「作ってきたんだ…その、弁当なんだけど…」
そう言って、零が鞄から取り出したのは、ちょっとした重箱くらいの大きさの弁当箱。大きめのバンダナのような布で包まれたそれは二段分くらいありそうだ。柄は俺は驚いて零の顔と弁当箱を見比べて、それから情けない声を上げて喜んだ。
「えっっ!?マジで!?うわ、うわうわ、えっありがと…うわすっご…え〜、すごいな、ありがとう」
「うわ」と「すごい」と「ありがとう」以外の語彙が消し飛んだ俺に目を丸くした零が、少し頬を染めて一つ咳払いをする。照れてる。なんかちょっとかわいい。じ、とその照れ顔を見つめてしまうと、零は居心地悪そうに視線を横に滑らせた。
今日は零と公園デートだ。大学生の男二人で何をと思われるかもしれないが、これが意外と馬鹿にできない。平日の授業の合間に来たので人が少ないし、何よりこの公園に設置されているアスレチックが、子供騙しかと思いきや意外と俺達でも楽しめる代物だった。春先とはいえ、まだ少しだけ寒い。ロープやチェーンなど不安定な足場のアスレチックの下に陣取る水溜りに落っこちる訳にもいかない丁度いいプレッシャーゲームだった。
「喜ぶかどうかは中身を見てからにしてくれ」
「えぇ?なんで」
そう言うなら、と俺は遠慮なく弁当の包みに手を掛ける。中を覗くと、一段目には小さなおにぎりが二列に整列していた。鮭わかめと豆ご飯の、少し不格好なおにぎりがそれぞれ一列ある。うまそう。ぱかっと二段目の弁当箱の蓋を開けた瞬間、なるほど、と納得する。
唐揚げ、小さなハンバーグ、煮物、きんぴらごぼう、エビフライ。子供が好きなおかずランキングを上からぶっ込みました!みたいな中身だ。そしてそのメンバーからやはりというべきか、色合いが…こう…。顔を上げて零を見遣ると、驚くほど真剣な顔をして俺の反応を伺っていた。その様子に思わずふっと笑ってしまったので、誤魔化すように親指を立てて持論を展開する。
「…茶色い弁当はうまい、これは俺んちの家訓だ」
「…なんだそれ」
呆れたように半目でこちらを見る零は、けれど少し照れ臭そうだった。いやでもこれは本当の事で、大抵揚げ物は表面が茶色いし、肉系も表面が茶色い。二大シンプルにうまいものが背負う宿命である。故に弁当におけるミニトマトやレタスやきゅうりなどの彩りが不可欠になるのだが、零の頭からはその辺のことがすっかり抜けてしまっていたらしいり彩りが煮物の人参とエビフライの尻尾しかない。色々通り越して最早愛おしさすら湧いてくる。
「ヒロと練習したんだ、僕は…その、料理が得意じゃないから…けど本番は一人で、気付いたらこんな色合いに…ごめん」
「は!?そもそも作ろうとしたのがすごいから!マジでありがとう!」
「ど、どういたしまして…食べてくれ」
普通に俺は昼飯のことまで気が回らなかったし何ならその辺で食おうと思ってた。しょぼん、と肩を落とした零に思わず身を乗り出すと、少し照れたように手に割り箸を握らされる。一人で作ったのかぁ、なんて感心して弁当を眺めていると、零がそわそわと何度か座り直す。それに急かされるように箸を割って、エビフライを一尾摘み上げた。いただきますと言ってからもぐ、と噛み付くと、口の中に刺さりそうなほどサクサクの衣の中から張りのある海老の身が弾る。
「うわ!うま!」
じゅわ、と広がる海老の香り。思わずなんの芸もない賛辞をぶん投げてしまうと、それが心の底からのものだと通じたのか、零が仕方なさそうに笑った。
「そうか、よかった」
ほわ、と柔らかく笑った零が、鞄から徐に何かを取り出す。姿を表したのはデザートが入っているだろうサイズのタッパーだった。
「あと、こっちは入りきらなかったポテトサラダ」
「ンッフフwwwwwお前それはwwwww」
おかしいだろデザートだと思うだろ。一緒に入れろよ。おかず厳選してこいよ。そしたら彩りももう少しなんとかなったはずだろ。謎に笑いのツボに入ってしまって肩を震わせていると、むっと唇をへの字にした零にタッパーを押し付けられる。笑いを押し殺しながらなんとか蓋を開けると、中からほぼ液状のポテトサラダが姿を現した。
「しかもほぼマヨネーズなんですけどwwwww」
「嫌なら食べなくていい」
顔を真っ赤にして不満全開でタッパーに手を掛ける零を笑いながら制する。これパンに塗ってトーストしたらうまいんじゃないかな、知らんけど。ヒイ、と呼吸を整えながら、震える声で反論した。
「ンッwwwいやいやなんでよ、俺マヨネーズ好きじゃん?」
「初めて知ったしこれはマヨネーズじゃなくてポテトサラダなんだが?」
「すみませんでした」
素直に謝罪する俺の肩にドス、とグーが撃ち込まれる。本人的には軽めのつもりなんだろうが普通に明日痣になるだろうな。タッパーを抱えたまま、ポテトサラダを箸で掬う。零の熱視線が顔に突き刺さる中、俺はそのまま箸を口に運んだ。ポテトサラダの食感かと言われたら微妙だが、味自体は悪くないと思う。
「なんだ、うまいわ」
「エビフライより反応が鈍いぞ」
「欲しがりかよ」
もう一口ポテトサラダを貪りながら思わず半目で笑ってしまうと、零がすん、と表情を落として唐揚げを一口で頬張った。結構大きいけど大丈夫か。もちゃりとしたポテトサラダをまた大きめに口に放り込む。余ったやつをグラタンとかにしてもうまそうだ。そんな事を考えていたら、まあまあの量のポテトサラダが半分くらい俺の口に収まっていた、タッパーかそろそろ空だ。見た目はアレだが致命的に何かがまずいわけではない。
「零、料理苦手って言ってたじゃん?思ったよりうまく、て…ぇ」
すっと箸で摘んだポテトサラダに視線を落とす。その瞬間、俺の瞳は見てはいけないものをバッチリと捉えてしまった。動揺のあまり一瞬呼吸の仕方を忘れて喉が「ヒュオ」という変な音を立てる。あっいけないおしゃべりの最中だったよな!いけないいけない!
