柔らかく降り注ぐ日差しに、頬を撫でるように吹く風。 春と呼ぶにはもう遅く、初夏というにはまだ少し早い、心地のいい空気が辺りを煌めかせる。 遅めの昼餉も済ませて腹も適度に膨れた上に、この穏やかな雰囲気。 思わずくわりと大きな欠伸をする。 今日はやたらと、いつも以上に、どうしょうもなく眠い。 そういえばここ最近は、奈落の奴等とだったり、人助けと称した妖怪退治だったりで、休みなく動いていたし、その上さほど眠れていなかった。 意外と自分が思うよりも疲れていたと知り、昔はなかった気の緩みを感じた。 戦うときの気分が高揚するような、あの空気は嫌いではないし、どちらかと言えば単調なもののほうが好きではない。 刻一刻と様変わりするもののほうが、性にあっているとは思うが、今のこの空気にはずっと浸っていたいと思うほどに緩やかで気持ちがいい。 寄りかかれる場所を探して、かごめたちから少し離れたところに、眠るにはちょうどいい、周りに木陰を作るどっしりとした木を見つけた。 硬い根の間の柔らかな草の上で腰を下ろし、愛刀を抱える。 風が吹くたびに、煌めく木洩れ陽は行く先を変え、その光の奥で楽しげに笑うあいつらは、何かの巻絵のようだった。 その中でも話に花を咲かせる春色の声は、一際俺の耳を擽り、離れていても届く優しい香りが湿った鼻を掠めた。 昔、お袋の膝の上で聴いた、子守唄のような心地良さに、誘われるようにして目蓋を閉じた。 *** 久しぶりの楽しい時間は、思いの外に早く過ぎて、先ほどまでとは違う冷えた空気に、思わず身を竦めた。 きらきらと差していた陽が薄くなり、見上げれば空は灰色の分厚い雲を連れてきている。 辺りの匂いも、草花の青々としたものから、湿った土埃へと変わり始めていた。 「これはひと雨きそうですな」 少し先に行ったところに見える小屋で雨宿りさせてもらおうと、弥勒様が言うが早いか、待っていたとばかりにポツリと雫が落ちてきた。 一粒を認めてからは早くて、地面がぱたぱたと不規則に小さな音を立てる。 急いで広げていたお菓子や飲み物を片付けていると、昼寝をしていた彼がまだここにいないことに気がついた。 まさかと離れた木の根元を見ると、まだ俯きながら座る犬夜叉がいる。 この空気の変化にも気付かないでいる彼は、一番の戦力として、ここ最近毎日のように何かしらと戦っていた。 しかも夜は夜で、野宿が多かったこともあってか、眠るというよりも目を閉じているだけだったようなことを思い出した。 「三人とも先に行ってて。私、犬夜叉を起こしてくるわ」 当初の大きさよりも随分と小さくなったリュクサックの中から、折りたたみ傘を二つ取り出して、少し大きなほうを弥勒様に渡した。 小屋で待ち合わせをして、先ほどよりも増えた雫を遮るように、ピンクのチェック柄の傘をパンっと開いた。 *** 「……やしゃ、犬夜叉」 揺り起こされて目を開けると、頭上を桃色の格子柄に覆われていた。 目蓋はまだいくらか重たく、大きく伸びをしながら欠伸を一つすると、目線を合わせるようにしてしゃがんでいたかごめは小さく笑った。 心地のいい午睡を妨げられて、文句の一つでも言おうとしたが、辺りの空気の違いとかごめの手にあるものが傘だと気づき、言葉を喉の奥に閉まう。 よく見れば衣は所々に色を濃くしていて、周りの地面もまだらに色を変えていた。 「あんた、よく寝てたわね」 「あー、そうだな」 「今日はゆっくり休みましょ」 あぁ、と頷いた声は欠伸に溶けて消えた。 連発する欠伸と、気づかなかった雨に、こんなにも気が緩んでいたのかと少し驚く。 こんなことはガキの頃を除けばなかった。 少なくとも思い出せるところにはない。 そんなに疲れていたのか、それとも…。 ちらりと見やった、かごめの肩や緑の腰巻の裾が濡れている。 意外にも雨は強くて、多くの葉を茂らせるこの木の間からも、摺り抜けるようにして雨垂れが落ちていた。 差し出された傘から、外れるようにして立ち上がると、それを知っていたかのように、再び頭上を覆われる。 「濡れるわよ」 「いらねぇよ」 かごめはむすりとわかりやすく、口をへの字に曲げて、押し戻した傘を負けじと差し出してくる。 「風邪ひくわ」 「んな柔じゃねぇよ」 押し問答している間にも雨粒は大きくなり、辺りの土は色を変えるどころか、水溜りを作り始めていた。 中途半端に差された傘は、かごめの髪や袖を新しく濡らし始める。 「いいから、お前がちゃんと差しとけ!」 翳される傘を突っぱねてそっぽを向くと、かごめは一瞬だけ目を見開き、きゅっと小さな唇の端を留めて俯いた。 眠る前に見た、楽しそうに笑う顔とはまるっきり正反対の顔に、少したじろぐ。 かごめはころころと表情を変える。 見ていて飽きないほどに、変化する自分の感情を素直に表に出す。 笑った顔は花が咲くようなのに、怒ると何ものよりも恐ろしいし、毅然とした表情は誰よりも凛としていて思わず見惚れるほどだ。 濡れて細く束になった黒髪を見つめていると、かごめは静かに距離を縮めて俺の裾摘んだ。 「わかってよ、バカ……」 蚊の鳴くような声が耳に触れる。 俯いた髪の隙間から見える耳の淵は、ほんのりと染まっていて、震える睫毛が透かす瞳は水溜りのように潤んでいた。 二人だけのときにしか見られない、二人だけのときでもあまり見られない、久々に見た表情はあまりにも豊かに情を含んでいる。 「かごめ……?」 かごめは何も言わずに、潤んだ瞳だけを軽く睨むようにしてこちらに向け、裾を摘む指に力を入れる。 あぁそういえば、ここ最近は周りに誰かしらがいて、二人きりになることなどなかった。 おれに話しかけて微笑むかごめよりも、誰かと話して笑い合うかごめを見ることのほうが多かった気がする。 互いの息の音を聞くほどの近い距離だって、背負うことを除けば久しぶりな気がした。 「………雨、強ぇから……あいつらのとこまで、遅くなるな」 ぎこちない言葉にかごめの目尻が緩む。 甘え下手の下手くそなお強請りにも、おれはこうしていとも簡単に白旗を挙げる。 おずおずと細い柄を握り、左腕に絡む温かさを感じながら、いつもよりも小さな歩幅で弥勒たちの元へと足を向けた。 レディの嗜み |