた時にはもう遅かったようだ。
あたしを見つめかえすのは、とろんと熱の籠もった溶けた瞳。今までに見たことのない、とびきり上等な柔らかい笑みの艶っぽさにドキリとする。
「ルカ……?」
呼んでも反応がない。
適量を超えても注ぎ続けているグラスから淡い色の液体が溢れ出た。
テーブルを濡らした液体は、そのままあっという間に広がり続け、彼女自身の膝へも降り掛かる。
「ルカっ!」
ふ、と我に返ったように、瞳に鋭い光が戻る。自身への困惑と驚愕の色をわずかに滲ませながら。
「平気……?」
「あ、ああ……私、あの。すみません。今、拭くもの持ってきますから」
ふらふらと立ち上がろうとする彼女は、あまりにも心許なくて。後を追って腰を浮かせたあたしの目の前で、案の定というか、バランスを崩して倒れた。
「イタタタ……」
「つつ……」
あたしのヘッドスライディングが功を奏し、大事には至らなかった、ようだ。見えないけれど。
「とりあえず……」
「?」
「どいてくれると嬉しいんだけど」
うつ伏せに床に寝るあたしと、その腰に座るルカ。端から見たら、きっと凄い光景ね。
「す、すみません。本当にすみません。ごめんなさい」
やたらに謝りながら彼女はそっと降りて、そのまま転がっているあたしに近づく。
不用意に顔が近い。
こんなに頬を紅くして、瞳を潤ませた彼女の表情は初めて見るかもしれない。
「何故、メイコさんは、そんなに優しいんですか?」
「え?」
何を言ってるんだろうか、この子は。
随分前のような気がするが、いつだっただろう。彼女に優しいね、と声をかけたのは。つい最近かもしれない。
そうだ、いつだって優しかったのはルカのほうではなかったか。
「ねえ……」
「はい……」
2人とも、互いの言葉を待っている。
耐えきれなかったのはルカ。
俄かに立ち上がり、千鳥足のまま駆け出す。
4LDKの広いと言ったって、いい大人が鬼ごっこができるような家じゃない。
ましてや相手は酔っぱらいだ。すぐにその腕を捕まえる。
「なんで逃げるの?」
「だって……、だって……」
肩を落として俯いて、身体を小さく見せるその姿はまるで叱られているこどものようだった。
「あたしの事嫌いになった」
これまたこどものように、ぶんぶんと音がするほどにかぶりを振る。珊瑚の髪が乱れるのも構わずに。
「好き……すぎて、どうにかなってしまいそうで」
それがすごい告白であるということは瞬時に理解した。
握った腕は微かに震えていて、あたしはあたしで触れている掌が心臓になってしまったかのように緊張して。
「どうにかなっちゃえばいいじゃない」
口から溢れ出た言葉は想いのとおりの強いものだったが、歌うためにある喉は愛を紡ぐには不向きなようだ。それ以上の言葉が出てこず、そんな自分にやきもきする。
俯いていた彼女はそのまま、くるり、と振り返ってあたしの胸に収まる。
耳元で小さく小さく囁かれた。
「はい、どうにかなってしまいましょう」
そっと腕を回し、ぎゅっと抱きしめる。
「好き」
「私も、好き、です」
「大好き」
「はい、ずっと前から大好きです」
「愛してる」
「……愛してます」
想いと熱量で、今すぐにでもどうにかなってしまいそうだった。

ああ、溢れ出た本当の想いは、互いに混じりあって甘い恋となる。




――数時間前

夕食後、ミクと自室に二人で戻る。
「お姉ちゃんに晩酌付き合ってって言われたんでしょ?」
ミクは自分のベッドに身を投げ出し、つかまえたクッションに向かってくぐもった声を出した。
正確にそう言われてはいないのだけれど、首肯する。
「いいなあ、わたしも飲めたら楽しいかなぁ?」
彼女は顔の半分をネギプリントのクッションに隠したまま、上目遣いで訊ねる。
「どうかしら。私も特別好きってわけではないから、わからないわ」
「そっかあ」
ミクはその答えに納得したのかしていないのか、あー、とか、でも、とかぶつぶつ言いながら、いつまでもゴロゴロとベッドの上を転がっている。
その姿に向き合うように、私も自分のベッドの上に腰をおろした。
そして、ミクを交えたメイコさんとの3人での晩酌を考える。
ミクはよく話す子だから楽しいかもしれない。でも、それじゃあ夕食の時と変わらない。
それに――……。
いつの間にかミクは身体を起こしていて、じっとこちらを見ている。
どうしたの、と訊く前に、ミクが先に口を開いた。
「メイコお姉ちゃんのこと、好き?」
「え? ……ええ」
「お姉ちゃんも、ルカちゃんのこと好きだと思うなあ」
嫌われてはいない、と思う。思いたい……。
私の表情がわずかばかり曇ったのがわかったのだろう、目があったミクは眉を下げながら笑った。
「ちがうちがう、ルカちゃんとおんなじ“好き”で」
「え?」
「だってお姉ちゃん、いっつもルカちゃんのこと見てるし、買い物にお姉ちゃん以外の子と組ませて行かせないし、自分のお酒は安いのなのにルカちゃんのワイン選ぶ時は真剣だし、」
まだまだあるよー、と無邪気に微笑む。
「え、え……?」
「さっきからルカちゃん、『え』しか言ってなーい」
思考停止寸前の私がよほど面白いのかなんなのか、目じりに涙まで浮かべて大笑いしている。
私はといえば、何か言い返そうと開けた口を何も言えないままつぐんだ。
「お姉ちゃんはきっと『待ってる』んだよ、ルカちゃんから言ってくれるのを」
随分はっきりと言い切ってくれる。それに、彼女の中で、私の好意はすでに確定事項であるらしい。
「当たって砕けちゃいなよ」
「いや、それは……」
ニコニコと可愛らしく微笑む彼女は、恋のキューピッドなんて優しいもんじゃない。キューピッドが恋のサポーターならば、この子は好き勝手なことを好き放題に言うフーリガンだ。
「大人は『酒の勢い』ってヤツが使えるんでしょ?」
「そんな、とっても素晴らしいアイデアみたいに言われても……」
ああ、でも、アルコールの力でもなんでも、どうにかなるのならばどうにかなってしまうのもいいかもしれない。

私の想いはもう、すぐ、溢れ出す。そんな予感がする。

fin.

あとがき→





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