一日だけだと手を合わせ、必死に頼み込むかごめの願いを、犬夜叉がようやく聞き入れたのは、まだふた刻ほど前のことだった。
 いつもより少ない日数と、『たったの一日も待てぬのか』との仲間の言葉に、半ばやけくそに犬夜叉は頷いた。
 ただ、僅かな抗議の意を込めて、見送ることはしなかったが。
 けれどもかごめや仲間の気配がなくなった頃、こっそりと彼女を向こうへと送ってしまった井戸を覗き込んだ。
 そして周囲をそわそわそわそわ動き回り、自らもあとを追いかけるか否かをたっぷりと逡巡すると、結局は手近な木の上に寝そべり、いつものように門番よろしく井戸をじっと睨みつけた。
 見上げた空は冬の澄んだ空気に星々が奏でるかのように煌めく。
 満月を過ぎた月も時折薄い雲に隠れながらも、ぼんやりとした柔らかな光を犬夜叉の元へと届けた。
 一日。たったの一日。
 それなのに、たったそれだけが恋しい。
 半妖の身にしてみれば、さした寒さでないはずなのに、細く吹いた風になぜだか肌が震えた。
 
 「……早く帰ってきやがれ……」

 眉を下げぽつりと呟くと、身を抱くようにして身体を縮めた。

  ***

 閉じた目蓋の表側で見慣れた光が輝くのと、冷えた鼻先が焦がれた匂いを嗅ぎとったのは、ほとんど同時だった。
 慌てて見下ろした井戸の縁には、いつもより少しばかりめかしこんだかごめがいた。

 「あ、いた」

 まるで最初からそこにいることを知っていたかのように犬夜叉を見つけると、かごめは辺りがぱっと華やぐような笑みを見せる。

 「お前、なんで」

 「えへへ、戻ってきちゃった」

 少女らしい笑い声は白く浮かび夜に溶けて、犬夜叉の元へと立ち上る。
 安らぎと嬉しさに、吹いた風の冷たさまで忘れてしまう。
 けれどもそれを素直に見せることはできなくて、むっすりとした表情で腕を組む、お決まりの格好でかごめの傍へと飛び降りた。

 「……明日までのはずだろ……」

 「なによ、戻ってこない方が良かった?」

 ぷくりと膨れた頬はほんのりと赤い。
 突き出した唇も、心なしかいつもより艶めいて見えて、思わず胸が大きく音を鳴らした。

 「んなこと言ってねぇ……ただ、こんな遅くに危ねぇじゃねぇか」

 高鳴る胸を抑えながら、そうとだけ呟く。
 それにかごめは頷きつつも、再び頬を緩めると真っ直ぐに言った。

 「そっか。そうね。でもあんたがいると思ったから」

 その心根にまた胸が音を鳴らしてじわりと滲む。
 自分の根っこを鷲掴まれるような感覚は、いつまでたっても慣れない。
 けれどもどうしてか、それが心地いい。
 犬夜叉が返す言葉を探していると、かごめはマフラーに口元を埋めて、今度は恥じらうように話し始めた。

 「あのね、今日と明日はクリスマスっていう日なの。美味しいものを食べたり、大切な人と過ごす日なのよ。ママや草太やじいちゃんたちと過ごすのも楽しいんだけどね……」

 夜風に晒された細い指先は冷たそうな色をしている。
けれども桜色の頬には目尻にまで朱が差していた。
かごめは手に持つ袋を握りしめると、犬夜叉を見つめる。

 「やっぱり犬夜叉と一緒がいいな、って」

 白い肌を彩る朱が伝染ってしまいそうだ。
 傍にいたい。傍にいてほしい。
 ずっとずっと。いつだって。
 向こうに帰したくない理由をいくつも言えども、どれも本当は僅かなことでしかない。
 一番は離れたくない、ただそれだけだった。
 素直に言えないひと言を真っ直ぐに伝えてくるかごめに、犬夜叉はどんな表情をしたらいいのかもわからずに、ただ唇を結んだ。
 そしてかごめの手から荷物を攫うと井戸へ向かって歩き出した。

 「犬夜叉?」

 「……一緒がいいんだろ」

 澄んだ瞳を見つめるなどできなくて、代わりに手を差し伸べる。
 紳士などとはほど遠く、ぶっきらぼうなその様にもかごめは輝くような笑みを零した。

 「うん!」

 冷えた指先を絡めとり、温もりを分けるように握りしめる。
 ふたつの声が幸せそうに夜に響く。
 どちらともなく寄り添う影を、雲間から月が眺めた。



  







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