昼間には豊かだった草花の香りも、鮮やかだった色彩も、村の賑やかな声も音も、陽が落ちるとともにすっかりとその姿を隠した。
 井戸にもたれるようにしてしゃがみ込むと、辺りの雑草についた夜露がじわりと衣を濡らす。
 煌めく星と爪のように細い月がゆっくりと雲に隠されていくのを見て目を閉じる。
 かごめとの急な別れから一年。
 三日に一度井戸を覗く以外にも、時折こうして過ごしていることは多分誰も知らない。
 すぅっと息を吸って耳を澄ませても、ただ井戸からするのは湿った土の匂いと当たり前の静けさだけで、かごめの帰りを知らせるようなものは何もなかった。
 共に過ごした時間はあんなにも早く過ぎるのに、待ちわびるこの時間はあまりにも長い。
 瞼の裏に浮かぶ彼女はいつだって真っ直ぐに自分を見つめている。
 かごめのころころと変わる表情の全てにいつも心奪われていた。
 笑ったときに細くなる目や弧を描く唇、そこから零れる鈴のような声に、ふわりと香り立つように緩む雰囲気。
 怒ったときの眼の強さに、きゅっと結ばれる唇、少し低くなる声に、辺りを鎮める空気。
 悲しんだときの慈愛に満ちた瞳に、紡がれる優しい言葉の数々、穏やかに包む手の平の温かさに、落ちる涙の美しさ。
 そのどれもが鮮明で今でも俺を心を掻き乱す。

 元気でいるんだろうか。
 向こうで家族や友人たちと過ごし、今も笑っているんだろうか。
 幸せで、いるんだろうか。
 かごめの笑っている姿が好きで、泣いているところを見るとどうしていいか分からずに、ただ狼狽えるしかできなかった。
 多分それは今も同じで、あいつにはいつまでも笑っていてほしいと思う。
 ただそれでも、どうしても、かごめの幸せを願えないでいる。
 別に不幸になってほしいわけじゃない。
 おれのことを想い出にして、忘れて、知らない誰かとでもいいからかごめが笑っていられるのならそれでもいいとも思った。
 けれどもそれを想像するだけで、吐き気を催すような胸苦しさが襲ってきて、泣きたくなるような苛立ちを覚えた。
 なんていう浅ましくて愚かな想いだ。
 こんな男に惚れられてあいつはなんて不憫なんだろう。
 でも、それでもやはり自分の隣以外で幸せになんてならないでほしい。
 おれと一緒に笑って、俺 おれの傍で泣いて、おれのためにと怒ってほしい。
 おれのことをいつまでも想っていてほしい。

 『ばかね』って、呆れた顔して叱ってほしい。
 『大丈夫よ』って、この手を包んでほしい。
 『好きよ』って、おれを見つめて微笑んでほしい。
 そして『犬夜叉』って、その声でおれの名前を呼んでほしい。
 かごめを幸せにするのは全ておれであってほしい。

 「かごめ……」

 好きな女の幸せも満足に願えない。
 見上げた空はまだ月を隠している。
 情けないほどに弱く掠れた声で呼んだ名前は、吐息とともに夜に消えた。



  









「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -