ss4 とりかえっこラバーズ | ナノ


断れない付き合いとやらで飲めない酒を飲み、千鳥足で自分の身体を終電に押し込む。
最寄り駅からタクシーを拾って転がりこみ、自宅のマンションの前で降ろしてもらう。
オートロックの鍵を差し込むのにも苦労し、エレベーターに乗っている間は座り込む。
そんなほうほうの体で自宅のドアの前まで辿り着いた時にはすでに意識を半分手放しかけていた。
インターホンを押して、帰宅を告げるとすぐに廊下を駆ける音がして解錠された。
開けられた扉に傾れ込み、玄関に倒れたら立ち上がれなくなった。
気力の限界だ。
「ただ、い、ま……」
石畳の冷たい感触が気持ちいい。

意識がログアウトしました――。



ふと目を覚ますと明るい照明の下、ソファの上にいた。
リビングまで運ばれて寝かされてるんだろうな、なんてぼんやりとした頭で思う。
「あのー、気がつきましたか?」
こちらに近づき、心配そう、というか不安そうに顔を覗きこんでいる紅い瞳は、
「弱音ハク!?」
慌てて飛び起きる。
紅い瞳、一つに束ねられた白く細い髪。……そして立派なお胸。確かに弱音ハクだ。
そして、急に動いたのと大声を出したので、アルコールの抜け切らない身体がそこここで悲鳴をあげる。
「そう、ですけど……。ああっ、静かにしていたほうがいいですよ……?」
「うぅ……。ごめん。で、君、誰?」
「弱音、ハクですけど……」
痛む頭を抱え、唸るように尋ねてみたが、どうにも会話が噛み合わない。というか、自分の頭が回ってない。
状況を整理しよう。
自分は6人のVOCALOIDのマスターではあるが、そこに弱音ハクは含まれていない。
自宅に帰ったのに、迎えてくれたのはメイコでもルカでもミクでも双子でもカイトでもなく、弱音ハクだった。
さらに、冷静になって辺りをうかがってみると“ものすごい違和感”があるのがわかる。
「質問が悪かった。ここ、どこ?」
照明が違う。ソファも色は似てるけど形は違う。テーブルも違う。
そう、ここは自分の家ではない。
目の前のハクは律儀に住所を答えて、自分が自宅の真上の部屋にいることがわかった。
「つまり、自分がフロアを、そして部屋を間違えちゃったってことだよね……?」
「たぶん、そうなんじゃないんでしょうか……」
とりあえず、ソファの上に正座して姿勢を正してから頭を下げる。
「えと、ご迷惑をおかけしてすみませんでした」
「いえっ、こちらこそ何もお構いできませんで」
見知らぬ人間が勝手に押し掛けてきただけなのに、始終すまなそうなハク。この顔がデフォルトなのかな。
「自分、粗相とかしてないよね……?」
間取りに大きな差はないが、うちが雑然としているのに比べて物の少ないスッキリとした部屋を見回す。
勝手にあがりこんだことが、すでにすごい粗相な気もするが。
「だ、大丈夫ですよ。あ、お水飲まれますか」
答える前にパタパタとキッチンに駆けていき、すぐに溢れんばかりに水を注いだグラスを持ってくる。
「いただきます」
冷たいグラスに触れると急に喉の渇きが思い出され、一息で飲み干す。
「うん、美味しい。ありがとう」
笑ってグラスを返すとつられたようにハクも微笑み、ああこんな顔もできるんだな、と思った。
「ところで、どうして家に入れてくれたの?」
「あ、あの、インターホンの声がマスターさんに似ていたので、ドアを開けたら……」
見知らぬ自分が転がり込んできた、と。無用心を叱るべきかもしれないけど、それで助かっちゃってる身としては何も言うまい。
あと、ハクの言うマスターさんは自分じゃないんだよね。
「マスター、女性なんだ? そういえば、こちらのマスターさんはどちらに?」
「長期出張中です。あと二週間ほどは帰ってこないと思います。」マスター不在の家に勝手にお邪魔、ってこれはかなりマズイ……。下手したら不法侵入?
