marry me


どさ、とベッドにうつ伏せに飛び込む。この日の為に買った一張羅のスーツがしわしわになるだろうが、そんなものどうせクリーニングに出せば多少は元通りになるんだからどうでもいい。今はこの身体の疲れと、図らずも傷付いてしまった心を休めたかった。

傷付いた、なんて、身勝手な話だと思う。勝手に祝いに行って勝手に傷付いて、そんなの自業自得だろうに。誰に責任を擦り付けるつもりなのか、この酔っ払いは。は、とどこか他人事のように笑って、顔をふかふかの布団に埋めた。

明日も二人とも休みだから、と、とりあえず休みたくて井尾谷を連れて転がり込んだのは、所謂ラブホテルと呼ばれる場所だった。取り敢えず、今この気持ちで一人になりたくなかったのだ。三次会の後俺を追いかけて来て、剰えここまで引っ張ってきても文句一つ言わない井尾谷を、言い方は悪いが利用させて貰わない手はなかった。

けれど、その看板の下を通る時に「オイ、ここ」と渋った井尾谷に、ふと我に返る。俺にだってそれくらい分かる。ついて来たからといって、急にこんなところに連れ込まれるのは訳が違うだろう。

「…ごめん」

無遠慮に引いていた井尾谷の手首を離す。決して井尾谷に何か如何わしい事をしようとしたわけではないのだけれど、まあ如何わしい場所に連れ込もうとしたのは事実、というか現行犯だ。不埒な男だと勘違いされても仕方ない。え、と声を漏らした井尾谷に、誤解を解くように言った。

「俺明日休みだから寝て帰る、から、駅まで送れない」

「ハァ?」

目を丸くした彼が間抜けな声を出す。そりゃどんな言い訳だ、という話だろう。まあ流石に少しの下心もありませんでした、と言って信じて貰えるとは思っていなかったが、事実少しの下心も無かったので仕方がない。そのまま井尾谷を置いて踵を返すと、ぐい、と手首を掴まれて、思わずもう一度振り向く。

「場所が場所じゃけえ、ちいと驚いただけじゃ」

そうして、そのまま井尾谷も一緒に部屋に入って今に至る。ばふ、と顔まで下向きに布団に埋めた俺は、気を抜いたらそのまま寝てしまいそうだ。泥のように布団に染み込む身体を動かすのは、想像しただけでも億劫だ。明日休みだし、このまま寝てしまっても問題では無いだろう。

「…竹原」

不意に、控えめな声が俺を呼ぶ。頭だけ傾けて布団から見上げれば、井尾谷が所在なさげに立ち竦んでいた。怪訝な目で俺の様子を探っている。もしかしてまだ俺が何かしてくるのではないかと疑っているのでは。もそもそ、と起き上がって、壁に掛けてあるハンガーにのろのろと背広を脱いで掛けた。

「もしあれなら、先にシャワー浴びてくれば」

がたん。背後で物音がしたので思わず振り返る。井尾谷が横の一人用のソファを気にしているのを見る限り、どうやら後退った拍子にそれにぶつかった音だったらしい。いそいそとソファをもとの位置に戻した井尾谷が、俺に食って掛かるように言った。

「っ!オマエなに言うとんじゃ!寝るだけ言うとったろうが!」

「…うん、別に風呂入らないで寝るのが嫌じゃないなら良いんだけど」

因みに俺は風呂に入らないと何となく布団に入るのが気持ち悪いタイプだ。それが出先だろうが関係ない。それを他人に強要するつもりはないので、井尾谷は好きにしたらいい。シャワーを浴びないなら俺が先に使わせてもらうだけだ。困惑した顔の井尾谷が髪を掻き乱して、大きく舌打ちをする。

「…入る」

「そ、いってらっしゃい」

そう言いつつ、引き出物の紙袋からブーケを取り出す。しっかりした明かりの下で見ると、やはり造花のようだった。お前が幸せになるまで枯れてやんねーからな、という圧力すら感じるそれを机の上に置いて、取り敢えず腹回りからベルトを抜きとって背広のハンガーに一緒に掛けた。

「いちいち紛らわしいんじゃオマエは…」

ぶつくさ、と文句をたれる井尾谷が、ソファにどさりと荷物を置いて部屋を出て行った。一応その行き先である風呂場は、ガラス張りやマジックミラーとかいう如何わしいデザインでは無いらしい。ふう、と俺も溜め息を吐いて小さいソファに腰を下ろす。何がどう紛らわしいんだ、人聞きの悪い。そう軽く憤ったところで、ここに来る前の井尾谷の言葉が頭を過る。

(オマエの傷につけ込める、ワシにはチャンスじゃけぇ)

