ひそか | ナノ



白い長方形の箱には今日開店したばかりらしい溝辺町のシュークリーム店の品物がいくつか詰められていた。なまえが昼過ぎにわざわざ買い求めたものだ。カスタードとチョコ、コーヒー、あずき、苺、抹茶、期間限定の栗、とりあえず店にある全ての種類を二つずつ買ってきたらしい。限度を考えないなまえにいつものように、多すぎると注意してはみるけれど内心半ば諦めてしまっている。食べ比べをしたいからと聞く耳を持たないのを知っているからだ。今日が大安だからといってこれまでに何度も繰り返されてきた行いがそう都合よく改められるはずもなかった。


「どれがどれだかわかんない」
「多分、これが抹茶じゃないかな。中身が少し見えているから」
「うえ……抹茶は静信にあげる」
 

差し出されるのを受け取りながらこれも悪い癖だと口にしないまま思う。


「嫌いなものをどうして買うんだい」
「全部制覇することに意味があるから!だから一口だけちょうだいね」


そう言って自分はカスタードを見つけ出して頬張りはじめる。溢れだしそうなほど詰まったクリームをこぼさないよう慎重に口に運び、飲み込むと満足げなため息を付いた。どうやら気に入ったらしい。
ふっくらとふくらんだシューを包み持ってかじるその姿は何かの小動物を彷彿させる。こうしてなまえが持ち込んだものを一緒に口にするのも珍しいことではない。なまえの食べ方や癖も十分知っているつもりだ。にもかかわらず度々訪れるこの光景を目にするのは微笑ましかった。
彼女が好きなものを食べる時のため息する心持ちに少し似ているのかもしれない。


「静信って食べるのおっそいよね」


黙々と無言で頬張っていたせいか、なまえはいつの間にか半分まで食べ進めていた。生地の中のクリームが黄色くて滑らかなつやを見せていた。


「僕じゃなくて、なまえが早いんだよ」


指摘されて自分のものと僕に渡した抹茶を少しむっとした表情で見比べた。


「そんなことないと思うんだけど。絶対静信が遅いだけ」
「しっかり噛まないと消化に悪いよ」
「あーもうっ!はいはい、ちゃんと噛みます」


緩みきっていた顔をどこかへやって再び食べ進める。不貞腐れた声で答えながらも先程よりも咀嚼してゆっくりと味わっているようだ。結局のところ根は素直なのだ、たとえ数分後にはすっかり忘れてしまっていたとしても。それほどひねくれているわけでも自分勝手というわけでもない。時々たがが外れてしまうだけであって。


「まったく、うちの親と同じこと言わないでよね。まさかそう言えって言われてないよね?」
「言われてないよ。心配しなくても」
「ふーん、ならいいけど」


またひとつかじりついた。
時々思っていたことがある。幼い頃から引っ込み思案で人見知りだった自分のために誰があの長い石段を越えて会いに来るのか。それが女性なら一体誰がいるのだろうと。
僕の一体何を良しとして彼女が追いかけるようにしていつくようになったのか、僕はまだわからないままでいる。知りたいと思う反面、知らないままでも構わないと思うのが本当のところだった。自分が望む答えと違っていたらという不安とは裏腹に、失われるものが何もないならそれでいいと割り切る自分がいる。けれどもそれはとりとめもなく胸の内だけで考えていても仕方のないことだ。その答えは彼女を介さなければ知ることができないのだから。そう諦めてなまえに目をやって軽く息を吐く。


「……なまえ」
「もー今度はなに。ちゃんと噛んで」
「ついてる」


カスタードが、と付け足して自分の口元を指す。きょとんとした顔で停止したなまえが慌てながらも恐々と指で反対側を探り始めたのは一拍置いてからだった。


「え、ど、どこ?」
「反対だよ」
「反対?え?」


探り当てようとする指がクリームを掠める。黄色いそれが肌の上で薄く延びてなまえが嫌な顔をする。それを見かねて微かに笑ってその口元に手を伸ばした。紙面やブラウン管の向こうで使い古されてきたやりとりを自分たちが全く同じに再現してしまっていることがおかしかった。


「じっとして」


もしも自分のそばに好んで寄ってくる女性がいたとしたら、それは好みの云々を除いて言えば何となく物静かな人だろう、そう思っていた。だから目の前で無邪気に甘いものを頬張ったりクリームをつけたりする存在を今でも不思議に思う。


「こういうことには縁がないと思っていたんだけど」


指先で拭いとってこそばゆい思いに身を浸した。
どことなくほのかに甘い香りがする。それはふっくらとした洋菓子からだったのだろうけど、はっとして頬を染めたなまえの方が多分何倍も甘い。







20101218
ありふれた憧憬の中






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