marry me


終わった。全部。ガンガンと痛む頭にそっと手をやる。そうだ、酒の飲みすぎだ。主役は俺じゃないのにどうしてこんなに飲んだのか、なんて、飲まないとやってられなかったからに決まっているだろう。

高校時代からずっと片思いしていた友人が、本日結婚式を挙げた。もちろんお洒落なスーツを着たこの俺もその参列者のうちの一人だ。友人は学生時代から付き合っていた相手と、紆余曲折を経てそのままゴールインした。まあその相手も俺の友人にあたるのだが。

しっかり三次会まで出席して、しっかり酒をかっ喰らって、男らしく一気までしてしまって、幸せそうな新郎新婦を見て、もう今日の俺は笑えてしまうくらい満身創痍の状態だった。自分でも意外だった。もうずっと昔に吹っ切れたつもりだったのに、実際に仲睦まじい二人を見てしまうとずっと昔に塞がった筈の古傷がちりちりと痛むような感覚に襲われるのだ。

もう、手放しでおめでとうと祝福出来ると思っていたのに。はあ、と溜め息を吐きながら、引き出物の紙袋からはみ出すそれに、ちらりと視線をやる。

「それでは、花嫁によるブーケトスです」

新郎新婦の席に一番近い俺の席から更に前、デジタル一眼のカメラを首から下げていた俺は、そのアナウンスでもう一度それに触れた。結婚式の受け付けも頼まれて、それから式の写真も一通り撮影して回る事になっていたので、ブーケトスなんてまたとないシャッターチャンスだ。前に集まる独身女性たちを写真に収めて、その決定的瞬間も。そう思ってレンズキャップを開いたところ、花嫁、佳奈がスッと手を挙げた。

司会の女性とアイコンタクトをした佳奈が、花婿、待宮に微笑みかけると、二人とも立ち上がる。おや、花嫁によるブーケトスではなく、花嫁と花婿によるブーケトスなのだろうか。どっちにしろ、写真として映えることに変わりはない。待宮にマイクが渡ったのを見ながら、カメラを構えた。

「竹原」

一瞬、名前を呼ばれたことに気が付かなかった。

「竹原、オマエじゃ」

レンズ越しに、待宮と目が合う。え、と顔からカメラを離すと、はよう来い、と手招かれた。なぜこのタイミングでカメラ係が呼ばれたのか全く見当がつかないが、少し周りを見渡してみれば、同じテーブルに座っていた荒北に肩を殴られて、金城に、背中を押される。

「お呼びだぞ、新郎のツレ殿」

「時間おしてっから巻きでネェ」

「え、ええ…?」

何お前ら、その顔は事情を知ってるな?戸惑いがちに彼らの顔を見ると、にやりと二人揃って悪戯っぽい笑みを浮かべた。

呼ばれたから仕方なく新郎新婦の前に出ると、必然的に背中に出席者の視線が突き刺さる。そわそわと落ち着かない様子の俺の前に、佳奈がブーケを持ったまま歩み寄ってきた。

「あの、佳奈…」

「うちと栄吉くんと、中学の頃から仲良うしてくれて、ありがとう」

「ちょっ、なにしてんの…!?」

ぺこり、と佳奈が頭を下げる。わたわたとそれを止める俺を、待宮が笑った。

確かに俺と待宮と佳奈は、中学からずっと一緒だった。ずっとと言っても、俺と待宮は佳奈と違う高校に進んだ。けれど、その差はあってもまた大学で同じ学校になったし連絡は取っていたから、まあずっと一緒と言っても語弊はないだろう。

この二人が高校時代に別れたとき、影で手を回して再会させたのは俺と、高校時代からの友達である井尾谷だ。だからこその、ずっと、という言葉なんだ、と思う。えっと、と視線を彷徨わせる俺をよそに、ガバッと頭を上げた佳奈が、その勢いのまま俺にブーケを差し出した。

「じゃけぇこれは、耀司くんに受け取ってほしい」

「え」

頬を染めて笑う花嫁の、横にいる新郎も「はよう受け取れや」と目を細めて笑った。彼女の曇りのない目が、俺の視線とかち合う。いつもの佳奈も可愛いが、今日は特別、その百倍だ。世界一綺麗な花嫁だろう。ぐ、と胸が詰まって、じんわりと目頭が熱くなる。視線を下げると、俺の胸に突きつけられた幸せのお裾分けが、揺れる視界の中で咲き誇っていた。

「…綺麗だな」

ふ、と目を閉じて笑うと、頬を素直に熱い涙が伝った。わあ!と佳奈から驚愕の声が上がって、待宮も絶句している気配がする。

「ちょっ、耀司くん!?栄吉くんなんか拭くもの…」

「なに泣きよんじゃオマエは!あーあー…これでエエわ!」

駆け寄ってきた待宮に、ナプキンで顔をゴシゴシと拭かれる。わはは、と笑いに包まれる会場に俺も笑いながら、少し強いその力になすがままにされていた。飲み込めない状況を次第に噛み砕きながら、ああ、これは夢か、と思う。いつかの恋に囚われている俺が見ている、夢。ブーケをしっかりと抱え直して、佳奈と待宮に向かって心からの笑顔を向けた。

