はぁ、と吐いた息が白く溶ける。
 空を覆う雲は分厚く、まだ昼を過ぎたばかりだというのに辺りの空気はどことなく重たく灰色がかっていた。
 先日見た天気予報では、今年は例年以上に冷え込むと言っていた。
 まぁ、それも向こうでの話で、五百年前の今ここには当てはまらないことなのだろうけど。
 それでもこちらの冬も“確かに”と頷きたくなるような寒さだった。
 細く吹いた木枯らしにかごめはふるりと身を縮めた。
 五日ぶりの戦国時代は思いのほかに寒くて、こんなにも寒いのならばカーディガンや手袋も持ってくるんだったとため息をひとつ吐く。
 かろうじて持ってきていた薄いピンクのマフラーに顔を半分うずめると、吐いた息に口元が湿った。
 悴む指は赤さを通り越して白い。
 むき出しの太腿ごと温めようと、そこを数回擦ってみる。

 「せめてポケットがあればいいのになぁ……」

 冬用の制服のスカートには左腰にチャックがついているだけだ。
 制服なのだからポケットくらいつけてくれればいいのに。
 そうすれば僅かにでも暖がとれるのにと、理不尽な思いをマフラーに隠れる唇に乗せ、軽く突き出した。

 「何があればいいんだ?」

 掛けられた声に振り向くと出逢った頃から変わらない装いの犬夜叉が首を傾げていた。
 落ち葉を踏む裸足は見ているだけでも寒そうだ。
 銀色の髪に覆われた首筋も、時折吹く風がひゅるりと撫で去る。
 その冷たさを想像し、かごめは更に身を縮めた。

 「んー、寒いからね、手だけでも温められたらいいなって」

 『悴んじゃって』と緩慢に指先を動かして見せる。
 そしてそのまま息を吐き、白い指先を温めるかごめをじぃっと見ていたかと思うと、犬夜叉はおもむろにその手を取り、形のいい爪を撫でた。
 いつもは桜色の指先も柔らかな手のひらも、今は雪のように白く冷たい。

 「おめぇ、なんでこんなにつめてぇんだ?」

 「冷え性なのもあるけど、あんたがあったかいのよ」

 犬夜叉は二回りほども大きさの違う手を両手でぎゅっと握りこむ。
 そしてその中にかごめがしたように、息を吐くと狭い中でふたりの肌が湿った。
 それを何度か繰り返し、もういいだろうと両手を開き見てみる。
 先程よりもいくらか血色はよくなってはいるものの、その指先は温かさには程遠い。

 「あんま温かくなんねぇのな」

 拗ねるような口元で呟きながら見たかごめは、冷えた手指など嘘のように頬を染めている。
 熱でもあるのかと慌てて額に手を当ててみても、むしろそこは犬夜叉の手にはひやりとしていた。
 首を傾げ見る犬夜叉にかごめは俯き、再び冷え始めた手で赤い頬を冷ますように包む。

 「……あんたって、時々本当に、すごいわよね……」

 「?よくわかんねぇけど、おめぇそれどうにかしたほうがいいぞ。この時季でそんなんじゃぁ凍てついちまう」

 凍てつくとは言いすぎな気もするが、こんな悴む指では戦いの最中まともに弓も引けない。
 確かによくはない、とかごめは頷く。
 以前から、寒さに指先や足先が冷えることはあったものの、手袋やマフラー、コートに暖房器具などなどでどうにでもなっていた。
 けれどもそれは現代向こうでの話であって、こちらにはもちろんそんなものはない。
 コートも手袋も、なんなら今着けているマフラーでさえ、いざという時には邪魔になるだろう。
 やはりここはポケットのあるカーディガンにホッカイロでも持ってくるか――――と思案していると、犬夜叉の手から離れ再び寒空の下に晒されていた両手がきゅっと包まれた。

