射し込む朝陽が眩しくて、揺蕩っていた夢の淵から犬夜叉は目を覚ました。
 珍しくぐっすりと眠り、しかもいつになくいい夢を見た気がする。
 きらめく朝の明るさが少しばかり目に痛い。
 犬夜叉は避けるように顔を顰め、前髪を軽く掻き上げた。
 大きな口から零れる欠伸は、まだあの夢の中にいたいと訴える。
 けれども今日は朝からあちらこちらへ借り出される予定だった。
 まず一番に隣村まで妖怪退治へ出向き、それが終われば村の外れの水車を直して、それから建てるのを手伝えと言われていたのは誰の家だったか。
 あぁ、それとどこぞから借りた馬を返してこいとも言われていた。
 面倒だとは思いつつ、それをどうにか振り払い、身を起こそうとするとすぐ側で何かがもぞりと動いた。
 見ればそれは犬夜叉の胸板にひたりと寄り添い、穏やかな寝息を立てる。

 「かっ……っ、」

 犬夜叉ははたと動きを止めると、叫びそうになった声を寸でのところで飲み込んだ。
 それが何かなど誰に言われずともわかる。

 「かごめ……」

 犬夜叉はそぅっと静かに、吐息に乗せるようにしてその名前を呼んだ。


 想いの募る三年の月日を経て、ようやくかごめと暮らし始めたときには、彼女が舞い戻ってからすでにふた月が過ぎていた。
 それはかごめが戻ってきたことの嬉しさよりも、もっと近くにいたいと、もっとずっと一緒にいたいと、そう思い始めた頃だった。
 共に暮らし始めてしばらくは、今までのように手を繋ぎ、寄り添っては、絡んだ視線に誘われるように慣れない口づけをしていた。
 そうしてようやく契りを交したのが昨夜のことだった。
 本当はすぐにでも重なってしまいたかった。
 けれどもかごめを大切にしたいと、そう想う気持ちがそれを阻んだ。
 そうして重ねた肌ではあったものの、正直、つい数刻前のことを犬夜叉はあまりよく覚えてはいなかった。
 ただ、かかる息が熱くて、触れた肌が甘くて、かごめの匂いがいつも以上に近くて、繰り返し何度も呼ばれる名前に胸が締めつけられて、苦しいほどに溢れ出す気持ちをなんと呼べばいいのかも分からずに、柔らかな中に溺れるようにして沈んだ。

 “犬夜、しゃ、いぬやしゃぁっ”

 「〜〜〜〜っっ」

 その時のうっすらと染まった肌や、触れられた指先の熱さを思い出し、犬夜叉は一気に顔を赤くした。
 誰が見ている訳でもない。
 けれども堪らず隠すように手のひらで覆うと、その隙間からちらりとかごめを見遣った。
 すやすやと寝息を零す彼女は、犬夜叉が昨夜のことを思い出してはひとり顔を真っ赤にし、身悶えしていることなど知る由もない。
 垂れた眉も目尻も、薄く開いた唇も昨夜のことが夢だったかのようにまだ幼い。
 犬夜叉は逸る鼓動を落ち着けるように息を吐くと、ゆっくりと身を起こした。
 覗き込んだ寝顔は睫毛を揺らすこともなく、まだまだ夢の中にいることを教える。
 ひたりと添う頬や指先は、昨日あんなにも濃く染まり熱かったはずなのに、今は犬夜叉と溶け合いそうなほどに同じ温もりでいた。
 緩やかな寝息にふわふわとした黒髪が揺れ、素肌を撫でるのが少しばかり擽ったい。
 昨夜の名残を見せる乱れた髪を犬夜叉はそっと梳った。
 時折指に巻きつけて、するりするりと逃げる感触を楽しめば、それは朝の光を受けてきらりと輝く。

 「ぅ、ん……いぬやしゃ……」

 呼ばれた名前にぴたりと動きを止める。
 けれども再び聞こえ始めた寝息に、犬夜叉はほっと胸を撫で下ろすと、さらりとした頬を指の背で撫ぜた。
 眠りながらも幸せそうな表情に、じんわりと胸が温かくなる。
 (あぁ、そうか……)
 人はきっと、これを愛しいと言うのだ。
かごめの傍にいたいと思ったときとも、昨夜の胸の苦しさとも違う。
 けれども奥底でじわりと滲むそれは、今感じているものと同じだった。
 犬夜叉はそっとかごめを抱き寄せた。

 「かごめ……」

 かごめの匂いに混じる自分の匂いが、いつも以上に強く香る。
 それにまた心を攫われるように、温かいものが広がった。
 もう眩しいほどの朝なのに、早く起きなければならないのに、やらねばならぬことが山ほどあるというのに、このまま当分動けそうにはなかった。
 優しく包まれるような温もりをやんわりと抱きしめる。
 そうしてあと少し、少しだけ、と犬夜叉はゆったりと目蓋を閉じた。



  花瞼







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