「ぱんだぁー、うさじー、こややぁ」
つい最近、某母親同伴教育番組で聞いたばかりの歌を口ずさみながら、俺は一人砂場で直方体を製作していた。パンダ、うさぎ、コアラをご招待する名目の手遊び歌である。この手遊び歌というのが意外と馬鹿にできなくて、子供の興味を引いたり静かにさせたり、コミュニケーションを取って仲を深める事もできるのだ。大人の真似をしたがる子供の習性を利用しているのか、それとも手遊び歌が楽しそうだから真似をしたくなるのか、俺にとっては鶏が先か卵が先か、みたいな話になってくる。
ぺたぺたと片手サイズのスコップで砂を固めていく。一見すると大きな豆腐のようにも見える直方体は、これから俺の古巣である警視庁に姿を変える予定だ。あのちょっと丸みを帯びた扇形に削ろう。そう思いながら水も使って四角いボディを作っていく。
「おいで、おいで、おいで、おい…」
「やぁ、君がカズキか?」
「ぱん、だ…?」
突然とてもいい声に名前を呼ばれる。砂の山をペタペタする手を止めて振り返ると、そこには逆光になったベルツリーがズン…と立っていた。パンダでもうさぎでもコアラでもねぇマジモンのやべぇ奴をおいでおいでしてしまったことをそっと確信して、俺はぼんやりとその男の様子を観察する。でっ…かい…多分零と同じくらいかそれよりも少しでかいくらいだろうが、存在感からくる圧力がすごくてそれよりもでかく見える。怪しい。見るからに怪しすぎる。何だこの男は。
「ヒョ…」
思わず変な声が出てしまうほど全体的に色味が黒かった。ズボンや革ジャンを始めとする衣類から、一番気になるのは黒いニット帽。あれ下ろしたら赤く縁取られた穴が目、目、口と三つ空いてて気軽に銀行強盗とか行けるようになってるんじゃねぇかなと思ってしまうガタイの良さ。そして、極めつけはすっとした切れ長の緑の瞳。顔の造形がこれでもかというほど整っているし幼児の手前優しげに細められているようには見えるが、その眼光自体は鋭く、どこか狼や猛禽類のような洗練された雰囲気を感じる。その男が少し屈んで、にっと口の端を上げて微笑んだ。
「俺は赤井秀一、君のダディの友人でな…よかったら少しお話しないか?」
いーやちょっと待てwwwww絶対ウソwwwwwもっと上手な嘘つけよ今時マジモンの幼児でも騙されねーぞ流石にいかのおすし発動余裕ですわwwwww
とはいえ目の前のアカイシュウイチから発せられる謎のプレッシャーに俺は声を上げられないでいた。走って逃げたとてこのリーチの差では初動で捕らえられてしまうだろう。じ、とその男の顔を見上げて、俺は徐にサスペンダーの肩紐に括り付けられている防犯ブザーを外して、ゆっくりとそのピンを、引く。
びよよよよよとダミ声で泣き叫び始めた防犯ブザーを、そっと作っていた警視庁のちょうどヘリポートのあたりに横たえた。着陸。それからそろりそろりと後ろ歩きで距離を取って、男が動かないのを確認する。目が合ってしまった熊から逃げるときは目を逸らしてはいけないらしいからな。鋭い目を丸くして驚く不審者に向かって俺は右手の人差し指と中指を揃えて立てて、眉の前からピッと弾くように動かした。
「そえではじぶんはこえにて」
ペンよりも剣よりも幼児の防犯ブザーは強し。アディオス。
「…まさか、ここまでとはな…」
幼児の防犯意識の高さに驚いているらしい暫定不審者の方に背中を向けて、たっと水道の方に走り出す。そっちの方向には俺の心強い味方がいるのである。防犯ブザーの音を聞きつけたのかソニックブームが発動しそうなくらいの俊足で駆け付けた、パパ殿だ。いやそれ時速何キロだよ。お願いだから人間でいて。俺はスコップを持ったまま零に向かって両手を伸ばして、幼児ムーブをしながらその片足に小ジャンプで抱き着いた。
「れー!」
「一希!よかった…一体何が…」