「俺死ぬかも…」
「も、もう、大袈裟だな坂下は…」
唇を尖らせてそっと目を逸らした零。照れているのか少し顔も赤い。あ〜かわいいな!突然ですがここで一曲!それでは聞いてください!目が逢う瞬間!
(じゃがいもの)芽と(俺の)目が合う〜瞬間好きだと気付いた〜!
マヨネーズの隙間から覗いた小さな若葉の原型に、ぶわっと全身が総毛立つのを感じた。やっbbbbbばいこれあっもしかして今まで食ってたじゃがいもからもすくすく育ってた系…?えっ…その割に美味しかったぁ!じゃねぇんだよ馬鹿野郎。えっ死ぬ。死ぬのでは?
じゃがいもの芽には毒になりうる成分が含まれている、というのは広く知られている話である。芋自体にはそういった作用はない(芋本体が緑色に変色しているものは例外だ)が、芽だけは別だ。生えてきてしまったら包丁の角とかピーラーの刃の横の丸い突起なんかでえぐり取って調理に使うのがベスト。ベストっていうかそうしないとダメ。
けれど味は好みなので「うまい…えっ…うまいんだけど…」と呟いてもぐもぐしてしまう。あれかな、毒のある花ほど良い匂いがするとかそういうあれかもしれない。そう思っていると、恥ずかしそうに押し黙っていた零が突然立ち上がった。
「坂下、僕飲み物買ってくるけど、何か飲むか?」
「あ、悪い、じゃあ暖かいお茶…」
「ん」
零が真っ赤な顔をぱたぱたと手で顔を扇ぎながら立ち上がって、売店の方に歩いていった。はぁ?意味分からんかわいい今ので全て許した。その背中を見送って、俺はそっと携帯を取り出す。検索窓を開いて、ぽちぽちと「じゃがいもの芽」と打ち込む。ものの一瞬で画面がじゃがいもの毒素情報に染まって俺は白目をむきそうになった。がんばれ坂下、気をしっかり。
じゃがいもに含まれる毒素はソラニンとチャコニン。へ〜かわいい名前だな。芽が出ているものだとじゃがいも一つか二つで食中毒の症状が出ることもある。因みに重症の場合自分で治す方法はないので病院に…ふむふむ。そのまま、電話帳を開いて同期生の諸伏に電話を掛けた。
「もしもし?どうした?」
「あっ諸伏?お前さ、零にギター教えるついでにじゃがいもの芽の危険性についても教えといてくんね?よろしく、じゃあな!」
「えっ坂下だよな?それどういうこ」
ぶち、と諸伏への電話を切る。頼むぜ、俺の意志を継ぐ者よ…。いやでも多分俺が食べたくらいの量ならまぁきっと問題は。
「あれ?ポテトサラダは?」
零の声で思考の波から引き戻される。はっと我にかえって手元に視線を下ろすと俺はいつの間にか空のタッパーを箸で探っていた。
「あっウソ…全部食べた、ヤバ…」
ヤバ。調べものに熱中している間にぽんぽん口に放り込んでしまっていたらしい。何か食べていないと落ち着かないなんて俺の心はデブなんだろうか。ヤバい本格的に死ぬ。さっと全身から血の気が引いたのを感じて、俺は縋るように零を見上げた。いやでも、こいつが作ったのにこいつに縋るのもおかしな話である。しかもこの男はじゃがいもの芽の危険性を知らない、若しくはじゃがいもの芽の処理の仕方を知らない。頼るべきは救急車か諸伏である。そっとスマホに視線を向けようとした俺は、零が腕を組んで息を吐いたのでそちらに注意を向けた。
「…もう、僕の分もあったんだけど?」
満更でもなさそうに片眉を上げた零の声色が弾んでいる。「仕方ないな」と笑った零が頬を染めて、それから嬉しそうに目を細めたのを見て、俺はそっとスマホを横に置いてタッパーの蓋を閉めた。まぁ、多分全部が全部芽が出たじゃがいもってわけじゃないだろうし、ヤバかったら講義が終わったあとに病院に行こう。
数時間後、生死の境を彷徨うレベルでめちゃくちゃに腹を下した俺は零に病院に担ぎこまれて、謎の電話にブチ切れて駆け付けた諸伏からベットに正座させられて滾々と説教を受けていた。どうやら使われていたじゃがいもは尽く発芽していたっぽい。俺のくじ運の強さがこんな時に仇となるとは思わなかった。
これだけは言っておくが、ポイズンクッキングは実在するからみんな気を付けてね。ほんとに駄目だからキノコ狩りとか山菜採りも素人だけで行っちゃ駄目だからねあとフグを調理するのには免許がいるからね。とりあえず零は今後暫く誰かの立ち会いがないと料理を作らせて貰えないことになったらしく落ち込んでいた。
これは、坂下勇太の「降谷零メシマズ事件簿」より抜粋された一ページである。
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