沖矢昴は生きている
  美しき茶会

沖矢の料理の腕前は家庭料理の範疇を出ない。基本的なレパートリーは煮込み料理と肉を焼いたもの、あとは「なんか知らんけど冷蔵庫の中の野菜を切って焼肉のタレで炒めた」ものとか、そのくらいである。

肉じゃがに関して言えば味付けはすき焼きのタレのみで強行されているし、煮物に関していえばみりんを入れておけばだいたい何とかなる、程度の認識だった。因みに沖矢は柔軟な理系であるため「塩を少々」に惑わされたりはしないし、レシピにある食材をわざわざ天秤に乗せて一グラム違わぬ量を用意したりもしない。

同居人の赤井は元々、煮込み料理を任せたら具材を火に掛けながら読書や仕事を始めるタイプの人間だった。つまり、火が通るまでの間に別のおかずを作るというような考えが無いタイプで、彼に夕食を一任した場合それ以外の料理が食卓に並ばない。飽きるまで同じ味のカレーライスをひたすら腹に詰め込む作業になる。

だが最近は有希子の食育の甲斐あってか、ある日突然「パンを焼きたい」「ドーナツを作りたい」「スコーンが食いたくないか」などと奇想天外なことを言い出して沖矢を助手としてキッチンに引きずり込んでくることもある。FBIと言えど今は開店休業状態、多少の時間の融通は利くらしい。

まぁ、二人とも男飯、言うなればズボラ飯だ。沖矢の方は作るのも面倒だし何なら手を抜いた飯を食うのも面倒だった。テーブルの上から胃の中へのワープホールがあれば一瞬で食事を終えてさっさとレポートや資料整理に時間を当てられるのにわざわざ食事をしないといけないなんて。

沖矢昴は、育ち盛りと言える年齢から片足脱した二十七歳である。最近は食事の時、ちゃんとサラダから手を付けるようになったな、とぼんやり考えながら、沖矢はポットにティーバッグを落とした。ふわりと熱湯に紅茶の赤みが模様を描いていく。

この日は前日にクッキーを焼いていた。赤井が例の如くなんの前触れもなく「クッキーの気分だ」と沖矢をキッチンに連行したのだ。クッキーの気分とはどんな気分なのか。だがその赤井の気分屋も功を奏して、丁度客人に出す茶請けが出来たというもの。温めたカップにとくとくと紅茶を注いで、ゴールデンドロップは客人のどちらかにお渡ししよう。

シュガーポットも忘れずにトレイに乗せて、沖矢は「よし」と微笑んだ。工藤家の調度品はどれも上品で、少し焦げたクッキーも、拙い淹れ方の紅茶も上等に見えてしまう。トレイを持ち上げて、沖矢は応接室の扉を開けた。テーブルの上に一式並べて、それから書斎でまだ掃除をしている二人の客人に声を掛ける。

「お茶が入りましたよ、今日はこの辺で切り上げましょう」

「はーい!」

鈴木園子嬢の溌剌とした返事があった。ちょうど棚の本の埃を落として、集めて捨てて一段落したところだったらしい。もう二時間ほど三人でその作業をしていたのだから、この家の蔵書量は相当のものだった。園子と、もう一人の客人の毛利蘭が連れ立って洗面所に向かっていく。

その隙に、沖矢は開けていた窓を半分に絞った。キラキラと埃が宙を泳いでいる。定期的にもう一人の沖矢を起用して軽く掃除はしているものの、それでもやり残しがあるものか、と思った。掃除はやはり普段から綺麗な屋敷に暮らしていたり、家事を任されているようなよく気の付く女性の手が入ると心強いものである。

沖矢は客室に戻ってソファの前に二つカップを並べた。それからクッキーの乗った皿をテーブルの上に並べてトレイを退かしたところで、園子と蘭が応接室に入ってくる。星や花の形をした素朴な型抜きクッキーを見た蘭が「わぁ」と目を丸くしながらソファに腰掛けた。

