「うわ…ちっちぇ…何この手…」
人差し指と親指でぷに、と掌を挟まれる。大人の男の節くれ立った指だ。けど零とは違う白くて傷のない指だった。さすが爆弾処理という繊細さを必要とする作業を生業にしているだけある。マジシャンとかピアニストに近いのかな。
「ちっちゃすぎてサイズ感分かんねぇな…横に煙草並べていいか?」
俺の顔をのぞき込んできたグラサンに俺のキューティフェイスが映る。駄目に決まってんだろ。流石にそういうわけにも行かずじっと目の前の二人の男を眺めていると、零の横槍が入った。
「駄目に決まってるだろ、魚じゃないんだ」
魚釣ったあと写真でも大きさが分かるように隣にタバコ置くおじさんじゃねーか。やめろ誤飲したらどうすんだよ。因みにタバコを吸うことをタバコをのむって表現することあるよな。幼児に配慮した表現かな。へぇへぇ、なんて気の抜けた返事をする天然パーマの男が肩を竦めた。
警察庁警備局警備企画課、降谷零。俺の元カレもとい父親は、どうやら何らかの大きな事件を片付けてバリバリ昇進したようだった。俺達の前から姿を消した零は、当然と言えば当然だが、そうしなければならない理由があったようだった。捜一のヤマに公安がしゃしゃって鳶に油揚げ、なんてことは俺が現役のときも何度かあった。そういう部署があるということは勿論誰でも知っているのだから、突然恋人や同期に居なくなられて少しも調べない俺ではない。
降谷零、並びに諸伏景光は、確実にデータベースから名前を消されていた。つまり、彼らは警察官としての生活を送っていなかった。当時は警察を辞めたのかと思っていたが、有り体に言えば潜入捜査官だった、ということだろう。そんな任務に当たる必要のある事件が解決したということは、それなりの大手柄であると言える。対する俺は二階級特進で草も生えないんだけど。けど一応昇進ですからねぇ。
まぁそんなこんなで潜入捜査官としての職務を終えた零は昇進してまあまあの地位に落ち着いたらしく、もう余り前線には出ていないようだった。だからなのか今では元々の交友関係の範囲内の人間たちとも連絡を取っているらしく、家に招いたり食事をしたり、なんてことも出来るようになったらしい。よかったな。俺もあとちょっと生き延びていればこの中にいられたのかと思うとしょっぱい気持ちである。
家のラグにあんよを伸ばしてテディベア座りした俺を、屈んでも尚デカイ男共が身体を寄せ合って眺めている。まあまあの圧があって怖いっちゃ怖いしこれが公園や路上だったら明らかに助けを求めているだろうが、その二つともが知っている顔だからか多少マシではある。後ろから少し心配そうに様子を伺っている零が、まず少し髪の長い男の顔を指した。
「一希、こっちが研二おじちゃん」
「研二 お に い ちゃんでーす!チビちゃん覚えてる?」
こいつは同期の萩原研二である。たりめーだろお前主催の合コンに何度巻き込まれたと思ってんだ三輪車買って詫びろ。次に零が天然パーマのサングラス男を紹介した。
「…こっちが陣平おじちゃんだ」
「陣平 お に い ちゃんだ、でかくなったな」
こっちは同じく同期の松田陣平である。嘘つけさっき俺の横に煙草並べようとしてたくせに。屋内ではサングラス外せや。
坂下としては二人それぞれに思うところはあるものの、一希からしてみれば初対面、実際は生後数日の頃に病院に顔を見に来た時以来の顔合わせ。つまり、物心というか降谷一希に坂下勇太としての意識が芽生えてからは初めての邂逅だった。懐かしい顔だ、俺が死ぬ前に最後に飯食ったときと殆ど何も変わっていない。アンチエイジングの秘訣を聞きたいところだった。
「けんち!ちんぺ…じゅ、ぎん…ぺ????」
キューティ幼児に名前呼ばれたらお前らも狂喜乱舞だろ、と言わんばかりに名前を呼ぶ、が、えウソ…「じんぺい」ムッズ…幼児には無理な発音では…?松田の背後で崩れ落ちた萩原はスルーしつつ自分の舌の短さに絶望しながら松田のサングラスを見上げると、じっと俺を真っ直ぐ見つめ返していた松田がふっと顔を綻ばせて徐ろにサングラスを外す。それから自分の顔を指差して口を開いた。ゆっくりとその唇が動く。
「ま、つ、だ」
「!」
ウッソ松田お前「言えてねーよ!」って指差してゲラゲラ笑う事くらいはすると思ってたよ。松田の印象が対坂下勇太で止まっているから仕方ないことではあるのだが。自分の表情がうっかりぱあっと明るくなったのを感じる。この一見組対ですよ、みたいな見た目で幼児の滑舌に優しいのはポイントが高すぎる。俺は松田のご厚意に甘えて、にっこり笑って目の前の男の名前を呼んだ。
「まちゅだ!」