 「………何?」

 「何って、寒いんだろ?」

 かごめを守るのは当然だ、といつも身体を張ってそれを伝える彼だが、今はかごめの手指が冷えたなら温めるのは当然だと、でも言うように金色の瞳を瞬かせた。
 なんの下心も見られないその瞳や声色にかごめは歯切れ悪く返事をし、大きく骨ばった手の甲を見つめた。
 冷えた手を温めるために握られている。
 いつも背負われ、時には抱きしめられて、自らも互いの息が交じり合うほど近くに添うこともあるというのに。
 手を包まれる、ただそれだけのことに、こんなにもドキドキしているのが自分だけだと思うとなんだか悔しい。
 何気ない言葉や行動に心乱されているのは、なんだかんだいつも自分のような気がすると、かごめは俯き唇を突き出した。

 犬夜叉はいつだってそうだ。
 ふとした言葉や行動で甘い雰囲気を作るのに、そこから先へは決して行かない。
 例え来てほしいと願ったところで叶わない。
 その理由は分かっているのだけれども、言いようのない切なさを感じることも事実だ。
 (全て終わったら……)
 見えない未来さきを思い浮かべて、かごめは包まれた手のひらをそっと握る。
 薄い皮膚を介して伝わる体温が、かごめの中を埋めていく。
 いくら寂しくとも切なくとも、犬夜叉の言葉ひとつ、仕草ひとつで満たされる。
 どれだけ冷えた中でもいつでも温かな手はまるで彼の心そのものだ。
 温もりは手のひらへと移り、凍えたそこはじわりじわりと解けていく。
 (あったかい……)
 俯くふたりの口元から零れる息は白く、時折細く吹く風がそれらを攫いながら混ぜていく。
 いつもは戦いへと向けられる鋭い爪は雄々しさを潜め、その尖った先にさえ優しさを滲ませる。
 かごめはいつだったか彼がこうして、自分の手を取ることさえ躊躇っていたことをふと思い出した。
 それどころか近づくことすら、傍にいることすらできないのだと言い零したこともあった。
 優しい彼は、自分の爪の先ですら温かいことを知らない。
 硬く鋭い爪のその中にも、真綿のように温かく柔らかな彼がいるのだ。

 犬夜叉の緩く細い息が、かごめの前髪を揺らすほど近くにいる。
 そのことにはたと気付き戸惑いを覚えるが、握った手を、その温もりを離し難いのはどちらも一緒だった。
 とはいえ、飲まれていた雰囲気から醒めた今、柔らかかった指先には力が籠り、互いにかける言葉も見当たらない。
 ましてやいつまでもこのままでいるという訳にもいかない。
 ドキドキと鳴る鼓動は、その足並みを揃えそうなほどに同じなのに、ちらりと見遣る互いの表情からではその心の内を伺い知ることはできなかった。
 ただわかっているのは、熱いほどであった犬夜叉の手も、氷のように冷えていたかごめの指先も、今では交わるように同じになっているということだけだ。
 その同じ温もりに、かごめはふと肩の力を抜いた。

 「……犬夜叉の手、冷えちゃったね」

 「え、あ……どうってことねぇだろ」

 「……じゃあ、もうちょっとだけあっためて?」

 かごめはそう言うと、手のひらから手首のその奥へ、しなやかな筋肉を伝うように温もった手を袖の中へと忍ばせる。

 「か、かごめっ?」

 「犬夜叉は、あったかいのね」

 慌てふためく声を聞き流して、たっぷりとした衣の向こう側にある硬い胸板に額を寄せた。
 そうして新緑にも似た爽やかで柔らかな香りをひと息吸い込む。
 肘の少し上の辺りを小さな手にきゅっと掴まれて、犬夜叉は喉元まで出かかった心臓を無理矢理飲み込んだ。
 ぎこちなく動き始めた両腕は、恐る恐るかごめを包み込もうとする。
 柔らかな身体まで一寸もないその距離に犬夜叉はたっぷりと逡巡し、意を決したように拳を作ると、漸くかごめの体温に触れた。
 犬夜叉へと身を寄せたかごめとの間には、冷たい風が撫で去ることもない。
 上下に動いた喉仏が固い音を鳴らした。
 胸板に頬を擦りつけると、添わせた腕が震える。
 犬夜叉の上がった体温にも鼓動にも、かごめは気付かないふりをした。



  






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