気を取り直して降谷邸リビング。ラグにぺたんと座る俺と、その横に伏せをするハロさん、俺を挟んでハロさんの隣に座るママさん、そして正座させられている諸伏と、そのスタンドの如く諸伏の背後に仁王立ちしている零、略して背後零。俺はチョロくなんてないのでもうしばらく諸伏に抱っこされてやらないのである。もふ、と俺が伸ばした指先がハロさんの真っ白い毛並みに埋まった。ウヒィ何このフワフワ、たまんねぇなオイ。
そもそも何でハロさんと諸伏がうちにやって来たのかと言うと、それは零と諸伏が潜入捜査をしていた頃にまで遡る。まず零が潜入捜査官時代、通りすがりの野良犬だったハロさんのお眼鏡にかなって大層懐かれたそうだ。それこそ外で遭遇したら家についてきてしまうくらいに。それで、零は結局その犬を拾ってハロという名前を付けた。それで結婚して、俺が生まれるまでは家で飼っていたらしい。
だが俺が生まれるとなると、という話になった。賢くて大人しいハロさんが赤ん坊に危害を加えるとは思えないけれど、身重になったママさんが毎日犬の世話をするのは大変になる。しかもハロさんは零と一緒にランニングでお散歩出来るフィジカルとスタミナの持ち主。いやちょっとそこは零の身体能力がバグってるんだよな犬とランニングでお散歩するってなんだよ。月一ペースで「人間やめるな」って言ってる気がするんだけど今は置いておこう。
そこで手を上げたのが零の同期の諸伏だった。理由は知らんが隠居生活(?)を送っていたらしい諸伏ならハロさんのお世話もできるし、なんなら一人身が寂しかったらしく両手を挙げて里親に名乗り出たそうだ。それならと降谷夫妻は諸伏にハロさんを預けて、この度俺がそこそこ大きくなったので引き取ることに決めたらしい。俺自体が幼児にしてはあまり手が掛からないのも決め手だった。動物との関わりは子供の情操教育にも良いらしいしな。
「あー、それで一希、こっちはヒロ…なんだが………」
俺がハロさんに夢中になってしまったせいでここに来てやっと紹介された諸伏。いや俺は元々知ってはいたんだが。じと、とその顔を眺めていると、ちょっと居心地悪そうにした諸伏が零に発言の続きを促した。
「………その沈黙、なんか理由あるの?」
ちょっとした不穏な間に諸伏が苦笑する。ううん、と少し考えた様子の零は、別に俺に諸伏を紹介するのを躊躇っていた訳ではないらしい。顎に手をやっていた零が俺の様子を伺うように視線を下げた。一体何だと言うんだろう。
「いや、ヒロ…なんだが、どうする?ヒロとハロだと似てるし、一希が混乱しないか?」
なるほど、俺への配慮だったらしい。そう言われて見れば名前の半分は同じだ。と言っても元々が二文字なので何とも言えない部分もあるというのが本音。幼児さすがに二文字ずつなら覚えられるんだわ。言えたもんじゃないが元々三分の二は旧知だし。けれど諸伏も指で自分の顎髭をなぞりながら言った。
「確かに…あっ、そう言うお前もゼロだしな…ヒロ、ゼロ、ハロだな」
「ひお、でお、はお」
「わんっ!」
覚えられるよ、という意味で口に出しながらそれぞれの顔を見比べる。返事してくれたのがハロさんだけだったので少ししゅんとしていると、ハロさんが俺の隣にちょこんと座ってこちらを見上げてきた。あ!なるほど!可愛いってこういうことかぁ!唐突に"理解"して横からハロさんを優しく抱き締めると、まふ、と身体が真っ白い毛並みに埋まる。
「ふふ、もうなかよしさんなの?」
「うん…」
ママさんの小さな問い掛けに、俺も小さな声で返す。命あったかい…とこの世の真理に気が付いた俺の頭をママさんの手が優しく撫でた。うっかり寝ちゃいそうだ。男二人の方はまだ何やら試行錯誤しているようで、俺の視界の端でスッと表情を落とした零が諸伏の肩に両手を乗せた。
「やめろその名を口にするなパパ呼びが遠のく可能性がある」
パパ呼びは遠退くほど近くにないから安心してほしい。零からの圧を全く気にした様子のない諸伏が「あ」と破顔した。お前本当それ俺や萩原だったら気絶してるし松田だったら殴り合い始まってると思うよ、伊達は多分笑って受け流せると思うけど。俺の腕の中でハロさんが前足を上げたので、俺は誘われるように掌を差し出した。ぽん、と置かれたのは肉球だ。は、ハロの兄貴…光栄です…。
「じゃあ俺はヒロにいちゃんでどうかな?俺兄ちゃんしかいないし、ちょっと憧れてたんだよな」
「はろにいたん…」
「アッ、俺どうすればいい?」