よし、及第点。目を細めて笑った松田が、俺の頭をわしわしと撫でる。奇しくも生前の呼び方と一緒だった。
萩原のコミュ力はハチャメチャに高い。ある領域以上になるとそれは女子にしか適用されないが、まぁそれを踏まえてもそもそものコミュ力が高いので基本的誰とも卒無く仲良くなれるタイプである。対して松田は初対面の奴にはまずマウント取りに行くためガンを飛ばすとかいう野性味溢れた男。俺も最初はチラ見からのガン無視のコンボを喰らわされたので多分あれがデフォルトなんだろう。零なんて初手殴り合ってたからな、野生動物同士のコミュニケーションの取り方は分からん。
俺がぺかぺかと満面の笑みで松田を見ていると、松田の手がくしゃくしゃになった俺の髪を整えた。同期だった頃も最初の威嚇期を乗り越えれば以外に取っ付きやすい良い奴だったな、なんて思いつつされるがままにしていると、松田が微笑ましげに俺を見下ろしている。緩んだその顔をじっと見上げていると、松田が一瞬目を伏せてから零ほか大人達に言った。
「うし、俺まちゅだで良いわ」
「まちゅだしゅきー!」
ひしっ、とそのしゃがんで折り畳まれた脚にしがみつく。く、と喉の奥で笑った松田が、俺を抱き抱えてから座り直して、胡座をかいた真ん中に降ろされた。マジで松田幼児的好感度高いわ。こいつも俺と会わなかったというか俺が死んでた数年間で丸くなったんだな、と納得してしまう。前は抜き身のナイフみたいな奴だったしな…そういや警視総監は殴れたんだろうか。そんなことを考えながら、俺は松田の腹に背中をくっつけた。でかくて背凭れに丁度いい。
「え、嘘、なんで仲良くなってんの?」
「ぅおぉ…」
ぬ、と萩原が俺の顔を覗き込んできて、思わずぴと、と松田に引っ付いた。だからでかいんだって、知ってる顔なのと整っている顔だからギリセーフなだけだから。美形の真顔怖いから。正真正銘初対面の幼児だったら泣くかもしれんぞ。背中側の煙草臭い服をきゅっと握った俺の様子を見かねて、松田が俺の丸い頬をぷにぷにと弄んだ。
「男でよかったなチビ、女だったらコイツに唾付けられてたぜ」
「コラ松田」
すっと萩原がジト目で松田を睨み付ける。えっ、まさかお前…女の子といえどそんなにストライクゾーン広くない…よね…?ロリは範囲外だよな…?これからも零と萩原松田はズッ友だと思ってたので俺が幼稚園とか入学したら行事に呼んでもらおうと思ってたんだけど…ロリが範囲内なら呼べないな…?えっでもさすがにロリは大丈夫…だよな…?"願い"を込めてじっと見上げると、萩原は懐中電灯で照らされた泥棒のように顔を逸した。
「うわっ!曇りのない眼!」
「けんちぃ?」
曇りのない眼が痛いってことはお前そういうことなのか?幼児姿の手前その辺りを詳しく聞けない俺を他所に、あっけらかんとした様子の萩原はやれやれといった様子でゆっくり立ち上がった。やれやれはこっちなんだよ。
「ったく、じゃあ俺も奥の手出しますかぁ…」
ふ、と笑った萩原が俺の頭をするりと一撫でして玄関に向かって行った。奥の手、と言ったか。まさかそのまましらばっくれて帰るんじゃなかろうかと萩原のいなくなった方を眺めていると、予想に反してすぐに戻ってきた。小脇に抱えているのは、俺一人入りそうなくらいのラッピングが施された、おそらくプレゼント。
「ほい、チビちゃん開けてみ?」
ぽすん、と大きさの割に軽い袋が松田の膝に立て掛けられる。萩原が俺にその大袋のリボンを解くように促すので、素直に袋を脚で挟んでリボンを引っ張って、それから袋の口を開いた。中から覗いていたのは茶色い顔のぬいぐるみ。お、おぉ、こいつは俺の心の友!
「ぱん!!!」
「パ、ン…?」
マイスイートアンパンマンではないか!俺のアンパンマンの呼び方に絶句する松田は一旦置いておこう。いやこの正義の食用ヒーローは意外と馬鹿に出来なくて、話の内容なんかは大人の俺から見てもたまにうるっときてしまうこともあるのである。あとなんか世界観がすっごい平和なので米花町もこんなふうに平和にならないかなって…いや嘘絶対無理だわ。とにかく降谷一希くんのマイブームはアンパンマンである。
「これ、チビちゃんにあげる」
ずる、と萩原が包装からぬいぐるみを引っ張り出す。うっすら毛の生えたふわふわもこもこな素材のパンと言われると某ルンルンの餌食になっているのかと思われるかもしれないが、これがなかなかどうして触り心地がいい。本人も元気百倍な笑顔でいるのだからパンがパイル地でもいいってことである。萩原の手からぬいぐるみを受け取って、ドキドキしながらぎゅむっと抱き着いた。こ、このパン俺よりでかくない…?