「二人とも、ほんとうにおめでとう」

今日この日、世界一美しい花嫁が咲き溢れるような笑みを浮かべたのを見て、心が震えた。ああ、この女性なら俺の好きな人を幸せに出来るだろうなあ、なんて、そんなことを。

がつん、とゴミ箱に足を取られてよろけた。三次会終わりの酔っぱらいの俺は、ゆっくりと立ち止まって、思わず軽くその円柱型のゴミ箱を蹴り返した。引き出物の紙袋から覗くブーケは嫌味なくらい綺麗に咲いていて、半日持って歩き回ったのにピンピンしている。もしかしてこれ、生花ではないのだろうか。

こうやって俺の恋も、一生枯れないでずっと居座っているのなら、このブーケの出番はないのだろう。なんだかそれが途方もなく思えて、足元がふらつく。ふう、と酒臭い息を吐きながら、縁石に座った。

いつかはこんな日が来ることは分かっていた。待宮のことが好きだと、諦めきれないままこの日を迎えてしまった、俺が悪い。それでも結婚式に出席しないという選択肢はなかった。せめて、せめて俺の入る隙間など一切合切無いのだと、その事実を自分で自分に突きつけたかったのだ。荒療治だけどそれが一番吹っ切れるにはいいのではないか、なんて。

だけれど、見積もりが甘かったようだ。ただただこんなふうに、一生立ち上がれないかもしれない程の傷になっただけのような気がして、俺は自分の膝に顔を埋めた。しばらくしてぽつり、と、この世の終わりのように零す。

「…しにたい」

「何言いよるんじゃ、アホ」

こん、と頭に何か硬いものが当たる。え、と思って顔を上げると、顰めっ面の友人がそこに立っていた。周りを見渡しても、そいつ以外に人はいない。片手を緩く拳にした、その手の甲で俺の頭を小突いたのだろう。まだ三次会に参加していたはずのその男に、思わず目を丸くした。

「なんでいるんだよ、井尾谷」

情けないところを見られてしまった。へら、と下から笑えば、口をへの字に曲げた井尾谷が、ふう、と呆れたように溜め息を吐いた。それから目つきの悪い目を細めて、下の歯を剥き出すように言った。

「オマエんこと、ほっとけんかった」

その一言で、井尾谷の苦い表情の理由が分かってしまった。半笑いで視線を逸らしながら、どう誤魔化そうかと少し思案する。が、酒でふわふわとした頭にそんな高度なことができるはずもない。仕方ないと全てを諦めて、そのまま俯いてガシガシと頭を掻いた。

「…ああ、うん…そうか…なんか、恥ずかしいな…」

はは、と苦し紛れに笑ってそう言うと、じゃり、と井尾谷の靴が動いたのが見えた。慰めるなんて柄でもないこと、この男ができるのか、そうぼんやりと思っていると、急にどん、と胸元に殴られたような衝撃があって、強い力で引っ張り上げられ、無理矢理に立ち上がる事になる。

「っ、恥ずかしい事なんてあるかァボケェ!!」

ぐあん、と頭が揺れた。何が起きているのか全く理解できないままに更にぐらぐらと頭を揺さぶられて、急速に酔いが回る。そんな俺に、更に井尾谷の泣きそうな怒声が浴びせられた。

「好きなヤツの幸せん為に尽して、何が恥ずかしいんか言うてみいゴルァ!!」

殴られるのかと思った。ぐい、と最後に引き寄せられて、痛いほどに真剣な井尾谷の目が俺の目の奥を射抜く。ゆっくりとその言葉を頭の中で復唱する。好きなヤツの幸せの為に尽して。くく、と笑いがこみ上げる。馬鹿を言うな、そんな崇高なもんじゃない。嫌われたくなかっただけだ。好きになってもらえないなら、せめて嫌われたくなかったっていうだけの、俺の勝手な。かくん、と膝が折れて、井尾谷の肩にとん、と額を乗せる。

「あんま、責めないでやってくれよ…」

思ったよりも、絞り出したような声が出た。押し黙った井尾谷が、やり場のない怒りを持て余して戸惑っている気配がする。そのままそっと目を閉じると、緩んでいたらしい涙腺から涙がぶわりと溢れだした。井尾谷の、胸倉を掴んでいた手が緩んで空中を彷徨う気配がする。とうとう困り果てたらしいその男が、暫しの沈黙のあとに口を開いた。

「…す、まん、ワシ、浮かれとるんじゃ…」

「はは、どんな浮かれ方だよ…」

井尾谷の声も、震えている。は、と浅く息を吐いたその男の右腕の指先が、遠慮がちに俺の袖をくい、と引いた。井尾谷がごくり、と固唾をのんだ音が骨を伝って直接聞こえる。

「オマエの傷につけ込める、ワシにはチャンスじゃけぇ」

本当にすまん。今にも叫び出しそうなのを押し殺したような声の井尾谷が、そう白状する。すとん、と何故かその言葉を正しく理解した俺は、少しだけ頭を上げて、暗闇でも分かるほどに真っ赤に染まった井尾谷の首筋を見た。

「…それは、よかったな」

俺は浅く息を吐いて、締まった腰に緩く腕を回した。びくりと井尾谷の身体が強張ったのを感じたが、そのまま空いた腕が俺の後頭部を肩口に押し付けるように抱き寄せた。その手が震えているのに確かな罪悪感がじわり、と胸に広がる。俺は思いの交わらない相手の近くにいる事がどんなに辛いことか、分かっているのに。今はただ、抱き締められた暖かさに浸っていたかったのだ。なんて最低な男。こんな俺にあの二人の幸せを分けてもらう価値なんて、これっぽっちもないだろうに。悲嘆に暮れて閉じた目から溢れた涙が、井尾谷のスーツの肩を少しだけ濡らした。






← / →





- ナノ -