くて、とハロさんによりかかる俺に、諸伏の目から光が失われる。ハロに負けた。と切迫した顔で零を見上げる諸伏に、零が非常にいたましいものを見るような目を向けた。
「すまん…多分僕が余計な事を言った」
ハロさんが俺より年上っていう件な。確かにそれが無かったら普通に「ハロ」って呼んでたしタメ口ぶちかましてたわ。ウキウキとハロさんをガン見する俺に、ママさんがほっこりしながら言った。
「一希、ヒロおにいちゃんのこと覚えてるかな?」
その質問に、俺は顔を上げる。俺が物心ついてから諸伏とあった記憶はないので、覚えてるも何も初対面なのでは。ぱちくりと目を瞬かせて脳内検索に掛けるが、思い浮かぶのはやはり坂下勇太だった頃に会った今より少し若い諸伏である。ううん、と口をひん曲げると、諸伏も難儀そうな表情で顎に指を当てた。
「覚えてないだろうなぁ、まだ目も開いて無かったしな?」
えっそりゃ覚えてないわ。すげーな諸伏、もしや同期の中でも一番乗りだったのでは?坂下には死ぬまで会いにこなかったくせに零の息子には会いに来るのかとちょっとむくれていると、その様子を不機嫌の名残りと取ったらしい諸伏が眉を下げて笑った。
「俺、どうしたら挽回できるかな…」
別に諸伏の事は嫌いではない。だが坂下が死ぬまでろくに連絡を寄越さなかったことはさり気なく根に持っているし、このままだと子供への対応が壊滅的になってしまいそうなのでちょっとお灸を据えておく必要があるかな…なんて思いながら、そっと諸伏から目を逸らした。心苦しい。末っ子気質な諸伏に冷たい態度を取るのはめちゃくちゃに心苦しい。複雑な心境のまま左隣のママさんにじり、と近付くと、ママさんが俺の身体を支えるように右手を添えてから、少し肩を落とす諸伏を励ますように言う。
「うーん…誠意、ですかね…」
ママさん?俺の聞き間違いかな?
「誠意…」
あっ聞き間違いじゃなかった。視線を横に滑らせて考え込む諸伏に戸惑う。いや大体の場合母親のアドバイスは模範解答なんですけど今回に限ってはどうなんだ?三歳の子供相手に…誠意…?いやでも、確かに俺が求めていた対応も、誠意と言ったら誠意…なのか?困惑する俺の前に、諸伏がそっと畏まって頭を下げた。
「自分、こういう者です…よろしくお願い致します…」
「お前ふざけてるのか?」
俺の前に名刺を差し出した諸伏を零が一蹴する。本当だよバカ野郎子供相手に「警視庁公安部」って書かれた見るからにヤバイ名刺を出してくるんじゃないよ受け取るけど。ふくふくの両手に似合わない厳つい紙片をじっと眺めて、そういや坂下勇太の名刺もあったなぁ、なんてノスタルジックな気持ちが湧いた。そこで、はっと閃いてママさんを振り返る。
「まま!かじゅもどうぞしゅる!」
「え?名刺交換を…?何かあったかなぁ…」
「おさいふ!」
俺に囃し立てられて立ち上がったママさんの後ろをてちてちとついて歩く。ママさんのバッグの中から家計用の財布を開いてもらって、ママさんと一緒に中を物色した。その中から一枚のカードを抜き取って、ママさんに「ありがと」とお礼を言って、俺はこちらの様子を窺っていた諸伏の前に畏まって座った。
「こういうものです…」
そっと目の前の男に名刺大のカードを差し出す。目を丸くした諸伏が、俺の手元に視線を落とした。そこには家から車で五分程度の距離にある、高級ジェラート屋さんのポイントカード。
「……」
「……」
じ、と諸伏とたっぷり十秒ほど見つめ合う。自分は…お腹が冷えちゃうからと、ママさんにはごくたまにしか許してもらえないこのお店のバチバチにうまいジェラートが…食べたい者です…。お願い諸伏くん…。ぱちぱち、と瞬きをして、上目遣いのいたいけおねだりビームを飛ばす。更にこてん、と首を傾げると、途端に苦しそうな顔をした諸伏が服の胸元辺りをぎゅっと握り締めて、震える手で俺の名刺を受け取り敗北宣言をした。
「…くっ、この後ご一緒させて頂きます…っ!」
ぱぁ、と自分の表情が明るくなってしまったのを感じる。身体に思考が引っ張られるんだよなぁ。それならもういいか、と俺は立ち上がって、諸伏にぎゅむっと抱きついた。
「ひよおにいたん!」
「酷いハニートラップを見た…」
「息子のポテンシャルが高すぎる…」
視界の端で慄く両親を尻目に、俺はまだ見ぬジェラートに思いを馳せた。諸伏?あぁ、"ひよおにいたん"ならどことなく幸せそうな顔してるから…きっとこれで良かったんじゃないかな…。
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