まるで年に一度の祭りのような賑やかさが落ち着いたのは、もう月が天高くへと向かい始めた頃だった。
 細い月と春の星々が輝く中、大きく焚いた火の元で、呑めや唄えやと騒いでいたが、とうとう主賓であるかごめが、欠伸を噛み殺し始めたものだから、ようやく楓がひと声上げた。
 宴の片付けもそこそこに、火の始末だけきっちりすると、皆方々へと帰っていった。
 かごめは楓のお古の着物に袖を通し、敷かれた布団の上に横になる。
 借りた着物は身丈が足らず、まだ春を迎えたばかりのこの時季には、足元が少しばかり寒かった。
 明日にはかごめの分の巫女服を用意すると言っていた。
 現代でも時折着てはいたが、こちらの世界で袖を通す。
 その意味を噛み締めて、かごめは胸を震わせた。
 (これから生きていくんだ……ここで、犬夜叉と……)
 不安を交えながらも、これから先のことに胸が高鳴る。
 横になったかごめのすぐ傍で、見守る――――と言うよりは見張るように、胡座を掻いた犬夜叉をちらりと見た。
 静かに目を閉じた姿からは、何かを感じ取ることは難しい。
 けれども井戸から引き上げてくれた手や、抱きしめられた力強さに、自分はまた、彼の傍にいてもいいのだと感じたことを思い出した。
 大切な家族や友人を置いてきてしまった寂しさは、余るほどにある。
 それでもそんな気持ちを包む込むほどの幸せを、身体いっぱいに感じているのも事実だった。
 どきどきと叫び出してしまいたくなるほどに、胸がたくさんのものたちで溢れる。
 かごめはそれを落ち着かせるように、ゆっくりと息を吐くと静かに目蓋を伏せた。

  ***

 ごそごそと何度目かもわからない寝返りを打つ。
 (眠れない……)
 眠ることを諦めきれずに、なんとか瞑っていた目をぱちりと開けた。
 薄闇のなか、かろうじて見える柱のシミでも数えたら、少しは眠たくなるだろうか。
 ぼんやりと天井を見ていた視線を横へと移す。
 視界に入った犬夜叉は、鉄砕牙を抱え、相変わらず目を瞑っていた。
 その刀を持つ手の大きさに、かごめはふと、昔のことを思い出した。

 あのときも、こんなふうに眠れない夜を過ごしていた。
 かごめが寝返りを打つたびに、スプリングの軋む音が静かな夜の空気を裂いた。
 目を閉じて思い起こすのは、これまでの旅の軌跡。
 奈落討伐は、もうすぐ目の前にある。
 奈落を倒し、四魂の玉を完成させたとき、自分はどうするのだろうか。
 古井戸が繋ぐ、現代こちらと戦国時代あちら。
 この二重の生活をいつまで続けるのだろう。
 そもそも井戸は事を成したとき、ふたつを繋げてくれるのだろうか。
 例えば、もし、井戸が閉じてしまったら――――。
 かごめには大切なものがありすぎる。
 現代こちらにも戦国時代あちらにも。
 それらをひとつひとつ思い浮かべては、手放すことを想像し奥歯を噛んだ。
 すぐになんて決められない。
 どれほど時間をかけても、決めることは難しい。
 けれども、その“いつか”が来たとき――――
 (私は、どちらを選ぶんだろう……)
 かごめは寄せていた眉を解くように目を開けた。
 そしてベットに凭れ掛かる犬夜叉の背中を見つめる。
 いつだって守ってくれる背中は、かごめにとっては大きくて広い。
 カーテンの隙間から差す、月明かりに照らされた銀髪は、きらきらと見えない先を輝かせているように見えた。
 思わずそこへ手を伸ばそうとすると、静かな声が聞こえて動きを止める。

