ぐっとそいつの腕を引っ張る。迫って来るトラック、叫ぶ後輩、目を見開いて俺の顔を見つめる同期、そいつと入れ替わるようにトラックの進行方向に放り出される、俺の身体。
ここで一つ弁解させてほしい。俺は決して自ら望んでトラックの前に飛び出したわけではない、断じて。何ならトラックの前に飛び出してしまった同期の伊達を引っ張って危ないだろ注意しろ!なんて説教かましてやるつもりだった。なのに大きな誤算が一つ、伊達が俺よりめっちゃ体格いい。
つまり引っ張るだけじゃびくともせず、ハンマー投げの要領で勢いを付けて腕を引いた、というか俺の後ろの歩道にぶん投げるように力を込めた。瞬間に足が絡まってたたらを踏んで、なんと反動で俺が道路にオンザしてしまったのである。あ、ヤバ死ぬ、これ死ぬ絶対死ぬ、迫り来るトラックから目が離せずに、けどなんかもはや一周回ってハイになってしまった俺は、つい語尾に草を生やしてしまった。
「あやっべこれミスッwwwww」
た。草通り越して花咲いた瞬間全身に襲い掛かる衝撃。そのまま俺は、恐らくコンクリの壁とトラックの鼻先でサンドイッチのようにプレスされた。分からない、推測だ。全身の感覚がシャットアウトされて痛みも何も感じないので判断のしようがない。ただ途方もない息苦しさと「あ、これ助からねーわ」というのをぼんやり感じるだけである。助からないわ、分かる。此方に迫ってきていたトラックのスピードからしてマジでヤバかったし。あと運転手が真下を向いていたので余所見か居眠りだ。そういう場合、ブレーキを踏まれるケースはほぼないと言っていい。一思いにやってくれやがって。
「…坂下…?…──坂下ッ!!」
「坂下さん!」
伊達と高木の声が俺を呼ぶ。聞こえるのがすごい。触覚、もとい痛覚は完全にお陀仏で、視覚はちょっと暗いけれどギリギリ、けれど流石に聴覚は死んでからも少し働いている、とまで言われるだけある。つえーな。「救急車呼んだからな!」と必死の様相で叫ぶ伊達の声に、それ着くの俺が死ぬのとどっちが早いかななんて考えながら「さんきゅ」と返事をした。あ、でる、声が出る。なるほど、お喋り大好きな俺に与えられた、死ぬまでのボーナスタイムらしい。
「だて、たかぎ」
「!いい、喋るな!」
いや喋るわ、めっちゃ喋るわこれから死ぬんやぞ。遺言くらい伝えさせろ。どこからかやってきた強烈な眠気と戦いながら、もう一度「だて」と彼を呼ぶ。多分高木の啜り泣きが聞こえる。いや高木それまだ早い俺が死んでからやって、死ぬまで待って。思わず口角が上がってしまって、いや不謹慎かなって思い直した。でも主催っていうか死ぬ俺が無礼講だって言えば無礼講か。
「きにすんな、いい」
「…っ、馬鹿か!」
伊達の心に傷になりたくない、そんな思いだけで、せめてどうにか足りない語彙を振り絞ってそう言った。でも気にするだろうな、人一倍責任感の強いこの男のことだ。というか、警察官なんてだいたい皆責任感の塊みたいな奴等だったわ。あぁ、こんな時にはお世話になった皆さん一人一人に対して卒業式よろしく贈る言葉と色紙をお渡ししたい所だった。特に今の捜一の仲間と、あと厳選して俺らの代の鬼塚教場の、俺と同じ伊達班のヤンチャ共にも。
「みんな、ごめん」
寒い、寒くなってきた。元々寒い季節だけど、それに加えて身体の芯から冷えていくような感覚だ。どうやら救急車より別のお迎えが先らしい。あーこれいよいよ死ぬわなんて思いつつ、それなら一人、どうにか一人にだけなんとか伝えてくれたらいいなと、俺は喉を振り絞った。
「れぇに、ぉれのこと、わすれろ、て、つたえて」
零。降谷零。
恋人だった。いやまだ多分ギリ恋人だ。と言ってもここ数ヶ月、下手したら数年音信不通になってて草。伝えるまでもなく、もう忘れられてるかもしれない。そうだったら伊達の手間が省けて良いんだろうけど。というかそんなの伝えてもらったらメンタル的に万が一にも生き残れないんだけどこの百円の小切手には戻れないんだけど。
「…おい、何言ってんだお前…!」
伊達の悲痛な声。もちろん俺の言葉の意味が分からんとか思ったより声が出てないという意味かもしれないけれど、こいつのことだから「縁起でもねぇこと言うな」という意味だろう。いや無理だってもう死ぬってこれ。でも縁起悪くてごめん。
伊達、結婚するんだろ。いやまだプロポーズはしてないって言ってたからもしかしたら断られる可能性もあるけどここまで長いこと付き合って結婚断られるなら多分もっと前に振られてると思うし、もし万が一伊達のプロポーズが超絶悲惨なプランだったら断られる可能性もあるけど、まぁでもナタリーちゃんは例えフラッシュモブされても断らないだろう。要するにゴールインだ。つまりなんだ、俺はこいつを死なせる訳にはいかないのである。だって、俺の予定は未定、な幸せよりすぐそこの未来で幸せを掴む伊達に、生きてて欲しいと思ったから。
もちろん俺だって死ななくて済むのなら生きていたいに決まっている。けど、けどだ。結婚式には呼べよ、なんて茶化して話していた奴に目の前で死なれてその後のほほんと生きていられるほど俺は図太くないし、それを背負ってこれから生きていこうと思えるほど強くもない。俺はマンボウと同じくらい繊細で弱い。だったら幸せになってほしいと思ってしまうのだ、例えそこに俺がいなくとも。
なんてかっこいいことを言っても、実際は何も考えず身体が勝手に動いてしまっただけである。頭も一緒に使えたらもっとうまく助けられたかもしれないのにね。でもせめて遺影だけでも結婚式に参列させてほしい。遺影でイエーイってするし何ならポルターガイスト現象でライスシャワーすっからぜってぇ呼んでくれよな。
「坂下…!おい、しっかりしろ…!」
伊達が叫んでいる。ごめんだけどパトカーの車種が実はトヨタのクラウンだということを知ってウワーすごーい高級車乗りたーい!なんていうアホみたいな理由であんなに厳しい警察学校をクリアしたような俺が人生でしっかりしていた瞬間なんて多分一瞬もないと思う。「ごめんな…」と自分のぱっぱらぱーさを謝罪しつつ、俺はせめて死に顔だけはしっかりしたい一心でゆっくりと目を閉じた。写真に写る時と死ぬ時は半目になりたくなかった。
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