零の五メートルくらいある膝下にぽてっとくっついた俺の尻を、零の褐色の手が支える。えなにこれかっった、脛はともかくふくらはぎが鋼のように固いのはなんでだろう。成人男性ってこれがデフォだっけ?幼児忘れちゃった。母親の腹にしがみつくニホンザルの赤ちゃんのように脛に抱き着いていると、困り果てたらしい零が俺をヒョイッと引っぺがして縦抱きにした。俺は目の前に現れた零の首にガバッと抱き着く。
「おっきいおいたんが!おっきいおいたんが!!」
そうなんだ!!赤井秀一と言うらしいおっきいおいたんがお前の友人を騙っていたいけな幼児に話しかけて来て!!小さいスコップでベルツリーおじさんの方を指し示す。俺が作っていた警視庁という抑止力も何の意味も成さなかったのでここはもう一つの警察組織である警察庁の力を見せてやってくれ。「おいたん…?」と不信感を爆発させてそちらに視線をやったらしい零の喉が震えた。
「えっ…ブフッ、お前…な、何をしているんだ、赤井…」
えっ、もしかして:マジの知り合い。赤井、と呼ばれた男の方を振り返ると、その人が俺が引いた防犯ブザーのピンを戻している所だった。零が俺を抱え直してベルツリーさんの方に歩み寄ると、赤井さんはふ、と目を伏せて笑った。
「…すまない、不用意だったな」
あ…心なしか落ち込んでる…なんか、ごめん…。子供に不審者認定されて哀愁を漂わせている物騒系ハンサムな赤井さんを、零がとっても愉快そうに笑い飛ばした。
「うちの子には黒ずくめのニット帽男に話し掛けられたら問答無用で防犯ブザーを鳴らすように教育してあるので」
「ホー、随分ピンポイントな教育だな」
「教育してあるので」じゃねーんだよと言いたいところだが、確かにそんなことを言い聞かせられた記憶はある。黒ずくめのニット帽男或いは黒ずくめの銀髪のロン毛男、もしくは桃髪メガネのハイネック糸目お兄さんに声を掛けられたら防犯ブザーという名の悲鳴を上げろと言われているのだ。けどそんなの頭からすっ飛んでも目の前の赤井さんの第一印象は通報待ったなしさんだった。というかむしろ不審者ビンゴ全抜きみたいな要素てんこもりだったので正直「そんな奴いねーだろ」と思っていた。一角に会っちゃったよ。
「一希、お水持ってきたよ…何か四角いけど、これなんだい?」
砂場の方に歩みを進めた零にそっと降ろされる。俺が手掛けた警視庁の横に、零がバケツを置いた。すりきり一杯、と言っても過言ではない水のなみなみっぷりに俺は目を瞬かせる。嘘でしょ?お前子供用とはいえ水入りのバケツ持ってソニックブーム起こしてたの?いや厳密には起きてないけどあの速さで駆けつけながらこのバケツに入った水を死守してきたの?遠心力とか慣性の法則とか無視した?パパ殿の人間卒業っぷりに慄きつつ、俺はバケツの水をスコップで少しだけすくって警視庁に掛けた。ここから形成の作業に入る。
「こえね、けーしちょ」
「警視庁…」
「警視庁…」
俺がそう素直に答えると、零と赤井さんがリピートアフターミーする。まあそりゃ砂場は主に砂の山か城か泥団子を作るための社交場ではあるのだが、砂場に警視庁を作ってはいけないという法律はない。顔を見合わせた二人が何やら長考し始めた。タイマーは必要だろうか。ふむ、と腕を組んだ赤井さんが胡乱げな様子で零に問いかける。
「降谷くん、防犯意識は高くて心強い限りだが…その、情操教育の方は大丈夫なのか?」
ちょっとそれどういう意味よ。砂のお城があるなら砂の警視庁があってもいいだろうが。しょりしょり、と真四角の砂オブジェから警視庁の緩やかなカーブを削り出す。最近見に行ってないけど数年前まで毎日出勤してたからね。真剣そのものでメスを入れる俺に笑いながら、零が横に「よいしょ」と腰掛けた。ジジ臭いぞ。
「はは、警視庁の形なんて教えた記憶はないんですけどね…」
ぶつくさ言いながら、聞き手じゃない方の降りてきてしまった腕まくりを直される。何だか父親が板についてきていて微笑ましい限りである。手が砂だらけなので利き手の方も直してもらいながら、俺は零に尋ねた。
「あかいたん、れーの、おともだち?」