「…ああ、なるほど」

あの絞り出すような声が、頭の中でリフレインする。俺の傷につけ込むチャンス、だなんて、よくそんな告白紛いの事を。そう思ったところで、口を引き結ぶ。

否、あれは告白だろう。あの言葉が本当なら、井尾谷は俺の心の隙につけ込むつもりで。ああでも、あいつみたいな真っ直ぐな男がそんな計算高い事出来るのだろうか、学生時代、自転車競技でペテン師とか呼ばれていたらしい待宮じゃあるまいし。

男が男を好きになるなんて、やめておいたほうがいいのに、と思う。それは勿論自分の経験から来る一言で、自分にも同じことが言える。報われない恋なんて、割に合わない。いくら身を焦がそうと救われることなくただ消し炭になるだけだ。遣る瀬無くなって、テーブルの上に置かれていたテレビのリモコンを手に取る。電源ボタンを押せば、四角に切り取られた映画のパッケージが沢山並んでいて、ほう、と目を丸くしてしまった。ビデオオンデマンドだ。白黒の映画もちらほらと見受けられる。適当に選んで、BGMとして流しておいた。

小さな冷蔵庫程の大きさの自動販売機の、中身が見慣れている方に、缶ビールが入っている。しこたま酒は飲んだはずだけれど、喉が乾いているので仕方がない。酔も覚めてきたところだ。追いビール、ではないが少しくらいなら飲んでも良いだろう。財布から小銭を取り出して、ちょうど入っていた分でそれを買って、かしゅ、とプルタブを引いた。

一口啜って、それからテーブルに缶を置く。買わなくても良かったかもしれない。もっとこう、ミネラルウォーターとか、スポーツドリンクとか、そういうものを買うべきだったな、と少し後悔した。ソファからテーブルの下にかけて足を投げ出すようにして浅く座って、上半身の傾きに任せて天井を仰ぐ。電気はどうやら一般家庭のものと変わらないらしい。ふう、と、溜め息を吐いてそのまま目を閉じると、身体がソファに染み込むように馴染んだ。遠くで男と女が話す声が聞こえるのを、どこか夢心地で聞いた。

「竹原…、なんじゃ、寝とるんか」

拍子抜けしたような、安心したような声にゆっくりと目を開ける。濡髪に首にタオル、パンツ一丁で、俺が座る反対側のソファに置いた自分の荷物を漁る井尾谷の背中を眺めて、彼が風呂から上がったことを悟った。その肩程までの長い髪の先からつ、と水滴が背中に伝う。目で追って、思わずおせっかいな口を開いた。

「風邪」

「うおっ!?」

ガタガタ、井尾谷の手から携帯が零れ落ちる。余り高い位置からではなかったから、恐らく画面や機能に害はないだろう。古いものだったら分からないが。

「引く…そんな驚くか?」

「寝、とる思っとったけぇ」

「今起きた」

「ほうか…」

はは、と硬く笑った井尾谷が、どこか身体を縮こまらせる。それを少し不思議に思いながらごし、と眠い目を擦った。大口を開けて一つ欠伸をして、ソファの背凭れを押して立ち上がる。俺も風呂に入ろう。ちらり、とテレビを見るが、だいぶストーリーが進んでいるようで、さっぱりどんな場面か分からなかった。

「先に寝てていいよ」

「えっ」

「?、寝ないならテレビ、多分地上波も映ると思うけど」

「お、おう…分かっとる」

確かに、佳奈と待宮は井尾谷にとっても高校時代から見守り続けていた友人たちの結婚式だ。興奮冷めやらぬ気持ちもあるだろうし、自分の事に置き換えてみるとセンチメンタルな気持ちにもなるだろう。馬鹿騒ぎした後でもあるし、まだ眠気も何もないのかもしれない。と、ふとそこまで考えて、井尾谷の火照った体を一瞥して、視線を逸らす。

というかあの言葉は井尾谷的には告白にカウントされていないのだろうか。寄った頭でだいぶハッピーなことを考えている自信はあるが、考えずにはいられない。右手で顎を撫でて風呂場に足を向けて、後ろ手に部屋の扉を閉める。「好きだ」とは言われていない。しかし、失恋した俺の心の隙に付け込みたいだなんて、それはもう、俺のことが好きだと言っていやしないか。そのくせパンイチで風呂からあがって来るなんて、もしかして勝負を仕掛けてこようとしているんじゃないのか。とはいえ俺だって風呂くらいパンイチで上がる。

「…考え過ぎか」

はぁ、と溜め息を吐いて、風呂場のドアを開ける。湯船の中にはしっかりと泡風呂が陣取っていて、俺はそっと戸を閉めて人知れず頭を抱えた。おいおいお前、はしゃいでんじゃねーよ。









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