「かじゅのぱん…?」
「パンって…まぁうん、そだよ、その代わり研二にいちゃんとも仲良くしてくれるか?」
萩原…お前…。幼児知ってる、これ結構な値段するやつだし、零が俺に買おうとして、でもきっとママさんに怒られるだろうからって諦めてたやつだ…。他所の子を甘やかしやがって…ありがとう大切にする。毎日一緒に寝る。感謝の意を表明しようと、俺は左腕でパンの腰を抱いて、もう片方の手を萩原に伸ばした。
「けんちもしゅき…」
意気揚々と萩原が俺を抱き上げる。俺とぬいぐるみを一緒くたに膝に乗せた萩原は、やっぱり松田より少し身体が大きい、いや今の俺からしてみたらどっちもどっちだ。ただ座った感じ筋肉量が多そうなのは松田かもしれない。座り心地を確かめていると、萩原が得意げに笑って俺の頭に手を乗せた。
「悪いなまちゅだ、俺がいいってよ」
ちょっとまって何の挑発?俺はどっちが良いとかそういう話をした訳ではないんだけど…?萩原の言葉に僅かに不服そうにした松田は、それでもすぐに調子を取り戻す。
「最後は俺んところ戻ってくっからいいぜ、けんちぃ」
やめろ。ちょっとした三角関係みたいにすんのやめろ。俺罪作りな幼児になっちゃってるんだけど。それまで静観という名の撮影に徹していた零がふっと笑って前髪を掻き上げた。いやな予感がする。
「残念だったな、本命は僕だ」
角の数を増やすのをやめろ、とツッコミを入れたいのをぬいぐるみを抱きしめる事でやり過ごす。俺の年齢でそんな的確なツッコミをしたら飛び級でお笑い養成学校に入れられてしまう。しかも本命だったのはマジなので思わずチベスナ顔である。三十路男達の悪ノリなんて露知らず、ママさんがキッチンからお茶と茶菓子をもって来た。お盆の上からこちらに視線を向けたママさんは、俺の腕の中のパンを見て目を輝かせる。かわいかろ?ドヤ顔でぬいぐるみに抱き着くと、ママさんは素早くテーブルにお盆を置いてから携帯を取り出した。彼女のカメラ機能全振り端末が火を噴く。
「えっうそ何!?かわいい!!買ってきてくださったんですか!?気遣わせちゃってすみませんほんと、ありがとうございます…!」
「いーえいえ、勝手にしたことだから」
そう言いながらもシャッターを切る指が止まらないママさんに一瞬萩原が戸惑いつつひらひらと手を振った。ママさんの反応が思っていたより好意的で、零が目を見開いて硬直している。残念だったな零、萩原に先を越されたのもそうだけど、実はママさんもこのパンの隠れファンだぜ。はっと我に帰った零は、ママさんに詰め寄りながらさり気なく手元の携帯を気にしていた。俺の写りを確認するな。
「違う、あいつは幼気な子供を物で釣ってるだけなんだ…!」
「こいつ女に対してもこうだから騙されんなよ奥さん」
「えっ、それはちょっと…」
「ひっど!」
我が母ながら華麗な掌返しである、掌返し三段くらいは取得してそう。大人達からの大バッシングにぴえんと鳴きながら、萩原は俺の頭に頬擦りするように抱き締めた。三十路、くれぐれも無理だけはするな。
「チビちゃん…俺の味方はチビちゃんだけだよ…」
まったく、仲良くしなさいよと思いながら好き勝手させる。これが奴らの悪ノリだということは嫌というほど分かっているが参加したくなってしまうので切実にやめて頂きたい。いや元はといえば俺が先に松田を贔屓したせい…なのか…?仕方ない、孤軍奮闘の萩原の肩を持ってやるか。おれはぬいぐるみを抱え直して萩原の胸筋にこつんと頭を預けた。
「ぱんもね、けんちのこと、しゅきって」
だから元気出せよ萩原。ぬいぐるみを後ろから抱き込むようにして両腕を持って、裏声で「けんちぃ〜」と言いながら萩原にくっつく。くらえ!いたいけ幼児アタック!こりゃあ正直決まったわと思って俺もパンの後ろから萩原に抱き着く。が、反応がない。よもやスベったかと恐る恐る顔を上げると、萩原は両手で顔を覆って、松田は天を仰いで、零は某栽培宇宙人の爆破攻撃を受けたようにラグにぶっ倒れていた。ママさんは流石というべきか動画撮影中らしく微動だにしない。決まった通り越して会心の一撃だったらしい。すぅ…と萩原が深く息を吸って、顔を覆っていた手で俺をぎゅむっと抱き締めた。
「この子達持って帰ってもいい?」
「「「駄目」」」
だから駄目に決まってんだろ。いくら俺が可愛いといえど。
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