 「どうした?」

 悪いことをしたわけでもないのに、伸ばしかけた手を咄嗟に布団へと戻す。
 それを気にする様子もなく、犬夜叉はかごめの方を向いた。

 「眠れねぇのか?」

 「……うん」

 「そうか」

 一切の眠気も感じさせない目を見つめると、犬夜叉はかごめの頭をくしゃりと撫でる。
 その温かさと大きさに、かごめはほぅと息を吐く。

 「明日には戻るんだ。少しは寝とけ」

 「……わかってるわ」

 そんなことはわかっている。
 あちらに戻れば、このふかふかなベッドも、温かな部屋も、穏やかな時間もなくなることくらい。
 何も気にせず眠れるのであれば、こんなにも悩まない。
 かごめが拗ねたように目蓋を伏せると、犬夜叉はわざとらしくため息をついて、布団の中に隠した手を掴んだ。

 「これで寝られるだろ」

 温かな手で包まれて、かごめは見開くと犬夜叉を見つめた。

 「え?」

 「んな不安そうな表情するな」

 ひとつひとつの指が絡むように合わさって、きゅっと軽く握られる。

 「お前は、笑っててくれればいい」

 真っ直ぐな瞳が戸惑うかごめを映す。
 不安を抱えた胸が、ときん、と鳴ると、穏やかに霧が晴れていくような感じがした。

 「犬夜叉……」

 詰めていた息も顰めた眉も消えていく。

 「ありがとう」

 繋いだ手を両手で包み、頬擦りするように顔を寄せる。
 かごめの緩んだ表情に頬を染めた犬夜叉は、自分の行動を振り返りそっぽを向いた。
 ちらりと見える耳先は可愛らしいピンク色だ。

 「おう……そしたら早く寝ろ」

 「うん」

 誤魔化すような言葉すら優しい。
 かごめはその背に背負われるような安堵を胸に、ゆったりと目蓋を閉じた。


 話した言葉のひとつひとつまで、まるで昨日のことのように思い出す。
 昼間に繋いだ手の温もりも、あのときと少しも違わぬものだった。
 かごめは自分の手のひらをじっと見つめて、そこから犬夜叉を透かし見る。
 そしてちらりと見える指先を握る真似をしてみて、小さくため息をついた。
 その手の温もりが恋しいと、そう言ってしまえればいいのに。
 三年前の自分であれば、言えただろうか。
 どちらにしても夜も深い。
 もしかしたら眠っているかもしれない彼を、起こしてまで言うことはできなかった。
 かごめが温もりを諦めて、眠ろうと身動ぎしたとき、夜を気遣うような声が降ってきた。

 「……どうした?眠れねぇのか?」

 驚き声のするほうを見れば、そこには煌々と輝く月のような瞳がふたつ、かごめを見ていた。

 「あ、起こしちゃった?」

 「いや、起きてた」

 「そう」

 潜めた声で内緒話をするように言葉を交わす。
 まるで、あのときとそっくりだ。

 「明日も忙しいんだろ。早く寝とけよ」

 けれども今夜は頭を撫でられることも、組んだ手が崩れることもない。
 それに少しだけ寂しさを感じる。
 かごめが物欲しそうにじぃっと一点を見つめると、犬夜叉はぴくりと片眉を持ち上げた。

 「…………なんだよ」

 「別にぃ……ただ、」

 「ただ?」

 「手、繋いでくれたら眠れるかもなぁ、って」

 「はぁ?」

 お強請りは、あまえるように。
 たじろぐ瞳を少しだけ、恥ずかしげに見つめて。

 「手……繋いで、いい?」

 静かに、犬夜叉にだけ聞こえるように。
 布団から小さく指先だけを覗かせて、そう言った。

 「……っ!」

 瞬時に頬を染めた犬夜叉が、口の中だけで何かを呟くと、視線を反らしながら手を解いた。
 ぶっきらぼうに伸ばされた手は、やっぱり温かい。

 「ありがと」

 かごめは指を絡めて、大切そうに両手で包む。
 きゅっと力を込めると、一瞬だけ震えて、それからおずおずと握り返してきた。
 節くれ立った手の甲に、微笑みながら頬擦りする。

 「おやすみ、犬夜叉」

 「…………おう……」

 ゆったりと目蓋を伏せると、夜の帳が降りてくる。
 幸せな温もりに、心がやわやわと解けていく。
 犬夜叉が覆った手の隙間からかごめを見遣ると、もう既に薄い寝息を立てていた。

 「……人の気も知らねぇで……」

 呟きは誰が聞くこともない。
 ただ夜空では爪のように細い月が、微笑みながら浮かんでいた。



  







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