You
今まで生きてきた中で確実に、最低最悪の朝だ。
結局昨日は風呂に入ってから阿保のように冷蔵庫に入っていた酒を全て開けた。元々ローが泊まりに来ると思っていたので冷蔵庫は酒で一杯だったし、それに追い出された食材はコンロの上で大量のカレーとして第二の人生を送っていた。その全てを開けたのだから俺一人分のキャパシティを優に超えた酒の量に、朝はカレーなんかを食べるテンションではなくなって不本意にも一晩寝かせた本格派になってしまっている。結果、頭の中で坊主が除夜の鐘をついていて、かつ胃は蔦やロープのようなものに締め上げられているかのように痛む。
本当は講義なんて休んで一日中布団で過ごしたかった。きっと今は体調の悪さから人を二、三人殺したような顔をしているだろう。授業中指名されるのを避けたかったので端の方に座ったのだが、教授どころか級友も寄ってこない事態に苦笑した。そんなに酷い顔だろうか。
講義が終わって、昼飯も家にあるし帰ろうか、と荷物を纏める。故意に会おうとしない限りあまり無いことだが、大学でローと遭遇してしまったらと思うと、早く帰るのが最善に思えた。
「…おい、モトイ、お前昨日…どうだったんだよ」
「シャチ?」
荷物を纏め終わってさあ帰ろうと立ち上がろうとしたところで頭の上から話し掛けられる。学部の違うシャチがいつの間にかそこに立っていた。体調が悪いにせよ気付かないのはよっぽどだ。そう思って見上げれば、うおっ、と驚いたように声を上げられてしまい首を傾げる。
「そんな顔してたってことはやっぱり何かあったんだな!?」
「どんな顔だよ」
「…え、般若?」
「般若、ねぇ」
嫉妬に狂う女の顔、今の俺にはお似合いの例えだ。ふ、と嘲笑すればシャチが顔を青褪めさせたのが分かった。
「…ただの二日酔いだって」
「は…嘘吐けよ」
「本当だよ」
ゆっくりと立ち上がる。せっかく訪ねてくれたシャチには悪いがさっさと帰ろう。今日はあまり人と関わらない方がいい。それどころかキッドやローと鉢合わせなんかしたらどうなることか。自分の事ながら想像もつかない。
「なぁ、おれでよかったら話聞くよ」
「話も何も、ただの二日酔いだし、何もない」
「いや、それにしてもだよ、どうしたんだお前」
「…もうちょっと整理してから言うから放っといてくれ」
確かにシャチの言う通りかもしれない。今日の俺はどうしたんだろう。シャチ俺れとローのことを心配してくれているのに、なのにこんなに逆剥けた神経にその気持ちが引っかかる。がさ、と無造作に荷物を引っ掴んでその横を通り過ぎ、教室から一歩出るところで、シャチに腕を引かれた。
「あ、じゃあ今日飯食いに行こうぜ、本当にお前…何かおかしいよ」
その何気ないシャチの言葉を聞いてかっと頭に血が上ったのを自覚する。おかしい?仕方がないだろう。気が付いた時にはバシン、と大きな音を立ててその腕を払い除けていた。目が見開かれて固まったシャチの顔を見て、酷いことをしたという罪悪感がじわりと湧いてきたが、それに気が付かないふりをして声を荒げた。
「もう、俺に構うな…!」
「…ヒロセ?」
「………」
シャチにあたってしまったことはその一瞬後に自覚した。しかし謝るよりも早く、背後から掛けられた声に発しようとしていた謝罪が喉に絡みついた。聞き覚えのある声だ。帽子の下のシャチの目線が俺の背後に移動する。そうしてそのまま呼ばれた名前が、俺の予感が的中したことを教えてくれた。振り向くと、そこには今一、二を争うほど会いたくない人物がいる。
「…ユースタス」
赤い髪をいつもと同じく立たせて、標準装備として人相が悪い。勢いよく振り向いた俺に少し驚いたように鋭い目を微妙に見開いていた。極力冷静に話を聞こうと胸から空気を吐き出して深呼吸をする。
「よぉ、昨日はいきなり悪かったな」
はは、と苦笑する。ユースタスがばつが悪そうに腕を組んだ。
「あ、あぁ、そのことなんだけどよ」
「そのこと?」
笑ったまま首を傾げる。俺は突然ユースタスに電話をして切ったことを謝っているのだが、ユースタスはそうではないらしい。続きを促せば、少し口籠ったユースタスが口を開く。
「…昨日の、トラファルガーの写真のことだよ」
視線を逸らして、あー、とむしゃくしゃした様子で項を掻くユースタスの言葉に、笑顔が引き攣った気がする。さて、どんな話が聞けるのだろう。俺は口の端を引き上げ直した。