「連絡がとれたりは……」
「基本的にできない、ですね。たまに連絡があるんですけど、不定期というかマスターさんの気まぐれというか、一方通行で。
急を要する場合だったら、会社の方に連絡することもできるんですけど」
現在の事態も、けっこう急を要するんじゃないだろうか……?
「二週間、帰ってこないの?」
「そうですね。今回は特に長い出張、2ヶ月ほど海外の予定で、帰ってくるのは再来週。さらに長引く可能性もありますけど……」
「2ヶ月!? その間、独り?」
2ヶ月の間、VOCALOIDに家を任せるのと、空けておくのとどっちが無用心なんだろ。
自分だったら、VOCALOIDたちを置いて家など空けられない。そんなことしたら寂しくて死んでしまう。自分が。
「大丈夫ですよ。ご飯は自分で用意できますし、生活するだけのモノは全部揃ってます」
「寂しくない?」
「ええ、慣れました」
強いのか、強がっているのか。諦めているのか。
「本当に?」
思わずこぼれた語気の強い言葉に、ハクは目を見開き、傷ついた顔をした。
「わ、私はこの通り人見知りが激しくて、はっきりしない優柔不断で、鈍臭くて、おまけに歌もあんまり上手じゃなくて」
何かスイッチをいれてしまったみたいだ。
「ネルちゃん……、うちにはもう一人VOCALOIDが、亞北ネルちゃんがいるんですけど、
彼女は仕事もできて、いつもマスターのお手伝いをしていて、少ないけれどちゃんとお給料ももらっていて、
今回の出張も、海外なんですけど、連れていってもらって、役たたずのわたしはずーっと留守番で……」
そこまで一息に言うと、細かった声はさらに苦しそうな嗚咽となり、ついには両目からぼろぼろと涙を落としはじめた。
「ちょ、え、……ごめん」
初対面の女の子の涙にどう対応していいかわからずにいると、ハクの方から抱きついてきた。
「……ぅくっ、……ぐす」
身体をぎゅうっと丸めて、限界まで押し殺した泣き声をあげて。
まだ、このこは我慢するのか。
「…………」
そして、シリアスな雰囲気ぶち壊し確定ですが、心の中でだけでも言わせてください。
何か柔らかいものがあたってるんですが。
あたってるんですよね。あててるんじゃないですよね。
「あのー、ハク……ちゃん? さん?」
「……呼び捨てで、いいです」
「えっと、ハク。ちょっと苦しい」
理由は違うけど、意図した通り素直に離れてくれた。
でも、そんな離れがたいような、寂しそうな顔をするのは反則じゃないでしょうか?
「…………」
「ハク、寂しくなくなるおまじないしてあげる」
ああ、きっと自分はまだ酔っているのだ。
「はい」
悪いのはアルコールと、疑うことを知らない素直すぎるこの子だ。
――唇を、奪う。
少し強く押しつけたけれど、触れたのは一瞬。
離れる刹那に、ほんのわずか上唇を舐めて。
ハクはすごく驚いた顔をしたけれど、すぐに真剣な表情に変わる。
怒られるかなー、と軽く構えていたら、開いた口から発せられた言葉は予想と全く違うものだった。
「……もう一回」
負けた。この子の瞳に、なけなしの理性が。
細い肩に手をかけ、ふらつく身体を預けるように覆いかぶさる。
せっつくようなキスを受け、すぐに舌が触れ合った。
ハクの奪うような忙しない舌を、自分の舌を絡めてなだめる。腔を蹂躙するたび、粘膜と唾液と、新しい味に出会った。
体勢がキツくなって口を離すと、銀の橋がかかった。
その橋がプツリと切れ、――それ以上は睡魔が阻んだ。
もう一度意識を手放す前に、一言二言何か言葉を交わした気がするが、伝わっているかもわからない。

To be continued...?


あとがき





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