心がぽつんとひとつ取り残されたような寂しさを抱えながら、かごめが冷たい布団のなかで目蓋を閉じたのは四半刻ほど前のこと。
 向けられていた意識の波が平らかになったのを鋭敏に感じ取ると、犬夜叉は煌々と光る黄金の眼をそろりと片方だけ開けた。
 かごめと暮らし始めて早幾夜過ぎたのか。
 指折り数えてみれば二十の指では足らなかった。
 ここ最近、ようやくふたりきりで過ごす時間が増えてはきたものの、慌ただしく姦しく、けれども穏やかに、あっという間に日々は過ぎ行く。
 かごめのいない三年の月日を思えば、今が夢のようだとは思う。そして夜は殊更に。
 誰が憚ることもなく、穏やかな寝息が聞こえればかごめ自身にすら知られることなく、ゆったりとした彼女との時間を存分に過ごせた。
 髪を撫で、名を呼び、時折額や目蓋に口づけて。
 彼女の声が聞けないことや、ころころと変わる表情を見ることができないのは玉に瑕だが、代わりに眠りながらも呼ばれる名や少し幼くなる寝顔に心満たされた。
 今宵も穏やかな寝息に誘われるようにして、犬夜叉はかごめのすぐ側にそっと身体を横たえる。
そして目蓋を伏せたその顔をじっと見つめ、そろそろと頬にかかるひと房を小さな耳にかけた。
 そのまま優しく梳り、時折丸みのある毛先を指に絡めては、つやつやとした感触を楽しむ。
 しばらくすれば、それだけでは足りなくて、ふっくらとした頬のうぶ毛だけを掠めるように撫ぜた。
 まだ数えるほどしか触れたことのない唇からは細い寝息がこぼれ出て、犬夜叉の指を静かに湿らせた。

 「かごめ」

 眠る彼女に口づけるのはまだ憚られて、代わりにぽつりと名を呼びながら少し乾いた唇の輪郭をそっと辿る。
 ふっくらとした柔らかさを指先だけで味わいながら、むにゃむにゃと動く唇がたどたどしく自分の名を口にして、犬夜叉は自らをも知らぬうちに、ふわりと微笑んだ。
 もうそれだけでも愛しくて愛しくて。あまりに愛おしすぎて、このままぎゅうぎゅうと抱きしめてしまいたくなる。
 そんな衝動をどうにか抑え込むのは夜毎どころか、もう常に、といっても差し支えないほどだった。
 犬夜叉は湧き上がるものをくっと腹の奥まで飲み込むと、昂る気持ちを滑らかな額に唇で預けた。

   * * *

 さらさらと髪を梳く音がする。
 時折、遊んでいるのか伝わる感覚が擽ったい。
 遠くで名を呼ばれて、額に柔らかい何かが触れる。
 もう幾日も、揺りかごの中で包まれるような心地よさを、かごめはずっと感じていた。
 少し前にふと、現の淵へと上ったことがある。
 優しく触れる指先に、愛しそうに自分を呼ぶ声。
 見ずとも誰だかわかる。
 微睡むように緩やかな空気は、そんな彼の表情を彷彿とさせた。
 あまりにも穏やかな時の流れ。
 それを手放すことなどできるはずもなく、かごめは目蓋を上げるのを止めたのだった。

 ふわりと浮いた意識のなかで、かごめがそんなことを思い出したのは、夢に見ていた犬夜叉が至極幸せそうだったからだ。
 けれどもまだ夢と現の境は曖昧だ。
 犬夜叉がこんなにも幸せそうな表情をするなど、かごめですらも見たことがない。
 だからもっとよくその表情を見たくて、かごめは緩んだ頬に向かって手を伸ばした。

 「――――っ!」

 「……ん、いぬやしゃ……?」

 ようやく見えた表情は夢のなかとはまるで違う。
 丸くなった黄金の眼に、次いで顰められた眉。
 緩んでいたはずの頬は見る影もなくて、その口元は不自然に引き攣っていた。
 ともすれば悪戯がバレた子どものような、そんな表情だった。

 「あれ……?」

 「……なんだよ」

 かごめは寝ぼけ眼を擦りながらそのまま伸ばした手で、犬夜叉の頬をペタペタと触る。
 蕩けたように緩んだ頬はやはり夢だったのか。
 かごめは残念そうに小さく唇を突き出すと、今度は横たわった犬夜叉に首を傾げた。

 「何してるの?」

 いつもあんなに声をかけても、袖を引いても、『ここでいい』とかごめのすぐ側に座り、まんじりともせずにいる犬夜叉が、今宵はこうして横になっている。
 しかもかごめのすぐ隣で。
 どういう風の吹き回しか、あるいは何かあったのか。
 かごめが尋ねてみれば、犬夜叉は焦りを隠すように少しばかり声を荒げた。

 「べ、別に何もしてねぇよっ」

 必至に何かを隠そうとする姿はどこか可愛らしくもある。
 かごめは隠れた何かを察して目尻を緩めた。
 そしてもう充分に温もった片側を空けると、布団に片頬をくっつけて上目遣いに犬夜叉を見つめた。

 「ねぇ」

 「なんだよ」

 「寝ないの?」

 少しばかり強請るように問いかける。
 それでもきっと返ってくるのはいつもの言葉だ。

 「お前が寝たらな」

 「そっか。……ねぇ、犬夜叉」

 予想通りの言葉にかごめは軽く返すと、先ほど宙を彷徨っていた手に指を絡める。
 そしてその手をしかと両手で包み込み、頬をすり寄せ微笑んだ。
 「おやすみなさい」


 おやすみの言葉が聞こえてから、まだ幾らも経っていない。
 月が傾く間もなく、かごめは再び寝息をこぼし始めた。
 早鐘鳴り止まぬ、犬夜叉を残して。
 かごめの寝付きのよさは旅していたときから知ってはいたし、こっそりと寝姿に悪戯していたのは他でもない自分だ。
 だがしかし、こうもひとり取り残されるとは。
 犬夜叉は恨みがましく長々としたため息を吐くと、眠るかごめにじとりと視線を投げかけた。
 気のせいかその姿は、先ほどよりも幸せそうだ。

 「……ったく、幸せそうなツラしやがって」

 呆れつつも甘い声色が少し冷えた空気に溶けた。
 夜はもう深くへ向かう。
 梟すらも夢を見る頃。
 犬夜叉は少し空いた布団に身を寄せた。
 じんわりとした温もりが、半妖の身にも心地いい。

 「おやすみ、かごめ」

 指の背で頬を撫ぜ、呼吸が混ざり合うほど近くで。
 ひとつ欠伸をこぼし犬夜叉は目蓋を伏せた。



  



ティキンさんのこちらの素敵な絵に寄せて書かせていただきました。
ティキンさん、ありがとうございました!






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