穏やかにせせらぐ川岸で、犬夜叉は鼻根に思いきり皺を寄せると、身体中に纏わり付くものを摘み取った。
 べっとりと張り付くそれは、いつぞやにも絡め取られたことのあるトリモチだ。
 流石と言うべきかその粘着力は人が作るものより強力で、衣からようやく僅かに取れたかと思えば次は手指にくっつく。
 それを振り払おうとしてみれば、細く伸びて今度は鼻先にぺとりとついた。
 いくら取っても取りきれないトリモチに犬夜叉は苛立ち、思い切り頭を振るうと髪にまで絡みついたそれが岸辺の砂利を拾った。

 「っあーー!!なんなんだこれ!全っ然取れねぇじゃねぇか!!」

 いくら水で濡らせども擦れども、一向に取れる気配はない。
 対岸でじゃれ合う鳥たちが一斉に飛び立つほどの声で叫ぶと、そんな犬夜叉をかごめはため息混じりに諌めた。

 「もう犬夜叉っ、そんなふうにしたらまた汚れるでしょっ」

 「んなこと言ったって仕方ねぇだろ!」

 もちろん犬夜叉とて汚したくてそうしているわけではない。
 ただ全くもって取れる気配のないトリモチに、元より短気な犬夜叉が苛立ち叫びたくなるのは至極当然のことだった。
 苛立ちを隠すことなく全面に押し出す犬夜叉に、かごめはどこか呆れたように、それでいて何かを見透かすように目を細めた。

 「そもそもこんなことされるなんて、また七宝ちゃんのこといじめたりしたんでしょ」

 「……んなことしてねぇ」

 いじめたりなどはしてない。ただちょっと、からかってやっただけだ。
 村の少女に綺麗に咲いた一輪を渡す姿をちらりと見かけた。それを少々。
 ここ最近かごめが方々ほうぼうへと駆け回り構ってもらえなかったものだから、微笑ましいその光景を少し羨ましく思った。
 そんなことがちょっかいを出した理由のひとつなどとは、口が裂けても言えないが。
 犬夜叉はべとつき少し重たくなった耳をぴくぴくと動かすと、視線を反らした。

 「とにかくこれ、早く落とさなきゃね」

 そんな犬夜叉にかごめはもうひとつため息を零すと、濡れて重たくなった緋色の衣を開き見た。
 先ほどよりもいくらか綺麗になってはいるものの、まだやはりうっすらと白く跡が残っている。
 時間が経てばより一層落ちづらくなってしまうと、かごめは再び犬夜叉に背を向けた。
 穏やかな昼下がり。せっかくのふたりきりの時間は何を話すわけでもなく過ぎていく。
 いつもであれば心地いいはずの時間も、今はそれでは物足りない。
 視線も言葉も意識も。犬夜叉へと向けられるものは何もなくて、どことなく寂しさを感じながら髪にへばりついたトリモチを指で摘んだ。
 心做しか髪が拾う砂利も増えた気がする。
 いらないものはこんなにも付いて離れないというのに。
 突き出した唇にかごめは気付くこともない。
 大切な衣が傷まぬよう丁寧に洗う背を犬夜叉はじっと見つめた。
 目と鼻の先にいるはずの彼女がなぜだか遠い。
 そういえば戯れのような触れ合いも、ここ数日は指折り数える程しかなかった。
 襷掛けで露わになった二の腕は微かに焼けただろうか。
 小指にあんな切り傷なんて、あっただろうか。
 気付かなかったのは、いつからか――――

 「かごめ」

 「ん?」

 元結がふわりと揺れる。
 かごめが振り向く前に犬夜叉は手を伸ばすと、華奢な身体を抱き寄せた。

 「ちょっ、何?どうしたの?」

 「……」

 髪に、手に、脚に残ったトリモチを分け与えるとでも言わんばかりにかごめにくっつくと、犬夜叉はほんのりと焼けた首筋にぐりぐりと頭を擦り付けた。
 ぎゅう、と抱え込まれた腕のなかで、逃れようといくらもがけどももう遅い。
 髪や頬からつま先まで。もちろん白衣や袴まで。
 ふたりを近づけるように張り付いたトリモチに、かごめは深々とため息をついた。

 「んもうっ!私までべとべとじゃないっ」

 動くたびに糸引くそれに諦めつつも、じとりと犬夜叉を睨みつける。

 「あーぁ、落ちるかなぁ。お風呂入んなきゃ」

 かごめのひと言に犬夜叉はぴん、と耳を立てた。

 「湯浴み、行くか?」

 「え?」

 湯浴みなどあんな無防備になるもの決して好きではないが、今ならばそれもいい気がした。
 ゆったりと肌と肌が触れ合えば、ほんの少し前のようにふたりの距離も変わるだろう。
 他愛のない戯れにきっと、心の角も丸くなる。

 「よし、行くぞ」

 そう言うが早いか風に乗る湯の匂いを探す。
 戸惑う声を両腕で抱え込みながら、想像するほんの少し先は、きっと明るい。
 犬夜叉は久しぶりに口元を緩めると、森の奥へと駆け入った。



  






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