「これ、もしかして手作りですか?」

さすが毛利家の台所を預かっているだけある、と沖矢は感心した。確かにこういったシンプルなクッキーは、パン屋やケーキ屋のレジ横なんかにはあるかもしれないが市販品として出回ることは多くないだろう。これは正しく昨日沖矢が「なんで僕が」と嘆きながら生地を混ぜて捏ねて、その後赤井が嬉々として型を抜いてオーブンに突っ込んだものである。余談ではあるが室温の無塩バターをクリーム状にするのは中々腕力が要る。なんやかんやお隣にお裾分けする分まで作る羽目になったのを思い出して、沖矢は少ししょっぱい思いをした。

「ええ、お口に合えば良いんですが」

「えっ、すごい!ありがとうございます!」

「昴さんって家庭的なんですね!」

微笑んだ沖矢に、女子高生二人は嬉しそうに焼き菓子に手を伸ばした。そう喜んで貰えるなら頑張って生地を作った甲斐があるというものだ。少し報われた気になって、沖矢も星型のクッキーに手を伸ばした。

「こちらこそいつもありがとうございます、お二人に何かお礼がしたいので、もしご迷惑でなければ今日のランチをご一緒できたらと思うのですが…ご予定は如何ですか?」

そう尋ねて、さくりとクッキーを食む。焦げているのかと思ったらどうやらココア味だったらしい。確かに昨日赤井が生地に何か混ぜていたのを見たような気もするが、全く気にしていなかった。ほんのりと香り付け程度のココアを感じながら咀嚼する沖矢に、蘭と園子は各々反応を見せた。

「そんな、気にしないでください」

「あ、そういえば!ポアロで新しいメニューが出来たってガキンチョが言ってたわね」

遠慮深い蘭と、素直に案を出す園子。各々大変にらしい返答だった。微笑ましさを隠せず顔を綻ばせた沖矢に、蘭と園子は顔を見合わせた。そのまま少し首を傾げて、沖矢は園子の提案を拾った。

「ポアロ、ですか…興味深い話ですね、是非ご馳走させてください」

「えっ、いいんですか?嬉しい!さっすが昴さん!」

沖矢がそう笑ったので、園子は黄色い声を上げた。イケメンは正義であるという彼女の持論は知りつつ、そうやって騒がれて嫌な気はしないのは男の性である、と沖矢は思う。若くしてその辺りを分かっているとはさすが鈴木財閥の令嬢、対人スキルに光るものがあるな、なんて思っていると、声のトーンを落とした蘭が園子を静止するように呼んだ。

「ちょっと園子…!」

「止めないで蘭…沖矢さんと安室さんという身近なイケメンが二人並んだところ、見たくないの!?」

あっなんか思ってた理由とちょっと違った、と沖矢はそっと眼鏡のブリッジを押し上げた。そうやって騒がれて嫌な気はしないのは男の性ではあるが、まさかガンダムとシャアザク並べたら映えるよねみたいなガンプラ的扱いをされていたとは。少し俯いて紅茶を啜った沖矢の眼鏡が光を反射する。園子の勢いに押された蘭が少し眉を下げた。

「けど、沖矢さんのご迷惑になっちゃうんじゃない…?」

「そっか、アンタは旦那がいるもんね…イケメンには興味ないか!」

「も、もう!旦那じゃないったら!」

っていうか園子にも京極さんがいるでしょ!と尤もなことを言う蘭にもどこ吹く風、といった様子の園子に沖矢も苦笑する。それはそれ、これはこれ、ということなのだろう。デザートは別腹という言葉もある。

「…イケメンはともかく、僕もその新メニューに興味がありますから…ぜひこの後」

ともあれこの女子高生二人へのお礼になるのなら客寄せパンダの気持ちを味わうのも吝かではない。沖矢は伏し目で笑ってティーカップを傾けた。







 top
- ナノ -