沖矢昴は生きている
  災い転じて福となす




「…あぁ、これだな」

掻き分けた紙の間から青色のUSBメモリをつまみ上げる。更に山が崩れたがそれを咎められる筋合いはないだろうと、そっと紙束を脇に寄せた。電話の繋がったイヤホンの向こうから喜色満面の声が返ってくる。

「本当!?あった!?」

「あぁ、雪崩れたプリントの間に入っていたぞ、いい加減部屋を掃除しろ」

相変わらずの部屋の汚さに呆れて思わず口を出すが、相手はどこ吹く風だった。「ごめんごめん」と軽く笑って、それから安堵したように溜め息をつく。

「助かる!悪いなほんと、じゃあ五限でよろしくな!」

快活とそう言う相手は、大学の同期生だ。学部こそ違うものの縁あって昼飯を同席したり、休みの日に遊びに行ったりなど、仲良くしていた。今回は友人が家に忘れた課題入りのUSBメモリを、空きコマを利用して沖矢が取りに来たところだった。わざわざ頼まれてやったからには、と沖矢が笑って言う。

「一箱だ、忘れるなよ」

「ラッキーストライク!オッケー!」

USBメモリをポケットに仕舞って、通話を終える。鞄の中から預かった家の鍵を取り出して、沖矢は爪先立ちで床に散乱する物を避けながら出口に向かった。主に本や紙類だ。汚れるゴミが落ちていないだけマシだろうか。そう苦笑して玄関に戻って扉を開けると、すぐ入り口の前にいた人物と視線がぶつかった。一瞬二人して呆気に取られて、先に沖矢が首を傾げる。

「…警察?」

沖矢とそう年の変わらないだろう男だった。警察、というかどちらかと言えば機動隊のような制服。なぜこんな所に、と思って辺りを見回すと、他にも数名、防護服を身に纏った重装備の隊員が何名か立っていた。まろやかに垂れた目を見開いていた男が、はっと我に返って沖矢の腕を掴んだ。

「一般人!?どうしてまだこんなところに…!」

その表情は焦燥と怒りである。ただならぬ状況なのは確かなようだが、それを正確に把握する材料は沖矢の手元になかった。目の前の男の顔を見て、それから周りを見て、思わず怪訝な顔をしてしまう。

「…えっ?これ何ですか?あっ、撮影とか…?」

それならば事情も知らず申し訳ないことをした、と肝を冷やすが、沖矢の視界の中にそれらしき撮影設備は見当たらない。一人だけ顔の見えている男、恐らく隊員の顔がとても整っているので、てっきり俳優か何かだと思ったのだがそうではなかったらしい。きょとりとした沖矢に呆れたように首を振って、男は少しだけ表情を険しくした。

「残念だけど本物!避難指示聞こえなかった?」

「すみません…これで電話していたもので、あまり」

沖矢がつけたままになっていたイヤホンを摘む。尻のポケットに携帯の本体を入れて、マイク付きのイヤホンで電話をしていたのだった。あの荒れた部屋を探索するには出来たら両手を使いたかった。散乱する荷物に足を取られたとき、顔から床に突っ込んでしまうのは避けたかったからだ。それを聞いて、はぁ、と溜め息を吐いた美丈夫は、長めの髪を書き上げて得意げに笑った。

「…ま、俺が解体したしもう大丈夫だけどさ」

「萩原?」

「…でも一応避難ね」

後ろから同僚らしき重装備に小突かれて、萩原と呼ばれた男が笑う。目的も果たしたし、逆らう理由もない。背にした扉に施錠をして、沖矢は素直に萩原に従う。中々の高層マンションではあるが、万一に備えてエレベーターは使わずに階段で移動するようだ。確かに、あれが起爆したら確実に止まってしまうだろう。そう思いながら、ふと沖矢は思い立って萩原に声を掛けた。足は前を行く萩原に続いて、階段の上から二段目を踏みしめたところだった。

「そういえば萩原さんは、何故防護服を」

着ていないんですか。沖矢がそう尋ねようとした瞬間、爆弾の近くでどよめきが起きる。萩原と二人してそっちに注意を向けた瞬間、爆発物処理班の決定的な声が走ってきた。

「総員退避ッ!爆発するぞ!」

「何っ!?」

萩原が絶句する。爆弾は確実に解除した筈だった。だが爆破する前に「爆発する」と分かったということはつまり、再度タイマーが動き出したということだろう。遠隔操作か、と歯噛みするが、今はそれどころではない。爆弾から多少距離があるといえど、この距離ではまだ爆風の影響も受けるだろう。

ちらりと階段の残りの段数に目を遣った瞬間に、萩原の視界に掌が写り込んだ。何が起きたか理解が追い付かず、動けずにいる萩原の両耳が塞がれて、頭をぐっと引き寄せられる。その瞬間、地鳴りの様な轟音が鳴って、有無を言わさず吹き飛ばされた。

身体が宙を舞って、上も下も分からない。強く目を閉じていると、左半身に猛烈な衝撃が走る。それから瓦礫らしきものが叩きつけられる音が響いた。ぱらぱら、と残骸が散らばるのを聞いて、ようやっと萩原は目を開けた。

「…は?」

目を開けて、最初に視界に入ったのは柔らかなニット素材の壁だった。自分が誘導していた筈の青年の胸板だ。頭はやはり爆発前に感じたように抱き込まれていて、爆風の影響を受けないようにか、耳が両手で塞がれていた。萩原が上体を起こすと、だらりと力の抜けた腕がいとも簡単に滑り落ちる。青年は、目を閉じて気を失っている。ざっと音がしたのではないかと錯覚するほど、萩原の顔から血の気が引いた。

「おい!大丈夫か、しっかりしろ!何で…何で庇った!?」

目を閉じてぴくりとも動かない青年を揺さぶろうとして、萩原ははっとして手を引っ込めた。階段から落ちたのだ、頭を打っているとしたら動かすのは適切ではない。つまり早く避難して彼を治療してもらいたくても、萩原が担いで階段を駆け下りるのも得策ではないということだ。「くそっ!」と珍しく悪態をついて無線に手を伸ばす前に萩原の携帯が鳴った。反対の手でそれも取り出すと、画面によく見知った名前が表示されている。しめた、と応答のボタンを押す。きっと、こちらの方が早い。

「おい萩原!無事か!」

「陣平ちゃん、怪我人だ!救護班呼んでくれ!」





 top
- ナノ -