衣が描く緩やかな曲線は、息するたびに微かに膨らむ。 樫の木が作る木陰で、珊瑚らと話に花を咲かせるかごめがくすくす笑うと、それはふるふると柔らかそうに揺れた。 ぶわりと吹いた風に膨らむ衣のその奥。 柔らかそう、ではない。 自分はもう、あの柔さを知っている。 息するたびに、微笑むたびに、動くたびに揺れる丸みに、あの時の感触が蘇る。 「〜〜〜〜っっ」 犬夜叉は内心大声で叫ぶと、ひとり静かに頭を抱えた。 * * * 明月が昇り始めてまもなく。 湯浴みをしたいと言い出したのは、他でもないかごめだった。 それに頷く一同にいつもであればひと声あげる犬夜叉が、仕方ねぇと湯を探したのは、いつになく山道を歩き続けた上に、そこらに棲まう妖と対峙したからだろう。 まぁ妖とはいえ、それもただの化け狸だったのだが、歩き続けた一行の足を重たくさせるには十分だった。 そんなこともあり犬夜叉が自慢の鼻ですぐさま湯を見つけると、女たちは目を輝かせ、男たちに見張りを頼むと早々に湯に浸かった。 ぱしゃぱしゃと跳ねる水音に、楽しげに響く声。 星がきらめき始めた夜空を見上げ、弥勒はため息を零した。 「さすがに今日はくたびれましたなぁ……」 「そうか?」 「はぁ……お前はそうでもないのでしょうが、大分骨を折りました……」 肩を揉みぐるりと首を回せば、頷くように小気味のいい音が鳴った。 それにいくらかすっきりとした表情をしながらも、薮の向こうを見遣るその目は少しも晴れない。 弥勒は惜しむような声をあげながら、奥に広がる光景を想像しその目を細めた。 「その上、この背の向こうには極楽が広がっているというのに、ほんの少しも垣間見れないとは……」 先ほどよりもあからさまに深々としたため息が地に落ちる。 それを犬夜叉は横目で見遣ると、またかと呆れた声をあげた。 「くだらねぇな」 よくぞこうも飽きないものだ。 欲に素直になるあまり、頬に紅葉を色づかせたのは一度や二度ではないはずだ。 犬夜叉のみならず七宝までもが冷ややかな視線を送るものの、弥勒は意に介すこともない。 「しかしお前とて興味がないわけではなかろう」 「お前と一緒にするな」 なんとも下世話な話だ。 錫杖の先で突かれるたびに、しゃらしゃらと鳴る音さえ煩わしい。 涼やかな響きを奏でるそれを犬夜叉は不機嫌顔で払い除けた。 「まぁ聞きなさい、犬夜叉。私とて誰でもいいというわけではありません。お前がかごめ様に執着するように」 「なっ、おれはかごめなんて……!!」 「女人の身体というのは不思議なものです。男にはないあの柔さは一度触れれば忘れがたい。それが好いた女であれば尚のこと」 『かごめなんて』などとは言いつつも、先の言葉を持たない犬夜叉は、ただ打ち上がった魚のように口を動かすばかり。 なんだかんだ互いに想いあっているということはわかっている。 そして弥勒の言う、そういうことにまったく興味がないわけでもない。 ただこの男のように、大きな声でそれを言える性格でもないし、それがいいわけではないことも知っている。 犬夜叉は大いに不服そうに口を噤むと、弥勒のことを睨み見た。 けれども弥勒はいつもの柔和なーーーーというよりは何か策しているような笑みを犬夜叉へと向けた。 「というわけで犬夜叉。お前も少しは極楽というものを知って来いっ」 どんっ、と突き飛ばされた身体は、不意をつかれてたたらを踏む。 思わず転げそうになって、咄嗟についた手が柔い何かを掴んだ。 「なっ、」 『何すんだ!』と言いかけた声は、形になることなく喉の奥で消えた。 目の前に広がる薄桃色の肌。 ほんのりと蒸気したそこに触れた手は、丸い膨らみをしかと掴んでいた。 湯から上がった直後だろうか。 水滴を拭われた肌はしっとりと瑞々しく、いつもより温かい。 吸い付くような感触になぜだか手が離れない。 突然の状況に思考が止まる。 犬夜叉が思わずまじまじとそこを見つめていると、空気がゆらりと不穏に揺れた。 「……犬夜叉……」 はっとした犬夜叉のなかで、これでもかというほどの警鐘が鳴り響く。 それなのに柔らかな乳房に沈んだ指は、僅かにも動かすことができなかった。 「あっ、いやっ、これは」 「いつまで触ってんのよ!おすわりっっ!!!」 もう犬夜叉の言葉など何を言っても無力に等しい。 涼やかな夜に響く言霊が辺りの木々を激しく揺らすと、枝葉で休む鳥たちが幾羽も一斉に飛び立った。 * * * そこまで思い出し犬夜叉は面を上げた。 結局、七宝の証言もあり、あらぬ疑いは晴れたのだが、言霊による全身の痛みはいつも以上に尾をひいた。 手のひらに残る、あの感触とともに。 目一杯に犇めきかけた煩悩を頭を振って振り払う。 これではどこぞの生ぐさ坊主と大差ないではないか。 『男など皆そのようなものです』――――などと聞こえてきそうなものだが、犬夜叉はそれも払い去ると深々とため息した。 確かに弥勒の言う通り、あの感触は当分忘れることはできないだろう。 極楽とはあながち誇張でもない気がした。 ふわりと柔らかく、けれども弾力に富み、この手にしっとりと吸い付くような。 いつもより高い体温も相まって、手の中で肉が溶けていくように馴染んで。 更には湯の匂いに混ざり、甘く優しいかごめの匂いが鼻を、腹の奥底を擽る。 あの感触はこの世のどれとも似つかない。 もしあえて挙げるとするならば、かごめが持ってきたあの菓子だろうか。 (確か、ましまろとかいう……) 甘い甘い、不思議な菓子の味を記憶にある膨らみに重ねて、犬夜叉はぼんやりと手のひらを丸く形作った。 「随分と楽しそうですなぁ」 「っ!」 突如降ってきた声に頭の中の極楽を咄嗟にかき消す。 そして丸めた手のひらも潰すと、誤魔化すように口角を下げた。 「……なんだよ」 「いえ、やはりお前も男だなと思いまして」 「…………」 心底楽しげな笑みが腹立たしい。 けれどもそれにどうと言い返すこともできなくて、犬夜叉はあの時と同じように口を噤んだ。 「犬夜叉、ひとつよいことを教えましょう」 ひそめられた声に、また不穏なものを感じ取る。 身構えたその耳が拾ったのは、やはり予想と違わぬことだった。 「二の腕は乳房と同じ柔さだと言います」 そう弥勒が示す先では、変わらず楽しげに話すかごめの姿。 その腕は短い袖から晒されて陽に輝いていた。 白くて細くて、けれども柔らかそうな―――― 「確かめてみてはいかがです?」 「〜〜〜〜っっ!弥勒!てめぇっ!!」 一瞬目を奪われたそこに、再び身体が熱くなる。 沸き立ちそうな頭は、もう夏のせいにはできない。 怒号に首を傾げるかごめに罪悪感と欲情が入り混じる。 まだ陽は高く、先は長い。 もう当分消えそうにはない熱を腹の底に抱えながら、犬夜叉はまた頭を抱えた。 S.O.S! ちーすけさんのこちらの素敵な絵に寄せて書かせていただきました。 ちーすけさん、ありがとうございました! |