「うーん…ざっくり言うとそうだよ」
ちょっと不本意そうなので子供への配慮が多少含まれているとみた。ざっくりし過ぎだろ。この調子だとこいつは過去検挙した犯罪者とかもおともだちだと紹介してきそうだ。素敵な交友関係だな昨日の敵は今日の友ってか。向こう側からは昨日の敵は今日の怨敵だと思われてそうだけど。いつか復讐とかされないといいな。飛躍した思考はさておいたところで、赤井さんも警視庁を囲むようにして膝を折った。
「明美と志保が君のジュニアに会ってみたいと言っていてな、良かったら食事でもどうかと思ったんだが…俺は嫌われてしまったかな?」
「はは、血は争えないということですね」
しれっとフォローにもなっていないような事を言う零に思わずチベスナ顔をしてしまう。ということはお前赤井さんのこと嫌いなんだな…。本当に子供の手前気を遣ったらしいが、割と穏やかに会話をしているし面と向かってそういう発言をしているあたり、どうやらもうそういう関係性ということで大体完成しているらしい。大人ってそういうところあるよね、わかる。別にこの人の方はそこまで零を嫌っている様子はないので少し不憫ではあるかもしれないな、なんて赤井さんを見ていると、一瞬目を丸くして、少しだけ俺の方に屈んで声を潜めた。
「…なぁカズキ、ここだけの話…俺はアメリカのおまわりさんでな」
アメリカの…おまわりさん、だと…?おずおずとその顔を見上げると、渋味のあるハンサムが悪戯っ子のような笑みを浮かべていてぴんとくる。あ、この人あれだ、一見とっつきにくいが子供の面倒を見る時に完全に監督側に回るのではなく、どちらかといえば一緒に楽しみつつさり気なく子供の安全を守る、見た目の怖さという一枚の壁を越えたあとはめっちゃ好かれる親戚のおじさん、尚お小遣いはいっぱいくれるタイプ。
ぱっと目の前の男の印象が変わる。アメリカのおまわりさんときたらクソざっくり言えば俺とも志を共にする仲間だ。だがアメリカのおまわりさんと一口に言われても保安官だの市警察だの州警察だの色々あるし、その他連邦政府関連の機関もあるしで日本より入り組んでいるように思える。ドラマなんかでよく見るのはFBIやらCIAやらだが、意外とこの人扉に向かって「開けろ!!デトロイト市警だ!!」と怒鳴り散らしているのも似合いそうだよな。まぁうちのパパ殿は開けろとかいう前にドアを粉砕しそうなんですけども。
「…えふびーあい?」
赤井さんに同じく小声で聞き返せば、ふとその目尻が僅かに下がった。幼児の頭なんて片手で掴めるだろう大きな手が俺の髪をくちゃりと乱す。
「そうだ、よく知っているな」
「ファ…しゅごいねえ…」
当ててしまった。ひえぇ本物のFBIだ…しゅごい…。刑事物の海外ドラマで何かと活躍している印象がある有名な調査機関。自分が犯罪者でなければ名前を聞いただけでワクワクしてしまう。これはお近付きになりたいものである。俺は座ったままじりじりと赤井さんの方に寄って、折り畳まれた長い足にくっつくように座る。
「あかいのおいたん、めんね?」
それから赤井さんの方を見上げて、首をちょっとだけ傾げて謝る。真摯な謝罪だ。可愛さこそ…真摯…だろ?「構わんよ」と狙い通り俺の頭を撫でながら、赤井さんがふと遠い目をした。赤井さん幼児の頭撫でるのが好きなのかな。
「…俺がおいたん…か…いや、そうだな…」
いや傷付くなよ。傷付いて噛み締めるなよ。恐らく年相応の呼び方したのにまるで俺が悪いみたいになってるじゃねーか。
「赤井が、おいたん、フ…ッ」
そこで笑っている零も、普段は俺が萩原や松田のことを「おじちゃん」と呼ぶように仕向けている。つまり他の幼児から見たらもれなくお前もおいたんである。悲しいかな、三十代越えたら男の年齢なんてどんぐりの背比べに他ならないのだ。俺はふ、と目を伏せて、警視庁の建設工事に戻った。
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