春色を帯び始めた風が、火照った肌を柔らかく撫でる。
 数えるほどの星しか見えぬのに、驚くほどに明るい夜空に向かって、犬夜叉はため息をついた。
 いつもであればかごめのすぐ側で、番犬のようにべたりと張り付いて過ごす夜も、今夜ばかりはそうもいかなかった。
 むしろあの場にいては、何が危険か分かったものではない。
 誰が、とも、何が、とも言わないが。
 耳の奥底に染み付いた声が、また頭の中で木霊した。

 時計の針が静かに時の流れを伝える。
 時折、窓の向こう側では、けたたましく光が過ぎ去る。
 そんな慣れぬ場所でも、穏やかな寝息は犬夜叉の耳を優しく撫でて、その寝顔を見れば心が凪いだ。
 そんな大切な夜を過ごしていると、ふとかごめの唇から吐息が零れた。
 僅かに寄せられた眉根も相まって、少しばかり苦しげな。
 何か悪い夢でも見ているのだろうか。
 そうとあれば起こしてやろうか。
 犬夜叉は躊躇いながらも手を伸ばす。
 けれども次いで聞こえてきた声に、その手をぴたりと止めるしかなかった。

 「っん……まって、いぬやしゃ……」

 「かごめ……?」

 「だめ……そんな、しちゃ……ぁ、」

 なんとも甘く悩ましげな声。
 指先に触れる吐息は、熱く湿っていた。
 緩んだ襟から見える鎖骨は細く、その奥へと続く膨らみは、かごめが息するたびにゆったりと主張する。

 「っ!!」

 かごめの匂いが甘く立ち上る。
 蕩かすような声と吐息が、あちらこちらを刺激する。
 犬夜叉はくらりと眩暈を覚えながらも、必死に頭を振るうと、きつく拳を握り、窓の外へと飛び出した。

 あれから時間がどれほど過ぎたのか。
 ただ月が明けの方へと歩みを進めた気はする。
 耳をすませば、今は穏やかな寝息が聞こえるばかり。
 けれども時折軋むベッドの音は、あの時の姿をありありと思い起こさせ、その度に犬夜叉は頭を抱えた。
 もし身も心も繋がっていたのなら、今あの夢になることは可能だっただろうか────
 屋根の上、寂しい星空を見ながら思いを馳せて、またふと立ち止まる。
 (っ、身も心もってなんだよ!!)

 「〜〜〜〜っっ」

 この身体の火照りも、胸打つ早鐘も。
 いつまで自分は保つのだろうか。
 穏やかな寝息の中で呼ばれた名前は、今は優しい。
 夜風が撫でた頬は、まだ熱い。



  春夜、熱に溺れよ






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